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第44話

「庭に行ってくる」 「そうかい」 ここ数日をお陽の家で過ごしていると、次第にお陽と雪音が俺を監視していることに気が付いた。要に言われたのだろう。俺がこの家から抜け出したりしないように、午前はお陽が赤子を連れて俺の部屋へやってくるし、昼を過ぎると雪音がやってくる。散歩したいと外に出ても、雪音が付いてくるので、俺は困っていた。 仕方なく流れる涙を隠すために生垣の下にうずくまるようになると、それに気が付いたのか、雪音は縁側から庭を眺めているだけで、俺の後を追っては来なくなった。察しがよくて本当に助かる。 要のことを思うと、恐怖が体を走り震えが止まらなくなる。発情期という特殊な環境下だけで具現化していたトラウマが、今は日常に表れるようになってしまった。 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、大学で模写して持ち帰った書物を読み返したりしていると収まるのだが、ふと気がまぎれるものが無くなった時に体の震えは再びやってくる。震えを早く終息させる一番の方法が涙を流すことだと気が付いたのは少し前のことだ。泣くとストレス発散になると、人間だった時に何かで聞いたのを思い出し、試しに悲しい気持ちをポロポロと涙に変換すると、あっさりと震えは止まったのだった。ただし、またしばらくすると震えがやってくるので、俺は日中は庭に出て、生垣の影で時々泣くことにした。 生垣の根元でうずくまっていると、使用人の噂話なんかが聞こえてくる。 お陽は子供を授かったことで、この家のメス型の主人としての地位を築けたらしい。今では気さくなお陽を好んでいる使用人の方が多く、以前のようにバカにされてはいないようだ。 要の幽閉先は自宅らしかった。家の周りを鬼兵隊が監視しているようだ。 牢獄のようなところに入れられてなくて良かった。重と梅も使用人として要と一緒にいてくれているようでほっとする。 他にも、俺を番にしたいと思っている名家の鬼が何匹もいるらしいこともわかった。雲京も俺を番にと考えているようだ。最近、部屋に慰めの贈り物が届く理由は俺の気を引こうとしている鬼かららしい。つまる所、要はもう帰っては来ないと誰しも思っているということだ。冥府送りとはそれほど恐ろしいことなのだろう。要以外のオスに犯されるくらいなら死んだ方がましだ。要が右近の家に俺を閉じ込めているのは、こういう事態も想定してのことなのだろう。 今日も決まっていつもの生垣の根元にうずくまっていると、使用人たちの声が聞こえてきた。 「要様の冥府送りの日が決まったそうね」 体から一気に熱が消える。俺は石にでもなったように息を殺した。 「次の新月だってねぇ、おお、怖い怖い」 「要様がいなくなったら、新しい閂が選ばれるまでまた気が淀むね」 「・・・嫌なことだ。また病が流行るかもしれないよ」 「要様の治世は良かったのにねぇ」 「言っても仕方のないことだ、さあ、お茶でも飲もうか。蒼姫様がまた贈り物を拒んだみたいだから、おこぼれにあずかって上等な茶菓子が食べられるよ、きっと」 「姫様もお気の毒に・・・」 使用人たちの足音が遠ざかる。 俺はばったりと芝生の上に寝転んだ。新月か・・・・。あと何日だろうか。 冥府とはどんなところだろう。いったことがあるなら、教えてくれればよかったのに。 全てを話してくれないのは、俺が逃げ出しても捕まえられるようになんだろうなぁ、と思う。 要はいつもどこか不安げで、俺が要の手の上で転がるように幾重にも仕掛けを施して生きている感じがする。それは鬼になった今もそうで、何重にも網を用意しておいて、俺がいざ逃げ出しても捕まえることができるようにしているのだ。 だから、今回だって、絶対戻ってくるはずなんだ。要が俺を置いて先に死ぬなんて絶対ありえない。まして、俺を番にほしいと思っている鬼がわんさかいるこの世界に、俺を一人残していくなんて絶対ありえない。そうわかっているのに、俺の震えは収まらない。このトラウマはどうしたら払拭できるんだろうか。 震える体を抱きしめる。 待っているだけではダメなんじゃないだろうか? そばにいたいなら、俺が会いにいけばいいんじゃないのか? ここから抜け出して、冥府の地へ要と一緒に行く自分を想像する。 冥府の地は真っ暗だと聞いた。何も見えない、聞こえない、暗闇だけの世界。 それでも、要の体温を感じる。真っ暗でも要の声が聞こえる。そんな想像をしていると、いつの間にか体の震えが止まっていることに気が付いた。そうだ、一緒にいたいならいればいい。要が動けないなら、俺が動けばいい。 深呼吸をする。 会いに行こう。 要の元へ。 🔷 縁側に出て月を見上げる。 暗い夜に浮かぶ月は、ぶかっこうな丸をしている。あと数日で満月だ。そしてその次の日が新月。 部屋にたまり果てた贈り物は、みな右近の家の使用人にあげてしまったので、綺麗になった。 俺を番にしたい鬼がいすぎて、最近では俺の家を建てて、そこへみんなで代わる代わる通うという話になっているらしい。俺を花鬼にでもするつもりだろうか。その話を聞いて、一番怒ったのは雪音で、「毎夜、代わる代わる通って来たオスを切り倒してくれる」と流し目で呟いていた。あの目は本気だろう。雪音を犯罪者にするわけにはいかないので、俺は秋紫国の月姫に手紙を書いた。手紙の内容は保護を求めるものだったが、本当の目的は周瑜に来てもらうことだ。俺が困っていると知ったら、俺の迎えの任務を周瑜が引き受けてくれるんじゃないかと思ったのだ。そうして、まんまと周瑜は津々楽を連れてやってきた。 「そうやって月を見上げてため息なんてついてると、本当に綺麗だな、蒼は。中身はわがままで、童みたいなのにな。で、本気で冥府にいくのか?」 「ああ、俺は要と離れるくらいなら一緒に冥府に行きたい。要が戻ってくるといっているのだから、俺だって戻ってこれるはずだ。それに、冥府にどんな植物が咲いているのか見たいしな」 「相変わらず植物バカだなぁ」 周瑜が諦めたように笑う、俺が本気だということを理解してくれたのだろう。 「俺を逃がすことになるから、お前たちも責められるかもしれないけど、そこは悪い。帰ってきたらたっぷり礼はするからさ」 「それはいいよ。月姫も、蒼は秋紫国へ来たいんじゃなくて、逃げ出したいだけじゃないのかって言ってたから、こうなる予想は少ししてたんだ」 「そうか。月姫は、要とも付き合いが長いしな」 「じゃあ、新月の日の朝、迎えに来るからな。冥府の地への扉は普段は固く閉ざされている。機会は一度切り。要様が送られる時だけだ。わかってるな?」 「ああ、頼んだ」 「雪音には言わなくていいのか?」 「雪音は、そういう所は真面目で臆病なんだよ。俺を逃がそうとは思わないと思う。秋紫国へ行くことは賛成してくれたけどね。」 「そうか。じゃあ、帰ってきたらたっぷり怒られるんだな」 「雪音に怒られるのなんて、いつものことだ」 「確かにな。置手紙くらいはしておけよ」 ははっと笑って見つめあう。周瑜の瞳にも不安が映っている。俺と要が本当に帰ってこられるかわからない。それでも、番が離れ離れになるくらいなら、という気持ちが周瑜にはあるのだろう。だからこそ、協力者はこいつしかいないと思ったんだ。 「ありがとな」 俺がぽつりと言うと、「いいよ」と気のない返事をして、周瑜と津々楽は帰って行った。

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