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第20話
「何か釣れた?」
足をくじいてしまった紅葉をお陽が背負って家へ帰った。軽々紅葉を抱える辺り、さすがお陽だ。俺のお供はこういう強い鬼がいいと思う。
握り飯を口にしなかった紅葉のために、梅に昼食を用意してもらい、俺たちは茶をすすった。
紅葉の提案で、午後は香遊びをすることになったのだが、雪音は釣りをすると言って出て行ってしまったのだった。
「香遊びに飽きたのかい?」
「まあね、それなりに楽しかったよ。香の原料の話を聞いてる間だけだけど」
「蒼らしいね」
雪音の隣に腰をおろす。池は静かだ。雪音が釣る気がないのを魚もわかっているのかもしれない。
「さて、紅葉をどうしたものかな」
雪音の顔色を伺うが、表情が読めない。こうやってまじかで見ると、やはり美しいなと思う。
白い肌、鍛えられた長い四肢、色気のある首筋。
紅葉は可愛らしいが、やはり、雪音に美しさで敵う 鬼はいないように思える。
「私のあずかり知るところではないよ。左京が決めることだ」
「左京に丸投げするわけだ。逃げるが勝ちだね」
「なんとでも言うといい。鬼の世界に疎 い蒼でもさすがにわかるだろう?私が左京の番として誰からも望まれていないということが。紅葉の家柄は確かだよ。私よりも紅葉を番にするべきだろう。左京もわかっているだろうに。焔 一族の長としてすべきことは何か。分かり切ったことだ」
「すべきことねぇ・・・・」
ぽちゃんと魚が遠くで跳ねる。波紋がゆっくりとこちらへ伸びてくる。
「『すべき』に囚われて、俺も時々やり方を間違える」
ずっと遠くを見ていた雪音が少しだけこちらに視線を寄越したのを感じる。
逆に俺は遠くに視線を向ける。人だった頃を思い出す。
俺は万能でも天才でもない。失敗をたくさん繰り返してきた。研究もそうだが、要についても同じだ。
俺なんかが要を幸せにすることなんてできない。要から離れるべきだ。何度もそう思った。
でも、それは間違った方法だった。そんなやり方で要を幸せにはできなかった。
「『したい』が最初にあって、次に『すべき』が来るんだ。『すべき』に囚われると、そちらが先になってしまう。大切なのは雪音が『どうしたいか』だと、俺は思うよ」
俺の言葉を反芻するように、雪音が池に浮いた浮きを見つめる。
しばしの沈黙が流れた後、ため息と共に雪音が口を開いた。
「私に何かしたいと言う権利などないよ」
大切なものを諦めた顔だった。生い立ちを考えるに、きっといろいろなものを諦めてきたのだろう。
「私の母は番ではなかった。子供の頃はそのことを恨んだりもしたけれど、母が毒を盛られて死んで、なぜ父が母を番にせずに手元に置いていたのか悟ったよ。父は母を他の番から受ける嫉妬から守っていたんだ。それなのに私は、そんなことも知らず、剣の才も学の才も他の兄弟よりもあることを誇りに思っていた。母が毒を盛られたのは、私が何も悟ることのできない愚かな鬼だったからだ」
「毒?雪音の母親は毒で死んだの?毒味はしなかったの?」
驚きつつも、頭を働かせる。
それだけ警戒していたのに、毒味がいないのはおかしい。毒味に裏切られたのだろうか。
「毒味役なんているわけないだろう?囚人を買うのには莫大なお金がかかるし、管理も大変だからね。よほどのことがない限り毒味なんてしないよ。蒼だって、毒味役なんて持っていないだろうに」
驚きの表情を隠すように下を向く。
左京は今朝、毒味役から報告があったと言っていた。ということは雪音のために囚人を買い、毒味役を持っているということだ。そういうことも含めて、全部わかった上で雪音を番にしているのだ。
雪音と共に幸せになるという覚悟が、左京にはあるということだ。
「だからさ、次は間違えたくないんだよ。私のせいで、左京が苦しむのは見たくない」
「左京はもうずっと苦しんでるじゃん。雪音が愛に応えてくれなくて」
「それは・・・・一時の気の迷いだろう。時間が立てば忘れられる。紅葉を番にすれば、今は苦しくとも、未来は幸せになれる。でも、私が番でいれば、左京はずっと苦しむことになる」
「本当にそう思うの?雪音はさ、左京を幸せにしたいんでしょう?ならすべきことは、簡単だと思うけど」
「そう。私がすべきなのは離縁だ」
悲しみの色すら見せず、淡白にそう言う雪音に、苦い思いがよぎる。
「楽な道の先に、幸福はないよ」
左京と離縁して幸せを願う道、左京と共に幸せになれるよう足掻 く道。
雪音は離縁の道を、左京は足掻く道を進んでいる。
俺も離れる道を選んだ。それが一番簡単だった。きっとそれで要は幸せになれると思った。
でも、要は共に歩む道を選び、俺を離さなかった。自分の全てを使って、俺を奪いに来た。
それはきっと、とんでもなく険しい道だっただろうに。
左京はどうするだろう。
ふと、後ろに気配を感じて振り返る。
紅葉が湯呑を二つ乗せた盆を持ってこちらへ歩いてくる。
喉が渇いていたので、ちょうどいい。
「お二人とも、梅がお茶を淹れてくれたので、お持ちしましたよ」
紅葉が盆を置き、湯呑を手渡してくる。
一連の仕草に品を感じる。家柄の良さだろう。
「ありがとう。足の具合はどう?」
「ご心配をおかけしました。腫れが引いてきたようです」
湯呑には暖かい緑茶が淹れられていた。
紅葉が雪音にも湯呑を渡す。雪音が軽く会釈して受け取った。
ふと、雪音の方から花の香りがした。
あぁ、そういうことか、と思う。
左京、食えないやつだ。さすが要の補佐をしているだけはある。
「あぁ、湯呑が違うな。そっちが俺のだ」
雪音の湯呑と俺の湯呑を交換する。
「いただきます」
紅葉が慌てて立ち上がる。
「蒼姫様!」
紅葉の手が届くより先に、俺はお茶を口に含んだ。
一口なら、死にはしないだろう。
紅葉が俺の手から湯呑を叩き落とす。
突然のできごとに雪音が目を見開き、珍しく微動だにできずにいる。
ふと、吐き気がこみあげてきた。
腹から出てきたものを池に吐き出す。
眩暈がする。水仙の毒って結構効くんだなと思いつつ、そのまま意識を失った振りをして寝そべった。
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悲鳴をあげた紅葉に、我に返った雪音が急いで要達のところへ走った。
お陽がやってきて、俺を抱き上げ、寝所へ寝かせてくれた。
意識を失った振りをし続けようと思ったが、吐き気がひどく、そんなどころじゃなくなり、俺は吐きまくった。
紅葉は逃げ出そうとしたらしいが、雪音に捕まり、今は牢屋に入れられている。
吐きながらも、この家に牢屋があることを知り、要が本気で俺を牢屋に入れることを考えていたのではないかと気が付いて寒気がした。毒よりもそっちの方が怖いよ!
