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第7話

「んー・・・・」 目の前に広がる山を仁王立ちで見る。 屋敷の北門は、門構えはあるが扉はない。一歩出れば山だ。 少し先に社へ続く長い階段がある。この階段はすでに三度ほど登った。 俺は山を睨んで悩んでいる。 庭の図鑑が完成した今、屋敷にとどまることは退屈だ。それでも要が屋敷の外にはでないようにと毎日のように言ってくるので、図鑑が完成したあとも数日は我慢していた。 しかし、限界だ。この山を見ろ。緑のなんて濃いことだろうか。階段沿いは竹藪になっているが、竹をぬけると、楠、松、杉と様々な木々が山を覆っている。 山は俺を呼んでいる。要の執着を恐れて、家に留まっていることなど、根っからの植物学者にできるはずもない。要もわかってくれるだろう。だって、俺は俺だし。転生したって月島蒼は月島蒼なのだから。 「よし、行こう」 筆と白紙のみの本、水差しと昼飯を風呂敷につつんで、肩からさげる。 この山は人の世界へ続く扉がある神域となっているので、要と俺以外は入ることを禁止されている。だから、他の鬼に襲われることもないし、階段から離れなければ迷うこともない。 もしかしたら新しい種類の仙花(せんか)が見つかるかもしれない。 そう思うと、わくわくした気持ちを抑えきれず、俺は足取りも軽く屋敷を後にした。 竹藪から離れても階段は見えるので、少しだけ外れた場所を念入りに観察しながら上へ登っていく。 「山菜たくさんあるな~」 ゼンマイはそこらじゅうでとれるし、フキ、タラの芽、ヤマモモなんかもある。うーむ。これは次回は籠を持ってきた方がいいかもしれない。天ぷらにしたらおいしそうだ。 少し向こうに赤松があるのをみつける。根元を探して歩くと、あった!松茸だ! 「いい香りだな~」 松茸は持ち帰りたいので、フキの葉でくるんで少しだけ取る。松茸は要も喜ぶだろう。 神域で山菜を取っていいのだろうか?と脳裏によぎったが、閂の番の特権ということにする。 ずっと中腰で練り歩いていたので、腰が痛くなり、立ち上がって伸びをする。 ふと、少し遠くに陽だまりがあるのを見つけた。高木が無くなっている部分があるらしい。 近づいていく。陽だまりめがけて夢中で歩いて行く。 視界が開けると、一気に満開の四季桜の群れが広がった。 「美しいな・・・・」 山は気温が下がるので、咲いているのだろう。 ずっと薄暗い森の中を歩いていたので、そのピンクの鮮やかさが目にしみる。 「あ!」 四季桜の群れの中に、異様な雰囲気を醸し出している一本が目にとまった。 急いで近づいていく。木全体がほんのりと輝きを放っている。仙花だ。桜の仙花を見つけた。 なんという美しさだろう。庭でみつけたスズランと同様、こちらも花弁がピンクだけではなく、薄い青、薄い緑、オレンジ、黄色、と様々な色で咲き乱れている。よく見ると薄い紫、白もある。七色と表現してもいいかもしれない。 体が疲れてきていたので、その仙花の桜の下に布を引く。 一口水を飲むと、生き返るようだった。昼飯のおにぎりをたいらげてごろんと横になる。 日が差し込むので、この辺りは暖かい。 ほろほろと輝く四季桜をしばらく眺めた後、体を起こして、図鑑を作成した。 書き終わってもまだ離れがたく、またごろりと横になって四季桜を眺める。 🔷 カーカーカー カラスの鳴き声と羽ばたきの音を聞いて我に返る。 どれくらい四季桜を眺めていたのだろう。手にあたる陽に茜が混ざっているのを見て焦る。 時間を忘れてしまった。もうすぐ日が暮れる。急いで帰らなくては。 四季桜の群れを背にして、山に入る。 俺は絶句して立ち止まった。見えない。竹藪が見えない。もちろん、階段も見えなかった。 「しまった・・・」 やってしまった。