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第七章・レオノーラの目覚め ~悠久を越えた誓い~12
「行くんですね」
私はハウストの背中を見つめて言いました。
鍛えられた背中は筋骨隆々としています。でも今、その背中には爪痕が三カ所。私にだけつけることが許されている傷跡です。
その傷跡をじっと見つめていると、ふとハウストが振り返ります。
「このままここで朝を迎えたいが」
そう言ってハウストが私に覆いかぶさって、唇に触れるだけの口付けを一つ。
そのまま目元と鼻先に口付けて、最後にまた唇に口付けてくれました。そして見つめあったまま名残り惜しげに彼が離れていく。
「離れがたく思ってくれているだけで充分ですよ」
「物分かりがいいな。もっとねだれよ」
「そんなことしたら困るくせに」
「困らせろ。お前だけに許していることだ」
「ふふふ、ありがとうございます。でも私を王妃にしたのはあなたでしょう。あなたが賢帝と名高い魔王なら、私もそれに相応しい王妃でありたいと思います」
「そうか」
ハウストは息を漏らす。
私の額に額をあてて、呼吸が届く距離で見つめあいました。
互いの瞳を覗きこんで、彼の瞳に映る私を見つめます。
あなた、私を愛してくれているのですね。かつて私を忘れてしまったこともあったけれど、それでも私を愛してくれました。
「お見送りさせてください」
「頼む」
名残り惜しいけれど、私たちはベッドから起きました。
ハウストのシャツを広げて後ろから腕を通させます。
ハウストの着替えを手伝いながら彼の横顔を見つめました。
四界の現状は危ういものです。私の前では深刻な顔を見せないけれど、その心の内はひどく苦悩していることでしょう。あなたは魔界を愛しているから。
着替えているハウストに話しかけます。
「ハウスト」
「なんだ」
「私にできることはありませんか?」
ハウストの着替えの手が止まりました。
そして私を振り返ります。
「ブレイラ、お前がそれを考えるのはやめてくれ」
「でも、私は祈り石を」
「やめろ」
強い口調で遮られました。
驚いた私にハウストが「悪い……」と謝りました。
でも私に言い聞かせるように続けます。
「お前が祈り石を使えば異形の怪物を元の姿に戻せることは分かっている。だが、すべては救えない。王都で示した力以上のものを行使すれば、今度はお前の体がもたないだろう。そうなれば結局すべてを救えない。それは分かるな?」
「そうですが、私は……」
「駄目だ。お前は祈り石を使わなくていいんだ。決して使うな。誰かを救おうとするな。すべてを救えないなら、それは意味がないからだ。それどころか新たな争いを生むだろう」
「……そうですね。きっと余計な混乱を起こしてしまいます」
ハウストの言う通りでした。
今の私が祈り石を使っても、すべての怪物を元の姿に戻すことはできないでしょう。私の体が限界だからです。
それどころか、誰を救い、誰を救わないのか、そんな選択が迫られます。その私の選択によって新たな混乱と争いが生じてしまうことでしょう。それこそ星の終焉の前に、人が人の手によって滅びてしまうような争いです。
私が納得するとハウストが安心したように頷きました。
「分かってくれてありがとう」
「心配をかけてごめんなさい」
「俺こそ厳しいことを言った。悪かった」
「謝らないでください。あなたの言葉は正しいものでした」
「ブレイラ……」
ハウストの手が私の頬を撫でました。
私はハウストの手のひらに頬を寄せ、彼を見つめて笑いかけます。
「今も王都にはたくさんの魔族が避難してきています。彼らのために働いてください。あなたは魔王、あなたを誇りに思います」
「ああ」
ハウストも優しく笑い返してくれました。
ハウストは手早く身支度をし、寝所の扉へ向かって歩きだす。
見送るために私も後に続きました。
ハウストが扉を出て行こうとした、その寸前。
「ハウスト」
たまらずにハウストの背中に抱きつきました。
ハウストの広い背中に顔をうずめて、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そして。
「愛しています。あなたのこと、愛しています」
「ブレイラ?」
ハウストが驚いて振り返ろうとしましたが、その前に彼の背中をそっと押しました。
私から離れたハウストに優しく微笑む。
「みながあなたを待っています。いってらっしゃい」
「ブレイラ……」
「いってらっしゃい」
もう一度言って、笑いかけて、またそっと背中を押しました。
「行ってください」
「だが……」
「時間がありません」
ハウストは訝しげに私を見ました。
でも彼が何かを言う前に側近士官がハウストを迎えに来ます。
士官たちの報告にハウストは私を気にしつつも執務室へ歩いていきました。
ハウストが見えなくなって、私は長いため息をつく。
……なにも言えませんでした。
本当は言うべきだったかもしれません。ハウストは私を愛しているから、だから私は話すべきだったかもしれません。
でもね、あなたが私を愛して、私を王妃にしたから言えませんでした。
「ハウスト……」
私はハウストが立ち去った方をじっと見つめます。
あなたは行かなくてはなりません。
だってあなたは当代魔王。それは今を生きるすべての魔族の保護者であるということ。あなたは魔界と魔族を守らなければならないのです。
そしてそんなあなたを私も愛しているのですから。
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