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第32話

温室は巨大だった。敷地内は所狭しと植物が生い茂り、遊歩道がクネクネと曲がっている。 要と二人で過ごした植物園を思い出す。一緒に来たかったなぁ。 「蒼は植物が好きなんだね。顔がほころんでる。可愛いな」 キョロキョロと初めて来る植物園を見まわしていたら、周瑜が視界の中に入ってきた。 俺は慌てて、ほころんでいた顔を引き締める。 「あぁ、無邪気に喜んでいた顔が消えちゃった」 「うるさいやつだな」 周瑜を睨んで、他の生徒達についていく。 ぞろぞろと歩いて集団に付いて行くと先頭集団が止まった。 遊歩道から少し高く反りあがったところに、紫色の小さなラッパのような形をした花がある。 普通のキキョウのような愛らしさは無い。日本では別名ハシリドコロで知られていた花だ。 結構な毒があるのだが、案外無造作に生えている。 「観測し終えたら、班ごとに一株持って帰りましょう。根、茎、葉、花、すべてそろうようにしてください」 俺はすばやく持ってきたノートに、植物園の見取り図を簡略的に書き、ナナツキキョウの場所を×で記した。そのまま、生えている状態の絵を書き込んでいく。 「絵も上手だね」 覗き込んでくる周瑜を完全に無視する。 俺以外の三人はただボーと立ってみているだけだ。やる気があるのだろうか? まぁ、俺には関係ないけれど。 書き終わると、良さそうな株を探した。手で抜こうとして、一瞬止まる。これ、素手で触っていいんだよな?周りをみると、他の班の鬼が素手で一株持っていた。大丈夫そうだ。 「あの、俺が抜きますね。お手が汚れますから」 津々楽が俺が狙っていた株を掘り始める。どうやら土に触って汚れるのを躊躇したと思われたらしい。俺がやりたかったのに・・・・。 「これで、よろしいでしょうか?」 津々楽が引っこ抜いたナナツキキョウを俺に見せる。 「ああ、ありがとう」 周瑜と違って、津々楽は礼儀正しい鬼のようだ。 周瑜に敬語を使っているから、お坊ちゃまそうな周瑜のお目付け役なのかもしれない。 他の植物も見たい。探検したくでウズウズする。しかし、とりあえずは講義を聞かなくては。 「まるで、そわそわした童のようだねぇ」 雪音がクスクスと笑うので、俺は仕方なく平静を保って講義棟へ戻った。 🔷 講義棟へ戻ると昼過ぎまで、ナナツキキョウの研究が続いた。 葉、茎、花からとれる毒の採取。煮たり、すり潰したり、慌ただしく時間は過ぎていく。 夢中でナナツキキョウで実験していたら、カーンカーンと午前終わりの鐘がなった。 授業の終わりが告げられ、俺は後ろ髪惹かれながらナナツキキョウの残骸を片付けた。 持ち帰りたかったが、大学構内の物は外へ持ち出せない決まりになっている。 まぁ、それもそうだろう。名残惜しくて、最後にあぶりだした葉のエキスの香りを強く吸い込む。 オエェと吐き気を催す俺を見て、雪音があきれた顔をしていた。 「雪音、匂い覚えたのか?」 「なんとなくはね。蒼はそのうち毒が効かない体になるかもね」 「それは結構だな」 実験器具を片付け終え、雪音と教室を出る。 「お二人さん、よかったら食堂へご案内するよ。お腹減っただろ?」 周瑜が追いかけてくる。 「場所なら知ってる」 俺がうっとおしい表情を浮かべでも、周瑜に効き目はないらしい。 ちゃっかり隣を歩いてくる。 「俺達と一緒の方がいいと思うよ」 「なんでだよ?」 「ほら、視線を感じない?蒼は目立ちすぎる」 確かに、通り過ぎるたびに、ちらっと視線が寄越される。 「雪音がいるから問題ない」 「確かに、剣術を習ったことのあるやつなら、雪音に手を出そうとは思わないだろうね」 その言葉に、雪音が目を細める。 「腕に自信があるのかい?」 「まあね」 「へぇ」と雪音が相槌を打った瞬間、刀の柄に手を当てた。 その一瞬に反応して、周瑜と津々楽が構える。 俺はいったい何が起こっているのかと、目を回しながら立ち止まった。 「な、なにやってるんだ?」 しばしにらみ合った後、三人が緊張をほどいて構えをやめた。 「なるほど。いいだろう、一緒に食事しようか」 「えー、なんでそうなるんだよ?」 雪音の突然の快諾に、俺は講義の声を上げる。 オス型と関わったら、要が怖い。それは雪音もわかっているだろうに。 しかし、何かが通じ合った三人を拒む理由も見つからず、かやの外の俺は付いていくしかなかった。 🔷 食堂もかなり広い。学費に食事代が含まれているらしく、好きなものを好きなだけ食べられるシステムだ。見慣れない料理も多いが、俺が食べなれた物もある。俺は少しずついろいろ取って、長机に向かった。 他の生徒達と距離をとって四人で座る。 腹が減っていたので、とあえず鶏肉が煮込まれた何かを口に入れる。 「うまいな」 クリームが絡まっていてうまい。