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第3話

「ああ、薔薇を取ってきてくれたんですか、ありがとう」  椅子に座って何やら書き物をしていたアンドレイが、ちらりとゼノンを振り返ってそう言った。 「うん、大きい花を選んで毟った」  ゼノンは彼に歩み寄り、黒衣の背にこぼれた見事な銀の髪を撫で、そっと彼の肩口に顔を寄せる。薔薇よりも甘いアンドレイの香りが、ゼノンの鼻腔をくすぐった。 「アンドレイ、何してるの」 「教区の方々の名簿の見直しです。オアシスの外れあたりに住んでる方は、この教会が担当する信者さん達なので」 「ふうん」  ゼノンは生返事をして、アンドレイの眼鏡の弦つるを咥えてそれを外した。 「いつも果物を持ってきてくださるおばあさんもそうですよ。この名簿に載っている、教区の方です」 「そうなんだ」  首筋に顔をうずめてじゃれ付きながら、ゼノンは手にしていた黒薔薇の花びらを一枚千切り、アンドレイの口元に運んだ。彼が話を真面目に聞いている様子は見られなかった。 「はい、あーん」 「どうも」  アンドレイが、素直に口を開けてそれを咀嚼する。 「美味しい?」 「摘んですぐが一番美味しいですが、まあまあですね」 「はい」  再び口元に運ばれた薔薇の花びらを、再びアンドレイが口に含んだ。それからゼノンの顔を引き寄せ、薔薇の香りの残る唇を彼のそれに重ねた。 「んっ」  思わず声を漏らし、ゼノンが目をつぶる。突然舌先を舐められ、強い痺れが全身に走った。 「どうしたんです、ゼノさん」  からかうように笑ったアンドレイの腕を強く引き、ゼノンは性急に彼を立ち上がらせた。美しい紅色の瞳をじっと見つめ、ゼノンは小さな声で呟く。 「アンドレイはいつもいい香りがする」 「…………」  二人は再び体を寄せ合い、飽きることなく唇を貪り合った。躰を撫でまわすゼノンの指に引っかかり、一つに結んだアンドレイの髪がほどけて、光の飛沫のように散らばる。  服の下で昂りを主張し、愛撫を強請っているゼノンのものに指を這わせ、アンドレイが紅の目を細めた。そのまま長い指を彼の服の下に潜らせ、たくましい背中をなぞって誘うようなため息をつく。  やわやわと責めたてられたゼノンが頬を紅潮させ、切なげな声で恋人の名を呼んだ。 「アンドレイ」 「…………」 「あの、僕、それされると反応しちゃうから、やめ、あ……」  アンドレイに無言で耳たぶを噛まれ、ゼノンはびくりと肩を震わせた。赤い舌先が、今度は耳たぶをそっとなぞる。 「あ、あの、あの、アンドレイ」  ゼノンは身を震わせ、痩せた背中に思い切り抱き付きながら言った。 「いいの?」  返事はない。『啼かずの戒律』は、もう始まっているようだ。  首まで真っ赤にしながら、ゼノンはいそいそとアンドレイの上着に手をかけた。 「じ、じゃあ、え、遠慮なく……はい」       「あ、ああ、ごめん、もういっちゃう……よ……」  アンドレイのしなやかな体を組み敷いたゼノンが、胸から汗を滴らせて半泣きで言った。 「ちょっと待って、一緒に……」  涙目でアンドレイのものをそっと大きな手で包み込み、上下に優しく扱く。アンドレイがゼノンの肩口に縋り付いたまま歯を食いしばり、全身をこわばらせた。快感をこらえて声を出すまいと必死の艶かしい姿に、ゼノンの努力がもろくも崩壊してゆく。 「ご、ごめん……」  ガタガタと突っ張る腕を震わせながら吐精を終え、ゼノンが横たわるアンドレイをぎゅうっと抱きしめた。敷布の上に散る細工物のような髪に頬ずりをし、薄くあいた唇に接吻をして、意を決したように体を起こす。 「はい、アンドレイも良くしてあげるね」 「!」  とっさに閉じようとした脚を苦も無くこじ開け、その間に顔をうずめながらゼノンは優しい声で言った。 「気にしないで僕の口に出していいよ。何なら、大声出してもいいから。あ、もうすごく大きくなってるね、ふふっ」  言いながら口を開け、ゼノンはそれにゆっくりと舌を這わせた。アンドレイが右手で枕を掴み、左手の甲を思い切り噛んで、必死に声を殺す。 「ん……」  ゼノンが形の良い眉を顰め、深く咥えた物をゆっくりと責めたてた。 「……っ」   動きを早めたせいだろう。ゼノンの分厚い胸板が激しく上下する。わななくアンドレイの脚をたくましい腕で押さえつけ、ややして彼はごくりと喉仏を上下させた。 「アンドレイ」  顔を上げ、ゼノンが子犬のように唇を舐める。 「なんか、アンドレイってどこもかしこも甘いんだよね。お花しか食べないからかな」  アンドレイが口元を手の甲で拭い、よろよろと半身を起こす。それからゼノンの頭を引き寄せて、愛おしげに口づけをした。白く長い指で短い髪を撫で、アンドレイはしばらく恋人の頭を抱きつづけていた。 「ねえ、ゼノさん」 「ん?」  ゼノンが、うっとりした声で答える。 「今日はグーグー眠りこける前に体を洗ってきてくださいね。まだ日も高いですし。さ、どうぞ」  突然どん、と突き飛ばされ、ゼノンの大きな体がごろりと寝台に転がる。 「わぁ!」  先ほどまでの柔らかな表情はどこへやら、ゼノンを転がしたアンドレイの秀麗な表には、すでになんの表情も浮かんでいなかった。 「さて、仕事」  アンドレイはそう呟くと、光の速さで眼鏡をかけ直して上着を羽織り、ズボンを履いて、靴に足をねじ込んだ。 「え! 何それ! もっといちゃつこうよ、いちゃつくんじゃないの!?」  涙目で抗議するゼノンを鼻で笑い、アンドレイが言う。 「もうそれほど若くないので、疲れました」 「えぇ……!?」 「32ですよ、私。手加減してくださいよ、全く……1日2回なんて体がおかしくなりそうだ」  言いながら、アンドレイは壁の姿身を覗き込んだ。寝乱れた髪を手ぐしで直し、懐から出した布で顔の涙の痕を念入りに拭きとると、彼は未練も見せずにすたすたと寝室を出て行った。 「なんだよ……」  不満げに言いながら、ゼノンは指先でそっと自分の唇に触れる。先ほどまでの余韻を味わうようにゆっくりと輪郭をなぞり、彼は満たされた表情で目をつぶった。

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