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第六章・レオノーラの目覚め16
「たった一日でこんなに変わってしまうんですね……」
王都にたくさんの避難民が押し寄せています。
その避難民たちを疎ましげに見ている者たちもいました。それは王都に元々暮らしていた魔族です。事情は分かっていても、たくさんの避難民が流入して混乱しているのです。
疲弊と不安によって荒んでいく王都に心が痛みました。
「ブレイラ様、間もなく到着します」
「分かりました」
少しして馬車が停車しました。
馬車の扉が開き、先に降りたコレットに手を差し出されました。
馬車を降りると広がっていた光景に胸が詰まります。
正門からは続々と避難民が王都に入ってきて、その列は途切れることはありません。
正門前にある検問所では避難民がヨーゼフとの接触を確認されているのです。
私はヴェールで顔を隠したまま避難場所に踏み入れました。
この避難場所に入ってから側に控えているコレットと女官たちの警戒が高まります。
そう、この避難場所は先ほどまで視察していた所よりも雰囲気が荒んでいたのです。あちらこちらから怒号や悲痛な泣き声が聞こえていました。
「ブレイラ様、お気を付けください。殺気立っている者が多くいます」
「そうですね……」
ピリピリした空気。人々の苛立ちや怒りや不満が目に見えるようでした。
それもそのはずです。命懸けで避難してきたというのに、検問所で怪物に変貌する可能性を調査されるのですから。
無条件で迎え入れたいけれど、怪物に変貌する可能性がある者がいるのも事実。なかにはヨーゼフと知らずに接触した者もいます。実際に避難場所で突然怪物に変貌してしまう者もいました。
こうして避難場所を見て回っていると、兵士の怒声と子どもが泣き叫ぶ声が聞こえてきます。
「どうして! どうしてお姉ちゃんを連れてくの!?」
「頼むから諦めてくれ! この子はヨーゼフと接触した可能性がある。そっちへ連れていくことはできない!」
「いや! お姉ちゃんを返してよ! 一緒に逃げてきたのに、ひどいよ!!」
そこには避難場所の警備兵と二人の少女がいました。二人は姉妹のようで、離れまいとするようにぎゅっと手を繋いでいます。
しかし警備兵はそれを許さず、お姉さんのほうを連れていこうとしているようです。
「まさか……」
私はその光景に背筋が冷たくなりました。
だって警備兵が少女のお姉さんを連れていこうとしているのは隔離区域。そう、ヨーゼフとの接触を疑われる人々が集められている場所です。
「お願いします! お姉ちゃんを連れていかないで! お姉ちゃんは怪物になんかなりません! だからお願いします!」
「駄目だ、許すことは出来ない! いいから離れるんだ! 君だって見ただろ! さっきも老人が突然怪物に変貌してしまったんだぞ……!」
「うぅっ、でも、でもっ……。うぅ」
警備兵の言葉に少女は唇を噛みしめました。
先ほど人が怪物に変貌したと報告がありました。一度怪物に変貌すれば理性と知性をなくし、ヨーゼフの命じるままに動く怪物となるのです。怪物は兵士に討伐されたと聞きましたが、それでも犠牲は否めません。なによりその怪物だって誰かの親しい隣人だったのです。
お姉さんが泣きそうな顔で少女に話しかけます。
「……泣かないで。私はまだ怪物になったわけじゃないし、大丈夫だから。きっと間違いだって気づいて、すぐに隔離区域からだしてもらえるよ」
「お姉ちゃん……っ。ぐすっ」
「大丈夫。私は怪物にならないよ。ちゃんと帰ってくるからね、待っててね」
「うん、待ってる。私もここで待ってる。うぅ」
お姉さんは最後に少女をぎゅっと抱きしめると警備兵に隔離区域へ連れていかれました。
少女はそれを泣きながら見送って、隔離区域の近くにある避難場所へと身を寄せます。離れていても少しでも近いところにいたいのです。
ああ……、私はその場に膝から崩れ落ちてしまいそうでした。
隔離区域には接触を疑われた人々が入っていきます。そしてそこから逃げるように離れていく者、遠巻きに見つめている者。ここは多くの恐怖と苦悩と悲しみが交差する場所でした。
親しい隣人が突然怪物に変貌するとはそういうことなのです。
「コレット、私はここでなにができますか?」
そう聞いた私の声は微かに震えていました。
コレットが苦渋の顔で首を横に振って、私は震えそうになる指先を握りしめます。
私はなんて無力なんでしょうね。魔界の王妃でありながら、魔界のためになにも出来ないのです。
「ブレイラ様、そろそろ城にお戻りください。これ以上は安全をお約束できる状況ではありません」
「……いつ誰が変貌してしまうか分からないのですね」
無言の肯定でした。
変貌に前触れはありません。いつ誰がどのタイミングで変貌するか分からないのです。ただ怪物になる条件は一つだけ、過去にヨーゼフと接触があるか否かだけ。
ヨーゼフは布教をしながら魔界、人間界、精霊界を旅してまわっていたと聞いています。布教を聞いていなかったとしても、ただすれ違っただけで接触と思われるのです。
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