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第43話

目が覚めると、少し開いた障子の向こうからなじみのある暖かい風が顔を撫でた。 重く感じる体を起こす。 「蒼姫様!お気づきになりましただ?」 「お陽・・・・ここは、丸金の家か?」 「はい。そうですだよ」 「ん?」 もぞもぞと足元に何かを感じる。見ると、ハイハイして俺の上によじ登ろうとしている赤ちゃんの鬼がいた。 「これぇ、暖吉(だんきち)、登っちゃだめだよ、蒼姫様に失礼ですだよ」 「もしかして、お陽の子ども?」 「はいですだ。やっと、生まれましただよ」 「そうか。それはめでたいな。もう動くんだなぁ」 暖吉の頭をよしよしと撫でると、俺の手を暖吉がガブリとかみついた。 「いたっ」 生まれてひと月たっていないだろうに、もう牙がある。鬼の赤ちゃんは人間とはかなり違うようだ。 「お腹がすいたかや?ほら、暖吉、干し肉だよ」 小さめの干し肉をガシガシ暖吉が噛んでいる。怖いよ、あやうく指を食べられる所だったらしい。 「蒼、気が付いたかい?」 障子の向こうから雪音がやってきた。盆に茶がのせられている。ちょうどいい、ひどく喉が渇いている。 雪音からぬるめの茶をもらって飲むと、やっと頭がすっきりしてきた。 「どうして俺はお陽の家にいるんだ?要は?」 俺の言葉にお陽と雪音が目を合わせる。 「お陽、右近殿に蒼が目をさましたことを伝えておくれ。その間に、私が話をしておくよ」 「わかりましただ」 お陽が心配そうに俺の顔をみながら、暖吉をだっこして部屋を出て行った。 「犯人は捕まったのか?」 不思議に思いながらも、気になっていることを聞く。 「お縄になったよ。あの後、要様と左京がすぐに来てね。冬白国の閂も出てきて、大学が一時封鎖になったりと、なかなかの騒ぎだったよ。蒼は熱が下がらなくて、冬白国の家で養生してたんだけど、ここでは守り切れないってこちらへ帰ってきたんだ」 門外不出の薬の生成方法が生徒によって外へ漏れてしまったのだ、教授も責任問題になるだろうと思うと、胸が痛む。冬白国の閂、恭弥の憤怒の顔が浮かぶ。あの人なら、大学の緩めの管理システムをきっちり整備しなおすはずだ。俺が学びにいくのはもう難しいだろうか。 「幽閉が決まるまでの間、要様は蒼につきっきりで看病していたよ」 「ん?幽閉?誰が?」 「要様だよ。今は幽閉されてるのさ。夜叉族(やしゃぞく)だということが広まってしまったからね。蒼の身柄も危険にさらされるかもしれないから、右近殿と左京が丸金の家に運んだんだよ」 「どういう・・・ことだよ」 まったく話についていけない。媚薬を作ったのはあの太った鬼だろう。要は関係ないはずだ。 それに、夜叉族ってなんだ? 「ひと昔前の話だよ。影を使う夜叉族は一族郎党、冥府送りになったんだ。冥府の地に足を踏み入れて帰ってきた者はいない。つまり死刑ってことだよ」 「影・・・・要は夜叉族?」 「そういうことになる。少し長くなるけど、体は大丈夫かい?」 「問題ない。気になるから、話してくれ」 「夜叉族ってのはね、かつては妖術を使う名家の扱いを受けていた一族だったんだ。他の名家が産土の神の系譜にあたるのに対して、夜叉族だけが唯一冥府の神の系譜にあたる一族だった。冥府の神も産土の神と等しくこの世界を保つ神ではあるんだけど、死や闇をつかさどる神だから、嫌がられることも多くてね、私が生まれた時には、夜叉族はすでに土地を追われて国境の山で暮らしていたよ。それが次第に、呪いの神なんて言われるようになってね、呪いたい相手の名をしたためて供物を山へ備えるのが流行ったんだよ。罪びとの刑が軽すぎるって呪った者の願いが叶ったのが最初だって言われてる」 ふっと雪音が息を吐いた。 「それから、次第に影が町中へ現れるようになって、山へ供物をささげた物の願いが叶うようになっていったんだ。罪びとだけじゃなくて、平民の痴情のもつれなんかでも殺しがおきるようになって、困った当時の閂が、呪いの成就をやめるのと引きかえに、夜叉族の汚名をそそぎ、名家として復活させるよう動いたんだよ。夜叉族は土地に戻って、政治にも出てくるようになった。町中で殺しが起こることもなくなって、一件落着に思えたけれども、本当の悲劇の始まりはそこから起きたのさ。 