なんだろうな、キノコシチューみたいな感じか。 「いやぁ、しかし、焔一族に会えるなんてツキが回ってきたな」 その言葉に俺がビクっとして、雪音を見る。 雪音は驚いた様子も無く、品よく豆を摘まんでいる。 「そっちは、風魔(ふうま)一族だね」 「なんだ、知り合いだったのか?」 首をかしげる俺に、雪音が「いいや」と首をふる。 「焔も風魔も、独特な剣技があるんだよ。使い手の腕にもよるけど、組んだだけでわかることもある」 「見事な構えでした。冷汗が出るところでした」 津々楽が雪音を褒めている。さっきのやり取りでお互いの素性が知れたということだろうか。 「で、ツキがまわってきたっていうのはどういうことだい?」 「実は、俺達任務でここへ来ているんだ」 周瑜が小声になる。 「役人かい?」 「まあね。最近、秋紫国で安価な薬が出回ってて手を焼いている。そっちにも行ってるだろう?」 「ああ、話は聞いている。夏青国では、まだそこまで被害は出てないけどね」 「うちは花街があるから、そういうのすぐ回るんだよ」 「そんなのいつものことじゃないのかい?」 「それが、今回はちょっと違ってさ。安価なのはいいが、依存性が高いのが問題なんだ。今までの薬は依存性なんてものはなかったからね。効果も解毒方法も不明で、参っててさ。出所を探してる」 「そんなこと、私達に話していいのかい?」 「秘密ってほどのことじゃなからね。ま、俺達のことは秘密にしてほしいけど」 「秘密にする対価は?」 「蒼を守ってあげるよ」 「なるほど」 いきなり自分の名前がでてきてむせる。そもそも全然話が読めないのだが・・・ 「なんの話してるんだ?」 「周瑜たちがここにいるってことは、この大学で薬物が生成されている可能性があるってことだよ。もしそうなら、蒼は格好のカモだね」 「なんで俺が薬物のカモなんだよ?」 「実験的に無理やり薬飲ませて犯すなら、綺麗な鬼がいいだろうからね。名家の鬼が婚約者以外に犯されたなんて、口が裂けても言えないだろう?口外しないっていう保証もある」 雪音の足がトントンと俺の足を叩く。話を合わせろということだろう。 正直、鬼の世界のバックグラウンドが無いから、話が見えてきていない。 「まぁ・・・・」 「失礼ですが、お二人はメス型で?」 津々楽が少し頬を染めてこちらを見ている。 雪音に視線をやると、頷いている。 「では、鎮情剤を常に持ち歩いてください」 「なんで?」 「出回っている薬は、疑似発情期を起こさせる媚薬なんです」 雪音が妙に納得した顔でうなずいている。 俺は驚いてうっかり口を開けてしまった。 「そういうこと」 周瑜がにこっと笑って、食事にがっつき始めた。 俺はなんだか嫌な予感しかしなくて、食べる気が失せてしまった。 🔷 その後、二人と別れて、俺と雪音は植物園に足を向けた。 ほとんどの講義は午前中で終わり、午後は自主学習・自主研究の時間となる。 先ほどの話を確かめたくて、二人で他の鬼の気配が無い場所へ来た。 「大変なことになったねぇ」 そう言った雪音の顔はちっとも大変そうではない。いつも飄々として余裕があるのが雪音ではあるのだが。 「風魔一族って有名なの?」 さて何から聞いていくといいだろうかと、頭をひねる。 「秋紫国の警部省を束ねている一族だよ。夏青国でいう焔一族と同じ立場だね」 「それで、任務として調べてるってことか」 「大学内に生徒として潜入してるってことは、この大学内に薬を作っている犯人がいるってことは間違いないんだと思う。周瑜と津々楽の剣の実力は私同等またはそれ以上だと思うから、警部省でもかなり高い役職の鬼だと思う。ことはそれほど大ごとってことだね。左京に伝えた方がいいかもしれないね」 「待った。左京に言ったら要に伝わるじゃん。そしたら俺、絶対連れ戻されるだろ」 「困ったねぇ」 「薬って疑似発情期を起こすだけなの?それなら鎮情剤持ってれば平気じゃないのか?」 「依存性が高いってのが問題なんだけど・・・そうだねぇ・・・まあ、媚薬は、そもそも合法だしねぇ」 「そうなの?」 「発情期の交尾は気持ちがいいだろ?だから、薬を使ってするのを好む鬼もいるんだよ。秋紫国の花街では、夜店で誰でも薬が買えるよ。夏青国だと、発情期が弱かったり、何か理由があると医者が処方してくれるのさ」 「へぇ」 「ま、周瑜達も守ってくれるって言ってたし、このままとんぼ帰りもつまらないしね。少し様子を見ようか」 「うん。そうしよう。俺も気を付けるよ」 「その言葉は信じられないけどね」 苦笑いでごまかす。媚薬か。要は知ってるんだろうな。でも、俺が知っているということは内緒にしよう。何に使われるかわからない。そう思うと、なんだが背中がぞっとして、冷汗が出てくるような気がした。

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