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第六章・レオノーラの目覚め18

「お願い、お姉ちゃんを殺さないで! お願いします! お願いします……!!」 「下がれ! こうなったら元の姿に戻ることはない! 早く避難しろ!!」 「いや! お姉ちゃんは帰ってくるもん! 帰ってくるって言ってた!!」 「っ、今がどういう時か分かっているのか! 殺されるぞ!!」 「帰ってくるって言ってた! お姉ちゃんはかえってくるもん……!!」  少女は避難しようとせず、怪物になった姉が帰ってくると信じています。  しかし理性を失くした怪物は少女に襲いかかって、取り囲んでいた近衛兵団が呪縛魔法を発動しました。 「ギャアアアアアアアアア!!!!」  頑丈な鎖が幾重にも怪物に絡みついて拘束します。  近衛兵が魔力を高めて呪縛を強化し、そのまま一気に怪物を引き千切ろうとしました。 「やめて! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん!!!!」  少女が泣き叫んで怪物となった姉のもとに行こうとする。その悲痛な姿に胸が張り裂けそうでした。  だって、誰も悪くないのです。  あの怪物となったお姉さんはただヨーゼフと接触しただけ。それはどこかの街ですれ違っただけかもしれないのです。  それなのに、これはあまりに悲しいことでした。 「――――待ってください!」  私は思わず飛び出しました。  近衛兵は邪魔になる私を睨みましたが、被っていたヴェールを脱ぎ捨てます。 「こ、この御方は王妃様だ!!」 「王妃様!? どうしてここに……!!」 「王妃様だ……。な、なぜこんな場所に……」 「どういうことだ、どうして!」  近衛兵たちに動揺が走りました。  少女も「あの御方が、王妃さま……」と驚愕の顔で私を見つめます。  私は少女にそっと笑いかけると、一歩前にでました。  そして近衛兵たちを見つめてお願いします。 「お願いです。待ってください。その異形の怪物は少女のお姉さんなのです」  このお願いが危ういものであることは分かっていました。  でもお願いせずにはいられませんでした。  だってそれはあまりに悲しいこと。お姉さんも、少女も。ここにいる異形の怪物のすべてが。  しかし近衛兵が苦渋の顔で私に意見します。 「……王妃様、お言葉ですがそれはなりません。ここにいる怪物を放置すれば王都は破壊され、多くの魔族が殺されます。王妃様の身を危険にさらすことにもなるでしょう。どうかご理解ください」 「分かっています。でもこの怪物だって魔族じゃないですか! あなた方と同じ魔族です!」 「それは存じています。ですが元に戻す方法がない以上、この魔界から排除せねばなりません! 怪物に変貌すれば最後、もはや魔族ではなくなるのです!」 「それはっ……」  反論したいのに言葉が出てこない。  この近衛兵たちだって分かっているのです。分かっているから覚悟を決めて剣を握っているのです。  魔界を守るということは決して綺麗なだけではない現実がありました。 「……それは、それはよく分かっています。でも……」  私は泣きじゃくる少女を見つめました。  少女は私を縋るように見つめ、その場に崩れ落ちるようにひれ伏します。 「王妃様、どうかお姉ちゃんを助けてください! お姉ちゃんはとっても優しいんです! いつもにこにこしてて、料理が上手で、勉強はちょっと苦手だけど、負けず嫌いだから一生懸命がんばってて、わたしの、わたしの自慢のお姉ちゃんなんです……っ。お願いします! わたしのお姉ちゃんを殺さないでください! お願いします! お願いします!」 「王妃様、どうかご理解ください! 魔界を守らなければなりません!」  少女の懇願を遮るようにして近衛兵が声を上げました。  少女の懇願と近衛兵の覚悟。どちらが正しいかなんて私には分かりません。  でも今ここにある非常な現実は心が千切れそうなほど哀れなものでした。  この少女と怪物になったお姉さんだけではありません。他にも引き裂かれた夫、妻、息子、娘、母、父、老人、子ども、たくさんの、たくさんの……。 「――――異形の怪物を哀れに思うか?」 「デルバート様……!?」  ふと背後からデルバートに声をかけられました。  どうしてここにデルバートが……。  でも驚く私に構わずデルバートが淡々と続けます。 「あの少女を、異形の怪物を、ここで絶望するすべての者を哀れに思い、それを救いたいと思うか?」  私を見据えて紡がれた言葉。  意図は分かりません。でも問われた言葉に対する気持ちは一つ。 「はい。救う方法があるというなら」 「そうか。ならば祈るといい。お前の祈りは聞き届けられる」  そう言ってデルバートが私の前に握りしめた拳を差し出しました。  ゆっくりと手が開いて、そこにあったのは――――祈り石。 「デルバート様、これはっ……」 「レオノーラの祈り石だ。魔界の南にある洞窟にはレオノーラの祈り石がある。お前たちも知っているだろう」 「そ、それは分かっています。しかし、どうして今これを私に……」  動揺しました。現在まである祈り石はレオノーラが最後に残した祈り石。デルバートはそれを持っていたのです。  でもそれは充分あり得ることでした。なぜなら南の洞窟に魔力を無効化する仕掛けを施したのは初代魔王デルバートです。デルバートなら現在唯一残っていた祈り石を手に入れるのは造作もないことでした。  しかし、それをどうして私に……。 「この祈り石は魔力無しの人間にしか扱えない。その中で、お前の祈りは誰よりも石に届くものだ。それはお前も分かっているはずだ」 「っ……」  息を飲みました。  それは私自身が身をもって知っている事実でした。  ハウスト、イスラ、ゼロス、クロード、私の愛する人を守ってくれたのは祈り石です。それは私の祈りによって発動した奇跡でした。

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