夜叉族と、癒しの力を持つ白蛇(はくだ)一族の子息が次々と恋に落ちたんだ。白蛇一族は、産土の神の一番濃い系譜とされている一族で、数も少なく短命な者が多いんだけど、その子息が続けざまメス型にされて、怒った白蛇一族の長が夜叉一族の若者を切ってしまったんだ。それで戦いが起きてね、白蛇一族を他の名家が守り、暴れ狂った夜叉一族は投獄されることになった。どうすることもできなくなった当時の閂は、夜叉一族を冥府の神へ返すことにしたんだ。冥府送りってわけさね。夜叉一族はいなくなったはずだった。それが今回のことで要様が夜叉一族だとわかって、今、夏青国は大騒ぎになっているんだよ」 「要は生き残りってことなのか?」 「要様の話だと、子どもの頃に冥府送りにあって、冥府から帰ってきたって話だよ。左京は、要様は冥府の神に生かされたから罪はもうないって抗議しているけど、雲京がもう一度冥府送りにして審議を確かめるべきだって推し進めてるみたいだねぇ」 「雲京か・・・」 雲京はおそらく要をよく思っていないはずだ。紅葉の件があって静かにしていたのが、今回のことでまた威勢を取り戻しているのかもしれない。 「蒼、要様からの手紙だよ。起きたら渡してくれと頼まれていたんだ」 「そうか」 渡された手紙を読む。 ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨蒼へ 元気になりましたか?もう少し早い段階で助けたかったのですが、俺に殺させたくないようだったので、ギリギリまで待ちました。犯人たちついては、本当は死ぬより辛い目にあわせてやろうと思っていたのですが、秋紫国がこの件に関しては取り仕切ることになったので、仕方なく諦めることにしました。 これにこりたら、もう静かにしてください。俺は怒っています。 それと、俺はこれから冥府送りになると思います。心配はいりません。なるべく早く戻りますから、くれぐれも右近の家から出ず、雪音さんから離れず、静かにしていてください。 わかるでしょう?俺が蒼を手放すわけないって。人間だった時と同じです。蒼は、ただ待っていればいいんです。俺が必ず蒼の元へいきますから。だから、もう一度言いますが、くれぐれも、そこを動かないように。少しは辛抱してください。 愛しています。 要より ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨ 「待てっろってさ」 「そうかい。よくわからないけど、左京も要様から冥府送りになるよう仕向けてくれって頼まれているらしいよ。何かお考えがあるのだろうね。食えない鬼だからねぇ、要様は」 「そうだな」 「蒼?」 震え始めた手を布団の中へ隠す。 「悪い。もう少し寝ることにするよ。いろいろ聞いて頭もいっぱいだしな」 両腕を抱きかかえるように身を縮めて、精一杯、平静を取り繕う。 俺の様子が少しおかしいことに雪音は気が付いたみたいだが、病み上がりの疲れだと思ったのだろう。おとなしく部屋を後にしてくれた。 「何かあったら、すぐ言うんだよ。しばらくは私もここで寝泊まりしているからね」 障子を閉じながら雪音が言う。 「ああ、ありがとう」 パタンと障子が閉められると、俺はごろんと布団に横になった。 要は戻るつもりがあるし、戻れると思っているのだろう。 人間の時もそうだった。離れた俺を要は追いかけてきた。今回だってきっと要は必ず俺の元へ戻ってくる。 そう自分にいい気かせても、震えは収まらず、俺は自分の肩を抱いた。 本当に帰ってこれるのか?人間だった時と今回は違うんじゃないのか? 鬼や神がいるこの世界では、要の力にだって限界があるんじゃないのか? 奇跡は二度もおきないのではないのか?簡単に戻ってこれるなら、どうして夜叉一族のことを話してくれなかったんだ?どうして大切なことをいつも話してくれないんだ? 寒い ガタガタガタ 布団を深くかぶる 寒い 嫌だ 嫌だ この寒さは嫌だ 要・・・要・・・・俺を一人にしないでくれ・・・・ 流れ落ちる涙を無視して、俺はガタガタ震える体を押さえ続けた。

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