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第45話
お陽と雪音に別れを告げて、俺はこっそり秋紫国へ逃げるという想定で丸金の屋敷を後にした。
周瑜から借りた衣服は絹でできているが、夏青国の衣とは少し違う。顔を布で隠しているし、姫だとはバレないだろう。
冥府の地への扉は、社にある人の世に続く扉とそっくりだった。この扉にも大きな閂が駆けられている。俺は周瑜と一緒に野次馬にまぎれ、なるべく前の方へと身を隠した。
これだけの野次馬がいるとは思っていなかった。要と俺のおかげで気が淀まずに健やかに生活できている鬼どもに、少しの嫌気がさす。
周囲の鬼に気づかれないように深呼吸する。冥府へ行くという恐怖よりも、やっと要に会えるという高揚感の方が勝っている。俺も、よっぽど要が好きらしい。
「来たぞ!」
誰かの掛け声とともに、ざわめきが大きくなる。
要の姿を一目見ようと、他の鬼達に混ざって背伸びをする。
いた。要だ。
両手を縛られている。上下真っ白な白装束に裸足。剣だけは持たされているらしく、腰に帯刀している。
少しやせただろうか。穏やかな笑みは影を潜め、黙々と歩く要の表情からは何も読み取れない。
すぐ後ろに右近と左京が歩いている。左京の表情は険しく、右近の表情は悲しげだ。
「これより、冥府送りの刑を執行する」
にやついた顔で刑を執り行っているのは雲京だ。警部省の予算を削って学校や治安の維持に尽くしている要のやり方が気に食わないのだろう。左京と雪音がうまくいってしまったのも俺が原因だし、仕方ないのかもしれないが、腹が立つ。
「開門!」
雲京の掛け声で閂が引き抜かれ、ゆっくりと扉が開き始めた。
開いた扉の向こうの闇に気が付くと、野次馬の鬼達が後ずさる。
漆黒の世界だ。何も見えない。門の上の空は青いのに、門から先に見える世界は闇しかない。
あれが、冥府の地。思わずごくりと唾を飲み込む。
「行け」
雲京に促されて要が一歩を踏み出した。門まで数メートル。
パンパンパン
突然、俺とは反対側の野次馬の中から大きな音が鳴る。
津々楽が爆竹に火をつけたのだ。
見張りの鬼兵隊の注意がそちらへそれる。
「蒼、行ってこい!」
周瑜が突風を送って道を切り開いた。
突然の風に野次馬がたじろぎ一つの道ができる。
その道を俺は要に向かって一気に走り出した。
「曲者だ!」
野次馬から飛び出した俺に雲京が気づいて声を荒げる。
俺を捕まえようとする鬼兵隊は、周瑜の風が防いでくれた。
「要!」
俺の声に気が付いて要がパッと顔を上げる。
「貴様!」
雲京が俺の方へ手を伸ばしたが、右近の槍と左京の剣に阻まれて届かない。
「蒼!」
要が俺をぐっと引き寄せて、そのまま冥府の地へ続く扉へ駆け去った。
🔷
「はぁ・・はぁ・・はぁ」
真っ暗だ。入ってきた扉の方を見るが、そこには何もなかった。ただ闇だけが広がっている。
でも、大丈夫。俺を抱きしめる要の暖かさが闇への恐怖などかき消してくれる。俺はこんなに息が上がっているというのに、要の胸は穏やかなものだ。
「あなたって人は・・・待っていてと手紙に書いたでしょう?」
「はぁ・・・あー、疲れた。仕方ないだろ、お前と離れると体の震えが止まらないんだよ」
「発情期でもないのに?」
「そうだよ。もう、離れられないんだ、俺はおまえから・・・んっ」
熱い口づけが降ってくる。何も見えないせいで、いつもより要の存在を感じる。
「蒼、好きです・・・・好き・・・・蒼」
「んっ・・・はっ・・・・まった・・・息できな・・・んっ」
なんども唇を重ねる。
満たされていく。要の熱で俺の全てが満たされていく。
もう離れたくなくて、必死に要に抱きつく。俺を抱く要の腕の力も強い。
しばらくそうやって互いの存在を確かめ合って、唇がやっと離れる。
それでも抱き合った腕を離す気にはなれず、俺は要の胸板に顔をつけながら、周囲を伺った。
