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第六章・レオノーラの目覚め7

「おやつ、食べなかったそうですね?」  私はゆっくりした口調で話しかけました。  クロードの小さな肩がぴくりっと跳ねます。 「……えっと、わたし、かえってからもずっとおべんきょうしてて、いそがしかったから、それで」  クロードが焦った口調で言いました。  まるで言い訳ですね。だってずっと教本に向かったままです。この子、私が部屋に入ってからもずっと顔を向けてくれないのです。 「そうですか。体調を崩してしまったのかと心配していました」  私はそう言いながら部屋のソファに腰を下ろしました。  そこから勉強机のクロードを見つめます。さっきからクロードは逆さの教本をじっと見つめたまま。寂しいではないですか。 「クロード、こちらで少し休みませんか?」 「……で、でも、おべんきょうしないと」 「そうですか」  私はソファに置いてあったクッションに触れました。  クッション生地は少し湿っていて胸がツキンと痛くなる。そこから感じる微かなぬくもりと、ソファの下に無造作に落ちていたぬいぐるみや書物。  あなた、一人ここで小さくなっていたのですね。  小さく縮こまって、クッションに顔をうずめて、唇を噛みしめて、一人でぷるぷるしていたのですね。 「クロード、私、退屈なんです。話し相手になってくれませんか?」 「え、たいくつなんですか……?」  クロードが少し驚いたように顔をあげました。  ようやく顔を上げてくれて私はニコリと笑いかけます。 「そうなんです。ハウストはお仕事ですし、イスラとゼロスも私を置いて出かけてしまいました」 「で、でもブレイラ、おしごとあるのに……」 「休憩です。ずっとお仕事をしていると疲れてしまいますからね。でも誰も構ってくれなくて退屈なのですよ」  私はつまらなさそうに言いました。  小さくため息をついてクロードに不満を訴えます。 「あなたまで私を構ってくれないのですか?」 「ええ……」  クロードが困惑したように焦りだしました。  あともうひと押しですね。 「私、話し相手がほしいんです。だからこちらへ」  そう言って手招きします。  こちらこちらと手招きする私に、ようやくクロードは逆さの教本を閉じました。  いつもの澄ました自分を装って私のところに来てくれます。 「もう、ブレイラはわがままなんですから……」  少し気取った口調のクロードに目を細めました。  その言い方、三歳の時のゼロスに少し似ていますね。私がこうしてワガママを言うと、あの子も『もう~、ブレイラはワガママなんだから〜』と嬉しそうにニコニコしながら私のところへ来てくれましたから。 「ふふふ、どうもありがとうございます。さあこちらへ」 「はい」  クロードが私の隣にちょこんと座ってくれました。  ほんとうは幼い横顔を見ているだけで退屈などありませんが、クロードは「なんのおはなししますか?」と律儀に聞いてくれます。  優しいですね。まだ目元は赤いのに私の相手をしようと一生懸命です。  私はクロードの小さな肩を抱いてお話しします。 「みんなで温泉に行けて楽しかったですね。あなたの浴衣姿も素敵でした」  人間界での温泉の話しをするとクロードの顔がパッと輝きました。温泉では楽しい思い出を作れましたからね。 「はい、わたしもにーさまたちとおなじのあったんです!」 「よく似合っていましたよ」  弟というのはなんでも兄の真似をしたくなるものなのでしょうか。ゼロスが幼い頃もよくイスラと同じことをしたがりました。  でも末っ子のクロードにとってイスラもゼロスも見上げるような大きな存在で、真似をするにも全力ですね。一生懸命背伸びをして手を伸ばしています。  ゼロスは目線を下げてクロードによく構ってくれますが、年の離れたイスラのことはいつも見上げていました。そんなイスラやゼロスと同じだとクロードはとても喜ぶのです。 「温泉ではのぼせませんでしたか?」 「ちちうえがいっしょだったのでだいじょうぶです。ちちうえも、わたしともういっかいはいってました」 「そうだったんですね。私たちを待っているあいだハウストも一緒に入ったんですね」  そう言いながら私は家族で温泉に行った時のことを思いだしました。  私とイスラとゼロスが子ども用浴衣を探しに行っているあいだ、クロードは温泉に浸かって待っていたのです。ハウストはすでに湯上がりの浴衣を着ていたので見守っているだけだと思っていましたが、彼もクロードと温泉に浸かっていたのですね。 「ちちうえ、おんせんつかると『あー』っていうんです。『あー』っていってうえむきます」 「ふふふ、よく観察していますね」 「わたし、ちちうえみたいなまおうになるので」 「え、そこも真似するんですか? それはちょっとおじさんっぽいですよ」  いつも力強い雄々しさを感じさせるハウストですが、温泉に浸かって思わず声がでるというのは、ふふふ、なんだか可笑しい。  初めて出会ったばかりの頃のハウストも素敵でしたが、こうして一緒に年月を重ねたハウストも素敵です。若い頃にはなかった魅力が増したのですよ。  でもクロードはむむっと困惑してしまう。 「おじさん……」  クロードが小さな眉間に困惑の皺を刻んでいます。  あ、その顔はちょっとハウストっぽいですね。  私は可笑しくてクスクス笑いました。  私が笑うとクロードもその時のことを思いだして楽しそうな顔になります。父上と二人で温泉に浸かれて嬉しかったのですね。  でも、ふっとクロードの顔が曇ってしまう。  クロードは視線を落として黙り込んでしまいました。

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