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第36話

大学での研究は順風満帆だ。午前は高先生の講義を受け、午後は自分で気になった植物を採取して、実験する。そのほとんどが人体に害のある物ばかりなので、他の生徒が俺達を気味悪がるようになっているのは気にしないことにする。時には書庫へ行って写本するのだが、雪音が心底つまらなそうにしてうたた寝を始めるので、実験が多くなってきている。 「何それ、なんか刺激的な香りだね」 俺が採取してきた植物を見て、周瑜が鼻をつまむ。 「黒ウコンだよ」 「黒ウコンは、媚薬の原料と聞いたことがあります」 津々楽が表情を崩さずに言う。いつも淡々としていて、周瑜とは正反対だ。 「昨日、書庫で媚薬について読んだんだよね。で、毒よりも、雪音が気を付けないといけないのって媚薬じゃないかなと思ったんだ」 「それはまた、どうしてだい?媚薬を使ったら、私の婚約者は喜びそうだけどねぇ」 机に頬杖をついてけだるそうにしている雪音が、興味が湧いたのかこちらを面白そうに見る。 「毒は一度やられただろう?だから、二度目は難易度があがる。それに、万が一成功して毒で雪音が死んだ場合、あいつは狂ったように犯人を捜すはずだ。新しい婚約者なんていらないって言うかもしれないしな。そこでだ、お前を婚約者の座から引きずり落としたいやつが使うとしたら媚薬なんじゃないかと思って。媚薬って発情期を誘発するわけだろ?それを予期せぬ場所で、予期せぬ相手の前で使われて、雪音とそいつが事をなしたら、どうなるかってこと」 「なるほど、それはまずいかもしれないねぇ。他のオスと契りを交わしたとなると、私の婚約者という立場は無くなるだろうね」 「それに、雪音は事後も生きていて意識もあるわけだし、犯人うんぬんよりも、どうしてそんなことをしたのかって責められることになる。新しい婚約者へと話が進みやすいのは、毒より媚薬だと思うんだよな」 「良く考えたね、といいたいところだけど、蒼のことだから、そろそろ毒に飽きて違うものを触ってみたくなったってのが正解だろうね。彼の鬼は媚薬だろうとも私に危害を加えるやからを許さないと思うし、私を諦めるとは思えないからね。それは蒼も良く知っているだろうから」 「すごい自信だな」 変に感がいい雪音には舌を巻く。要が雪音を俺の護衛として信用しているのは、剣が立つことよりも、こういう所ではないだろうか。まあ左京の性格を考えると、媚薬危険説はまかり通らないか。だが、うっかり盛られたらめんどくさいことこの上ないのは明らかだ。警戒するにこしたことはない。俺もだけど。 「俺達的にはありがたいな。毒の美鬼ってあだ名が蒼に付き始めてるからね、次は媚薬の美鬼なんてあだ名がはやれば、向こうからやってくるかもしれないし」 「いつの間にそんなあだ名がついたんだか。周瑜は情報収集にはたけてるよなぁ。あ、でも、媚薬の作成は禁止されてるから、調合はできないんだ。原料になる植物単体の実験しかダメらしい。大学内で発情事件があると大変だからね、って高先生にくぎを刺されたよ。まぁ、俺達は基礎知識と香りや色なんかの見た目を覚えられればいいから、原料単体の実験でもやる価値はあるだろう。さ、やるぞ。お前たちもそろそろ慣れてきただろ?今日から、一種類だけじゃなくて、他のも同時進行するからな。津々楽と雪音は先週乾燥させたドクニンジンとキンポウゲ持ってきてくれ。周瑜は俺と器具の準備するぞ」 「なんで津々楽と雪音、俺と蒼の組み合わせなわけ?」 文句があるのか、周瑜が口を尖らせる。 「お前はすぐ寄り道するし、支持してないことを勝手に試してみたりするから俺の監視下にいてもらう」 「なんだよ。すぐにフラフラするのは蒼だろ?勝手になんかやり始めるのだって蒼のくせに」 「おやおや、童がうるさいことだ」 雪音がクスクスと笑う。心なしか津々楽も笑っているように見える。 「「童じゃない!」」 かぶった・・・。顔を見合わせる俺と周瑜にさらに笑いながら、雪音と津々楽が実験室を出て行った。 「はぁ・・・・まぁ、いい。実験だ」 白い布を頭につけ、白い布をマスク代わりに顔に巻く。手を消毒し、器具を消毒し、なるべく他の成分が入らないように注意しながら、器具を用意していく。 「なぁ、雪音の婚約者ってどんな感じ?」 周瑜が視線を遠くに向けながら聞いてくる。 「手を止めるなよ。それ綺麗な布で拭いてくれ」 「津々楽に心を寄せたりしないよな?」 「はぁ?雪音が津々楽に惚れるわけないだろ」 「なんでそんなこと言いきれるんだ?」 「なんでって・・・。雪音の婚約者は、雪音より強いし、それに顔もかなりいい」 性格は真面目過ぎて微妙だけど、と言いそうになるのをやめる。 「そんなこと言ったら、津々楽の剣の腕は俺より上だし、顔だっていいだろ」 「まぁ・・・・そう言われると、なんか雰囲気が似てる気もするな。べらべらしゃべらないし、まじめだし」 「うそ!」 「おい、落とすなよ!バカ!」 ガシャンと周瑜が落とした器具を慌てて拾って確認する。よかった、割れていない。 「お前・・・津々楽が好きなのか?」 「は?