夢中で散策しているうちに、階段から大きくそれてしまっていたらしい。 仕方なく、下りになっている方へ歩いていく。屋敷は山のふもとだ。下っていけば辿りつけるだろう。俺の感覚だと、階段からもそこまで離れていないはずだし。 夕日の位置が確認できたので、南がわかった。屋敷は山の南側だ。南と下っていることに注意して判断していけば、辿りづくだろう。 🔷 ワオーン 遠くで何者かの遠吠えが上がったのを聞いて、さすがに冷汗が出る。 しばらく歩いたものの、竹藪にたどり着けない。完全に道を失ったらしい。 夕日がもう間もなく落ちる。暗闇の中を歩くことは無理だろう。野宿できそうな場所を見つけた方がいいかもしれない。 焦っていると、大きな楠に出くわした。ありがたい、根の間に座りやすそうな場所をみつける。 陽がすっかり落ちると、山は真っ暗だった。月明かりが少ない。残念なことに新月らしい。 何もすることがないと、急に空腹感が増してきた。 要が迎えに来てくれないだろうか、と思う。 「GPSはさすがにないか・・・・」 前の世界だったら、GPSを辿って要が迎えに来てくれたかもしれない。でも、鬼の世界は機械というものは無い。電気も発明されていない。と思う。 まさか、GPSがあったらよかったと思う日が来るとは。要のストーカー行為も、意外に役に立っていたのかもしれない、と思って苦笑する。 仕方ないから、寝てしまおう。そう思った時、ガサっと葉が揺れた。 「要?」 もしかして、と思ったが、ギラッと光る二つの目と、口から長く垂れた赤い舌が見えた。 狼だ。 慌てて木に上ろうとするが、楠は太すぎて登れない。 ハァハァという息遣いと共に、狼が近づいてくる。しかも、一匹だけじゃない。数匹いるらしい。 さすがにまずい。 一息飲んで駆け出すと、それを合図に狼の群れが襲って来た。 やられる!そう思って身をかがめたその時、黒い影が立ち上り、とびかかってきた狼を殴りとばした。 群れで襲いかかる狼をその影が蹴散らしていく。 かなわないと悟ったのか、しばらくすると、狼は首を垂れて山の中へ消えていった。 俺はその光景をただ唖然と、尻もちをついて見ていた。 狼を追い払った影が近づいて来る。 要だ、要の形をしている。しかし、目も鼻も口も無い・・・ただ真っ黒の影。 あまりの恐怖に後づさりする。 すると、影はぴたっと止まった。 しばらくにらみ合うものの、影が動く気配はない。 「おまえ・・・か・・・かなめなのか?」 久しぶりに出した声は、震えていた。 影がコクンと頷く。 どうやら話が通じるらしい。 「俺を、屋敷へ連れて帰れるか?」 影が再びコクンと頷き、俺を抱きかかえた。 影が山の中をさっそうと駆け抜けるので、俺は振り落とされないように影にしがみついた。 要の感触だ。真っ黒ではあるが、ほのかに暖かい人のぬくもりを感じるし、匂いもある。服であろう部分は布の手触りさえする。不思議な影だ。 「屋敷だ!」 遠くに屋敷が見えてほっとする。助かった。 風呂に入りたいし、水も飲みたい。腹も減った。安心すると欲が出てきた。 門をくぐると、影は俺を下ろし、持ち主のところへ帰っていった。 「あの・・・その・・・気づいたら、迷ってて・・・・」 狼も怖かったが、目の前で仁王立ちしてこちらを睨んでくる鬼の要はさらに怖い。 「姫様!」 何も言わない要の後ろから梅と重がすっ飛んできた。 「まぁまぁ、切り傷が。ささ、はやく湯に入ってくださいませ」 「ありがとう、その前に水もらえる?喉もカラカラでさ」 梅に促されて風呂場へ向かう。すれ違う要の顔にもう怒りはなかった。ただ、どこか擦り切れたように疲れた顔をしていたのが、俺の不安を掻き立てた。

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