吐いては水を飲み、また吐く。しばらくそれを繰り返すと症状が落ち着いてきた。
「紅葉のやつ、かなりの量の水仙いれたなぁ」
「蒼、すまない。私に盛られた毒だというのに」
雪音が青ざめた顔をしている。
「もう大丈夫だから」
さっきから俺から一ミリも離れようとしない要に寄り掛かる。
「蒼、肝が冷えましたよ」
俺よりも元気がなくなってしまった要の頭をなでる。
「左京、雪音に毒の話をするべきだと思う。朝餉に入ってたのも水仙の毒なら紅葉が犯人だろうけど、もし他の毒なら、犯人が別にいる可能性もある」
「朝餉に毒?どういうことだい、左京?」
雪音が面食らったように左京を見る。
左京は眉間に皺を寄せている。
「左京、答えなさい!」
雪音が左京に掴みかかる。
「雪音殿の朝餉に毒があり、毒味役が倒れたのです」
渋い顔をして、左京が呟くように言った。
「毒味役?なんのことです?私は知らない・・・お前は何をして・・・・」
「・・・・」
「もういい。これ以上はもういい。左京、離縁しよう。これ以上苦しむ必要がどこにある?もうたくさんだ!」
雪音が声を荒げる。
その雪音の両手を左京ががっしりと掴む。まるで掴んで離さないと言うかのように。
「お母上が毒で倒れたことは知っています。父は愛していながら、番の地位すら与えられなかった。俺は、ずっと考えていました。どうしたらあなたと幸せになれるのかと。
雪音殿、あなたを一目見て俺は恋に落ちました。
子供の頃は、ただあなたが好きで、時間があればあなたに会いに行った。
成長して、あなたのことを知り、家のことを知り、あなたを番にすることの難しさを知りました。それでも俺は、あなたがた欲しかった。だから血のにじむような努力をして一族の長になった。
あなたならわかるでしょう?
俺には剣の才も学の才もないことを。それでも、あなたが欲しくて、努力をしたのです。
ですが、長になった後も、俺は悩み続けました。あなたを番にすれば、あなたを危険にさらすことになる。あなたの母上や父上と同じ道を歩むわけにはいかない。
そんな時、要が閂になり、俺と右近が補佐役になりました。三人で酒を酌み交わしていた時です。右近が「どんな鬼を番にしたい?」と言いました。要は「もう決まっている」と言い、俺はそんな要をうらやましく思いました。何も言わずに通そうと思っていたのに、右近がしつこく言うので、俺は「俺より強くて美しい鬼がいい」と答えました。すると右近が笑って言ったのです。「それはおもしろい。左京が番にすがっているところをみてみたい」と。そうか、と思いました。俺のような出来損ないが、雪音殿を自分の力だけで幸せにすることなどできないのだと。
雪音殿、どうか、どうか、俺と共に生きてください。
あなたを危険にさらす道を選ぶ愚かな俺をお許しください。
それでも俺は、あなたと生きたい。すがってでも、俺は、あなたを愛し続けていたい」
左京が雪音の手を離し、静かに膝をつき、頭を床にこすりつける。
あの気位の高い左京が土下座をしている。必死に願い、すがっている。
雪音は手で口を覆い、驚きで何も言えないようだった。
ただただ、土下座をする左京を見下ろしている。
「俺に、あなたをください」
雪音の目から涙が流れ落ちる。透明で美しい涙だ。
雪音がそっと膝をつき、左京に触れる。
「なんとおろかな弟だろうか」
「おろかな弟をお許しください。それでも俺は、諦められない」
「しようのない弟だ」
「どうか、どうか、情けでもいい。どうか、俺の物に」
「何を言っているのだか。もうずっと昔から、私はお前の物であろうに」
左京が顔をあげる。
ふっと雪音の顔に笑みがこぼれると、左京が雪音を抱きしめた。
「お慕いしております。あなたが思うよりも、ずっと、ずっと」
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