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第38話
大学の日々は続き、俺は試験的に鎮情剤の口腔内崩壊錠化 に成功した。
鬼の世界では、薬の形状は錠剤か粉薬で、人間の世界にあった水なしで飲めるラムネのような薬は無い。しかし、不正に出回っている媚薬をうっかり飲まされた場合、すぐに鎮情剤を摂取する必要があり、水を探している時間はないのではないかと、自分と雪音の身を案じたのがきっかけで、水なしで飲める薬の開発にいそしんだ。人間の世界にあった薬よりも崩れやすいが、ここから先は教授たちがさらに研究を進めてくれるだろう。
そんなこんなで、俺は高先生や他の教授たちからも優秀な学生だと認められ、普通なら使わせてもらえない部屋や薬剤などを使用する許可が特別に下りた。媚薬の研究をしたいと言うと、特別に調合する許可ももらえた。ただし、管理はしっかりすることと、一人ではやらないという条件が付けくわえられた。高先生は俺と雪音の素性をしっている数少ない鬼なので、周瑜と津々楽の二人についても、護衛になるだろうと、俺の研究に加わることを許してくれた。
メス型で初めての大学教授になるのではないかと、ちまたでは噂もされている。まぁね、もともと助教授だからね。専門は薬学じゃないけど、鬼の世界の薬は漢方みたいなものだから、植物学と通ずるものはあるよね。
問題は鬼の世界についての知識が無く、そもそも媚薬を見たことがないという点なのだが・・・・。
「ほんとに蒼はすごいんだな~」
高先生の私室から戻り、書庫へ行く。俺が先生と話をしている間に、写本を進めているようにと雪音に言ってあったのだ。
俺が先生との話の内容を伝えていると、周瑜がべったりとくっついてくる。最近では腕を組んで歩くこともある。しかし、津々楽の反応はいまいちで、正直に言うと、妬かれているようにはまったく見えない。
雪音に相談してみたが、俺と周瑜がベタベタしていても、メス型同士がじゃれあっているようにしか見えないらしい。人の世界で言うところの、女の子同士が手を繋いで仲良くしている、感じなのかもしれない。
周瑜に至っても、もう当初の目的を忘れているのか、津々楽がいなくても普通にベタベタしてくる。元来甘えんぼうで、人肌が好きなのだろう。俺も俺で、なんだか慣れて来てしまって、くっつくなと言うのがめんどうでされるがままになっている。
「そこでだ。秋紫国に行ってみないか?鎮情剤見たいだろ?持ち出しはできないけど、花街に行けば見られるからさ。明後日から一度報告も兼ねて国へ戻るんだよ。大学内の協力者ってことで、蒼と雪音を客人として招く許可が下りたしさ」
周瑜が手紙を懐から取り出す。許可が下りたという手紙らしい。
「周瑜様、私は反対です。花街はメス型の出入りは禁じられています」
津々楽が慌てて付け足した。
「大丈夫だって。雪音はそのままでいいだろうし、蒼は顔を隠していけばいいよ。見つかっても、俺達が連れてる花鬼 だってことにすればいいだろ。とにかく、蒼に媚薬を見せる必要がある。媚薬の材料が盗まれてるのは確かめたんだし」
「しかし・・・」
津々楽が口ごもる。
「花鬼ってなんだ?」
俺が首をかしげる。
「花鬼っていうのは、花街で働いているメス型のことだよ。雪音にも負けない色っぽい鬼がたくさんいるんだぞ」
つまり、オス型を相手にする仕事をしているメス型ということか。もしかして、花魁 とかもいるのかな。ちょっと見て見たいな。
「周瑜は行ったことあるのか?」
「もちろん」
「へぇ、花鬼を買ったこともあるの?」
「そ・・・それはないけど・・・花街へ行ったのは媚薬の調査のためだから・・・」
「周瑜って、そもそも誰かと契りを交わしたことあるのか?」
「な・・・・なに言って・・・・」
周瑜の顔が真っ赤になる。どうやらセックスは未経験のようだ。ということは、媚薬を使用した経験も使用された経験も無いということだ。
「まあいいよ。津々楽は?津々楽は花鬼を買ったことある?その時、媚薬って使った?」
「・・・はい。花鬼は媚薬を使うことがほとんどですので」
「え・・・・」
周瑜がガタンと音をさせて椅子から立ち上がる。目を大きく開き、肩を震わせている。
津々楽にその時の花鬼の様子なんかを聞こうと思っていた俺も一緒に動揺する。
これは・・・やってしまったかもしれない。興味があると、相手の気持ちなんてものをないがしろにしてしまう俺の悪い癖だ。
「お・・・おまえ・・・なんで花鬼なんて・・・・」
「兄上様方から、一度はたしなむようにと連れていかれたことがありまして、その・・・風魔一族に仕えるのに必要なことかと・・・・」