「真っ暗で何も見えないな」
「そんなことはないですよ。目が慣れてくれば、見えてきます。あ、でも、動かないでくださいね。少し先が崖になってるんですよ。百メートルくらい降りないといけません。蒼、脇差もってますか?とりあえず、縄をほどかないと」
「持ってきたけど・・・そっとやらないとな」
持ってはいるものの、これで何かを切ったことなどない。
「俺の手に持たせてもらえれば、自分でできますから」
要の胸板に頭を預けて、懐から脇差を取り出す。縛られた手のまま俺を囲むように抱き留めている手に、脇差を押し付ける。
「ありがとうございます。よっと」
シャッという音と共に、縄が落ちる音が聞こえる。
「これでやっと、ちゃんと抱きしめられる」
脇差を俺の懐にしまうと、そのまま要の腕が服の下に入ってきて、体を撫でられる。
「時と場所を考えろよ」
尻に回ってきた手を止める。
「さすがにここではできないので、さっさっと進みますか」
「当てがあるのか?」
「はい。冥府の神が住んでいる神殿へ行きます」
「冥府の神?あったことあるのか?」
「ありますよ。俺に剣術なんかを教えてくれた師匠でもありますね。子供の頃、冥府送りにあって、しばらくここで暮らしたので」
「そうなのか?じゃあ、一緒に冥府送りにあった夜叉族も生きてるのか?」
「残念ながら生き残ったのは俺だけです。そこの崖で大半が死にました。後は飢餓、自害、精神崩壊、生きる希望を失わなかったのは俺だけでした。俺は、まだ記憶が全部は戻っていなかったんですが、大切なものを手に入れなくてはならないっていう気持ちだけはあって、死ねないって思ってましたから。だから冥府の神だって怖くなくて、神殿に忍び込めたんです」
「そんなことがあったのか・・・・」
「蒼、腰ひも貸してください。崖を降りるので、俺の背中にしがみついてくださいね。念のため落ちないように紐で縛ってはおきますけど」
「崖か・・・一筋縄ではいかないな」
着物から何本か紐を取り、衣がはだけない程度に残りの紐で結びなおす。
「蒼が来た分大変になりましたね」
「なんだよ、悪かったな、お荷物で」
「嘘です。こんな状況なのに、顔がにやけるのを止められないです」
腰ひもを受け取りながら、要が俺のおでこ、目、頬、首へ軽いキスを落としてくる。
「あと、俺がいいっていうまで目を開けないでくださいね。そろそろ目が慣れてくるでしょうから」
「目が慣れてくるのになんで開けちゃいけないんだ?」
「腐った死体がゴロゴロしてるからですよ」
「う・・・・」
「遺体が多い場所は一気に超えていきますから、しばらく俺の背中でおとなしくしてくださいね。じゃぁ、行きますよ。乗って」
差し出された背中に飛び乗る。シュルシュルと腰ひもで体を固定されるが、どうやって崖を降りると言うのだろうか。
「蒼、がんばって捕まっててくださいね」
「うわっ」
要がひょいっと飛ぶと、一気に重力を背中に感じる。
パラパラと石と砂が崩れ落ちる音がする。
ザクザクっと、要がゆっくりと崖を下へ降りていく。要の腕や足の筋肉が収縮するのを感じる。
腕と足の力だけで降りているのだ。鬼、恐ろしや!
俺はなるべく要の負担にならないように、体を動かさず、必死に要の背中にしがみつき続けた。
「はぁはぁ・・・つきました。蒼、まだ目を開けないで。できれば鼻も塞いで」
言われなくてもすでに鼻を衣で塞いでいる。下へ近づくほどに異臭は強くなり、重力の変化を感じた時には、腐敗した匂いに耐えられず、要から片手を離して鼻をふさいだ。
「移動します。もう少し辛抱してくださいね」
「うん」
こいつはなんで平気なんだろうと思いながらも、俺はどうにもできず、要に負ぶわれたまま鼻をふさぎ、時が過ぎるまで必死にこらえた。
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