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第六章・レオノーラの目覚め20
「王妃様、この怪物も助けてください! この怪物は私の夫なんです!!」
「王妃様、あちらの怪物もお願いします! これは私の娘です!」
「あれは私の息子なんですっ。まだ幼い子どもなのに怪物になってしまってっ。どうか、どうかお救いください……!」
奇跡を目にした民衆が涙ながらに私に訴えました。
それはあっという間に人々に広がって、われもわれもと縋ります。
「み、みなさん、待ってください。待って……っ」
困惑しました。
声が微かに震えて全身から血の気が引いてしまう。
奇跡を求める民衆は藁にもすがるような必死さで、もみくちゃにされるような勢いに恐怖を覚えるほど。私を逃してなるまいと民衆が手を伸ばします。
平常時なら民衆は節度を守り、決して王妃である私に触れようとすることはありません。でも今、目の前の希望を逃すまいとするような真顔の形相だったのです。
「離れろ! 不敬だぞっ、王妃様と知ってのことか!」
「王妃様に触れることは許されない!」
近衛兵が民衆を遠ざけようとしてくれます。
コレットや女官たちも私の盾となって庇ってくれます。
「ブレイラ様、お下がりください。このままではいけません」
「は、はい」
私は庇われるまま一歩下がりました。
でも、くいっと足元から引っ張られる感覚。
見ると老婆が地面にひれ伏して私のローブの裾を握りしめていました。
「お願いします、孫を助けてください! お願いします、お願いします……!」
尊ぶようにひれ伏しながらも、私のローブを強く握りしめています。この希望を逃すまいとするように強く。
いいえ、この老婆だけではありません。
逃がさない。逃がさない。逃がさない。逃がさない。逃がさない。逃がさない。
私を見つめる民衆の目は血走って、この希望を逃してなるものかと訴えている。
深い絶望にいたからこそ、見えてしまった希望は劇薬なのです。
その強烈な感情に圧倒されて呼吸が詰まる。息苦しいくらいに。
怖いです。このうねりのような民衆の感情が。飲み込まれてめちゃくちゃになってしまいそう。
でも、その強烈な思いは民衆の絶望の深さでした。ここで縋る民衆は、ただ救われたいだけなのです。
「ブレイラ様、早くお下がりください!」
コレットが鋭い口調で言いました。
これ以上民衆を押さえることが難しくなったのです。
ありがとうございます。私の身を思ってくれているのですね。
でもね、ここにいる民衆はただ救われたいだけ。大切な人を救いたいだけ。
「コレット、私は大丈夫ですから下がってください」
「ブレイラ様、しかしっ……」
「分かっています。分かっているのです。でも今、なにもせずにいることはできません」
「ブレイラ様……」
「大丈夫ですよ」
私は安心させるようにコレットに笑いかけ、私を取り囲む民衆を見つめました。
私にどこまで出来るか分かりません。
しかし今、私の視界に映るすべての人々を絶望から救いたい。
希望になるなどという大それたことは思いません。ただ、ただ哀れに思ったのです。だから悲しいというなら慰めを、苦しいというなら癒しを、絶望にいるというなら……祈りを。
私は隔離区域にいる異形の怪物を見回しました。
千体を越える怪物。そのひとつひとつに家族がいて、友人がいて、恋人がいて、叶えたい夢があって、守りたいものがある。それらを断ち切ってはいけないのです。
「ここにいるあなた方のために祈ります。あなた方が絶望から救われますように」
強く祈った瞬間、祈り石から強烈な光が放たれました。
それは王都全体をまばゆい光で包みこみ、暴れていた怪物がぴたりと動きを止めました。
光を浴びた怪物は空を仰ぎ見る。その巨体がみるみる姿を変えていきます。そう、元の姿に。
隔離区域に大量に出現した異形の怪物がすべて元の姿に戻ったのです。
人々は涙を流して歓喜しました。
民衆は奇跡に熱狂し、空を仰いで打ち震えています。
私はその光景に安堵したけれど、……くらり。
「う、デルバートさま……」
眩暈がして膝から崩れ落ちました。
デルバートに腰を抱かれて支えられたけれど、足に力が入りません。
「少し眠るといい。疲れただけだ」
「ぅ……っ…………」
急激に意識が遠のいていく。
言葉を発するのも億劫で、瞼が強制的に落ちてきます。
でも耳には民衆の歓喜が聞こえていました。
ハウスト、あなたの愛する魔族の歓喜ですよ。
私の祈りはすべてハウスト、あなたのためのもの。
だからどうか、どうか喜んでくださいね…………。
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