「ありえない・・・・・ありえない!」
周瑜の大きな声に、学生たちが振り返る。
これ以上騒がれないように周瑜を静かにさせようと衣の裾を引いたが、振り払われてしまった。
周瑜が急ぎ足で書庫を後にする。
「蒼は本当に、下衆 な時があるよね」
雪音がふっと息を吐いて言う。
「俺はただ、事実を聞いただけだ。その、媚薬がどんなふうに使われて、どんな症状になるのか気になったから・・・」
「それを下衆って言うんだよ。まったく」
雪音が「はぁ」とため息を吐いて、周瑜が出て行った扉に視線を送る。
「そんな顔するなよ。わかってるって、追いかければいいんだろ、追いかければ」
仕方なく慌てて周瑜を追いかける。前にもなかったっけ?こんなこと。
前の記憶を手繰り寄せて、温室のケヤキの木へ行ってみると、周瑜が根っこに座っていた。
立てた膝に顔を押し付け、肩を震わせている。泣いているのだろうか。
どうしていいのかわからず、隣に座る。
しばらくすると、すすり泣きの声は小さくなり、俺の方へもたれかかってきた。
「蒼の婚約者は、蒼以外の鬼を抱いたことあると思うか?」
まだ涙がホロホロと流れている周瑜にハンカチを貸してやる。
「あるよ。俺と出会う前だけど。そんなもんだろ。気にすることじゃないと、俺は思うけど」
「そうか・・・。津々楽は嵐 兄さんに気に入られてるんだ。本当は俺の従者じゃなくて、嵐兄さんの手足になった方がいいのかもしれない」
「嵐っていうのが長男か?」
「うん。今は閂補佐をしている。風を使う力も剣術もすごいんだ。容姿も美しくてさ、風魔の長だよ。夏青国の左京っていう鬼は知っているか?焔の左京と並ぶって有名なんだよ」
「あ・・・あぁ、知ってはいるな」
「それもそうか。雪音は焔の門下の出だもんな。秋紫国の閂は、ちょっと頼りないんだよ。花鬼が近くに寄るとすぐ顔が赤くなるし、政治にも疎いらしい。まぁ、その分、姫がすごい鬼で、姫が降りてから秋紫国はさらに美しい国になったんだ。花街も前よりすごく華やかになったしね。でも、閂を補佐している嵐兄さんはいつも忙しくてさ、俺も役に立ちたいと思って、偵察のために大学まで来たんだ」
雪音は門下の出っていうか焔の子息で、左京の番だよ、とは口が裂けてもいえない。
秋紫国の姫というと、安部教授か。華やかになった、というのは本当だろう。有名なデザイナーでもあったし、押しの強い姉御肌な性格だった気がする。花街を仕切るとか、お似合いだろう。恋人は、確か、要の話だと消防士だったはずだ。硬派な感じだろうか。確かに、消防士がいきなり一国の政治を任されても困るだろうな。俺だって無理だし。要はなんていうか、例外だろう。魔王みたいなやつだから・・・。
「明後日国へ帰るし、兄さんに津々楽の従者の任を解いてもらうように言ってみるよ。報われないなら、一緒にいると辛いだけだし」
「そうか」
俺には鬼の世界のしきたりなんてわからないが、風魔の子息がメス型になるのが難しいことは、なんとなく焔の家のことを思うと理解できる。周瑜が言うように、報われないなら早めに離れた方がいいかもしれない。それでも、俺にできることはないだろうかと考えてしまうのは、すっかり周瑜に情が湧いているからだろう。
「津々楽には泣いてたこと言わないでくれよ。かっこ悪いし」
「当の昔からかっこ悪いと思うけど」
「ひでぇなぁ。蒼の婚約者を見てみたいよ。お前を組み敷けるって結構すごいやつかもな」
びっくりするくらいすごいやつだとは、口が裂けても言えない。
でも、大学での学びが終わったら、ちゃんと身分を明かして、隠し事なく付き合いたいな、と思う。
それくらいには、俺と周瑜は仲良くなっていると思う。
よく考えたら、俺に対して物おじせず嫌みを言い、俺の腕に絡みつき、俺が冷たいことを言ってもたいして気にしない。こんなやつは初めてだ。
雪音とお陽も仲良くなったが、姫と閂補佐の番という立場が取り持っている気がする。
周瑜と俺にはしがらみなんて無い。ただ同じ学び舎で出会って、関係が生まれて、こうして植物以外の話もする。これは、もしかしたら、友達というやつなのだろうか。
欲しいなんて思ったことはないけれど、悪いものじゃないと思う。
ガシガシと周瑜の頭を撫でてやる。
「何すんだよ」
「うじうじしないで進んでいくところが、お前のいい所だと、俺は思うよ」
「うるさいな」
まんざらでもないように周瑜が笑って、最後の涙をゴシゴシと拭った。
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