え?」 周瑜の大きな目が開かれてさらに大きくなる。 「恋仲なの?」 「俺は風魔の者だぞ。メス型になんかなれない。それに、メス型の津々楽なんて嫌だ。恋仲になんてなれないんだ」 そう言った周瑜の瞳が揺れる。これは踏み込むとめんどそうだ。そういうことに疎い俺でも、要とのことがあって少しは空気を読めるようになってきた。ここは、無視に徹しよう。俺は実験がしたい。他人の色恋沙汰に巻き込まれるのはごめんだ。 「ほら、手を動かせ。もうすぐ二人が返ってくる」 「ん、ああ・・・」 ため息を吐く周瑜を無視して、俺は器具の準備を完了し、さきほど取ってきた黒ウコンへと思いを馳せた。 🔷 「黒ウコンですか」 「うん。乾燥させずにすりおろしたらさ、すごい匂いだったんだよ。部屋中その匂いにまみれちゃって、他の生徒から睨まれた。学生って身分はつらいなぁ。自分だけの実験室が懐かしい」 「植物園ではやりたい放題でしたもんね」 要と二人で思い出してクスクス笑う。すっかり寝る前の鏡電話が板についてきた。初めのうちは何を話せばいいのか戸惑ったが、俺がどんな風に一日を過ごしたか話すと要が嬉しそうにするので、朝食べた物から、順に一日を説明するという流れができた。 「俺も会ってみたいです。その風魔一族の二人に」 「いつか会えるといいな。しかし、鬼のオス型メス型も色々あるんだなぁ。焔一族の雪音がメス型になったのは特殊ってことか」 「雪音さんは、炎の使い手ではなかったのと、母君が番じゃないという特殊な生まれがありますからね。通常だと、焔一族の子息がメス型になることはないですね。名家の宿命かもしれません。なので、その周瑜という鬼の思いが実るのは難しいですね」 「別にメス型になっちゃいけないわけじゃないんだろ?」 「もちろんですよ。法で決まっているわけではないですし。メス型になっても風魔一族の職務を全うすればいいだけです。ただ、子どもができると少し休む必要もでてきますので、それが問題でしょうか。乳母を置けば、長い期間休む必要はないんですけどね」 「子どもかぁ・・・・」 「そういえば、右近とお陽さんが、また子作り参りに行きましたよ」 「そっか、今度は授かれるといいな。てっきり産土の神の土地へ行けば子どもができると思ってたけど、うまくいかないこともあるってのは、人間と同じなんだな」 「はい。発情期に合わせないといけませんし。人間より子どもはできにくいですね」 「でもさ、華さん四人もいたよな・・・・」 「発情期が来るたびに、小作り参りいってましたからねぇ。華さん子どもが好きみたいで、まだ欲しいって言ってましたよ」 「すごいバイタリティだな、色んな意味で・・・・」 「蒼は欲しいですか?」 「え?俺?・・・・・んー」 子どもなんて考えたことも無かったが、この体なら要の遺伝子を残すことができるのか、と気づく。 しかし、俺に子育てなんてできるのだろうか。 「必要ないですかね、やっぱり」 「い、いや、考えたことがなかっただけだ。要はどうなんだ?」 要の声のトーンが下がった気がして、慌てて取り繕う。 「俺は、いらないって思ってたんですけど、華さんと話してたら子供がいてもいいなって思うようになりました」 「そ、そうなのか」 てっきり要は俺がいればいいと言うと思っていたから、さらに焦る。子どもが欲しいと思っていたとは予想外だ。困ったことになった。 「よかったら、考えてみてください。今すぐに欲しいってわけじゃないので、ゆっくりでいいです」 「わ、わかった。考えとく」 「じゃぁ、そろそろ時間ですので、おやすみなさい」 「うん。おやすみ」 「・・・・蒼、こっちにきて」 「ん」 呼ばれて、ベッドから降りて鏡の正面に立つ。要も同じように鏡の前に立っているのだろう、顔が近づいた。 要の手が鏡に触れる。それに沿うように俺も鏡に手をあてる。 しかし、そこに要の体温はなく、冷たい鏡の表面を感じるだけだ。 子どもの話で動揺したのが要にバレてしまったのかもしれない。今夜の要は少し寂しそうに見える。 こういう日は、必ずこうやって最後に鏡越しに触れたい気持ちを確かめ合う。 俺がそっと鏡に顔を近づけて口づけすると、要が同じ場所に顔を寄せる。 触れ合った唇は、けれどもけっして触れ合うことはなく、ひんやりしたままだ。 このまま鏡の中へ入って、家の寝所に行けたらいいのにと思う。胸がギューと締め付けられるような気がする。けれど、それは居心地の悪い締め付けではない。あと数日で会える確証がある俺と要の間に沸き立つ寂しさは、すぐに溶ける粉砂糖のような甘みを帯びている。会えた時の喜びを増幅させるスパイスのようなものだ。 「おやすみ」 優しく言うと、鏡の通信が消え、要の姿が消えた。 ドサッとベッドに体を預ける。 悪くない。悪くない寂しさだ。 要のいないベッドは相変わらず冷たかったが、俺は新しい寂しさを覚えた。 寒くない寂しさだ。心が凍えない寂しさがあるなんて、俺は知らなかった。 要は俺にいろんなことを教えてくれる。優しくて、賢くて、そして恐ろしいやつだ。

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