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第49話

「今日は、桜皮(おうひ)からとれる咳止めについての講義です。数名に分かれて、まずは観察から始めましょうか」 俺の指示に従って学生たちが班ごとに別れ、桜皮を観察し始める。 始めの頃は、姫を見たいだけの学生が集まったりと、問題も山済みだったが、今では真剣に薬学を学びに来ている学生たちだけが俺の講義を聞きに来るようになった。 要が考えた専門学校は、裕福な平民の若者を対象にしており、本格的に組合に入って弟子入りする前に、自分の適性を考える場として鬼達の間で受け入れられるようになった。 最初は俺の薬学、誠姫による文学、月姫による服飾学、雪音による剣術学だけで始まった専門学校だったが、今では組合の頭を引退したご隠居達が様々な分野を教えてくれている。 名家の子息たちは大学へ通うことが多いので、すみわけがうまくいったと言えよう。 華姫は講義ではなく、保育園を作ることに取り組んでいる。鬼の世界には小さな子供が通う場所はない。そのため乳母をやとえない平民の家庭では、自分の時間を作れないメス型の悩みがあるそうだ。 姫が集うので、自然と四つの国の交流も増え、力自慢の風土があった夏青国でもメス型の威光が増して、治安もかなり良くなったらしい。政治はわからないが、要が俺にあまり執着しなくなり、町への出歩きも自由になったので、俺も満足している。 「観察が終わった順に、エキスの採取に取り掛かってください」 「蒼先生、こちらの量はどれくらいいれましょう?」 「量は一両(いちりょう)くらいにしましょうか」 姫ではなく先生と呼ばれるのもいい。すっかり姫と呼ばれるのに慣れて、久しぶりに先生と言われた時の違和感に違和感を抱くというおかしな現象も今ではなくなった。 生徒たちの作業を確認しながら教室を歩く。 庭を見ると、たくましい鬼達が剣術の稽古に精をだしている。 鬼兵隊へ志願するのは生徒の半分にも満たないと雪音が言っていた。憧れだけで入隊してひどい目に合う鬼が減ったのはいいことらしい。親の職業がそのまま子供に適しているわけではないと、ここにいると良くわかる。まぁ、ほとんどの生徒が時々来る左京のしごきに耐えかねて諦めるのだが・・・。 要が俺の様子を見にくることはない。それはまぁ、始終俺の後ろに要の影が立っていて、要がその気になれば影を通して見ることができるせいなのだが、ちょっと、俺への関心が薄れすぎではないのかなとこの頃思う。街歩きだって、ほんとに、結構自由にしちゃっている。 影は基本的にはオートで動くらしく、オス型が俺に近づくと敵とみなして攻撃する。そのことにすっかり慣れた学生たちは俺の半径一メートル以内には決して入ってこない。俺がうっかり近づこうものなら、マッハの速さで避けられる。そうしてもらえて助かるのだが、あからさまに避けられるのって結構微妙な気分だ。 「摘出できたら今日は終わりなので、片付けに入ってください。あぁ、保存用の瓶は一回煮沸消毒してね」 窓を開けると、教室の桜皮の香りが外へと出ていく。風が暖かい。日陰はいいのだが、日差しの下で稽古している雪音たちは暑そうだ。こっちが片付いたら冷たい茶でも持って行ってやろう。あぁ、その前に職員室へ行って、御隠居達にセクハラされている誠姫を助けなくては。あの人、「あっ」とか「ふっ」とかいちいち言って顔を赤らめるから、尻とか触られるんだろうな。他人の性癖はよくわからない。わかりたくもないが。 🔷 要の職場は家から中町にある役場へと変わった。俺が大学で働くようになったのと、鬼の世界にも慣れて、街歩きもできるようになったからだろう。大学が終わると、俺は要の仕事が終わるまで温室ならぬ令室で植物たちの世話にいそしむ。夏青国では冬白国と秋紫国の植物が育たない。そこで、雲京が令室を作ってくれたのだ。もちろんそれは、「俺を番にしようとしていたことは、要には黙っておいてやる」と俺が笑って許してやった対価だ。おかげで要もたくさんの鬼を殺さなくて済んだと思う。 「涼しいなぁ」 令室の中をブラブラ歩く。イチョウの木に銀杏がなっている。落ちたら拾って梅に炒ってもらおう。踏みつぶすとくさいから気をつけなくては。 雪花(せっか)がある奥の特別令室は寒いのだが、手前の令室は涼しくて快適な気温だ。本を読んだりもできるようにガーデンチェアも置いたし、俺の憩いの場となっている。 「姫様、要様より、先に帰ってほしいとのご連絡です」 馬車の御者(ぎょしゃ)が迎えに来た。 正直、「またか」と思う。ここ最近、要は政務が忙しいのか帰宅が深夜になることが多い。 「わかった。今いく」 🔷 朝目覚めると、要の姿はもう無い。これも最近、増えてきた。 そして・・・ 「月姫と一緒だったのか」 隣から香る要のものではない残り香にため息をつく。 秋紫国の安部教授、通称月姫は香りのきつい香水をつけている。そのため、要が月姫と一緒に仕事をしてきた日は、布団にまで月姫の香りが移るのだ。 「あの人、距離感近いしな・・・」 仕方ないとは思う。月姫は姫でありながら政務もこなしている。夏青国で軌道にのっている専門学校を自分の国でも作りたいと考えていることもあり、講義で学校にいる時間よりも、役場で要達と過ごしている時間の方が多いのではないかと思う。 ただ、なんとなんとなくモヤモヤするのは、月姫が要を気に入っているからだ。 元々人懐こい性格で、俺のことも蒼ちゃんって呼んでくるし、平気で腕を組んでくる。ボディタッチも多い人なのだが、要には特にベタベタとくっつき猫なで声でしゃべっている気がする。人間だった時から、記憶にある限りそんな感じなので、特に変化があったわけではないのだが、最近どうにもモヤモヤとした感情が膨らんできて困る。 それは、月姫の番である(ただし)と知り合ったせいかもしれない。正は月姫より年下の元消防士で、誠実でさわやかな青年だ。要とは人として生きた世代が同じなのか他の閂よりも気が合うようで、二人で冗談を言い合って笑っている姿は若々しく少年の雰囲気さえある。月姫の好きなタイプが、若くて可愛い男の子、なら、おそらく要も入ると思う。正確に言うと、要は正よりも腹黒いし、ドロドロした一面を持っているのだが、月姫は俺ほどその一面を知らないのだから、下手すると正よりも好みなのではないかと思う。月姫と要が一緒にいる所を見ると、どうしてもその考えが脳裏をよぎり、モヤモヤが発生するのだ。 「あーもう」 布団を振って月姫の香水の香りを飛ばす。考えても仕方のないことだ。今日は他国からサツマイモが届く。いよいよサツマイモの品種改良に着手することができる。目指すは日本の甘い焼き芋だ。俺は頭の中のモヤモヤを振り払うように大きく伸びをして、起き上がった。 🔷 サツマイモの品種改良は手間がかかる。まずはアサガオを台木にして接ぎ木し、目的の花を使い交配させ、種をつくる。それを育てて、取ったツルを植えてイモを作るので、かなりの時間がかかる。それでもやろうと思ったのは、楽しそうだなというのと、甘みの少ない鬼の世界のサツマイモに飽きたからだ。種類を増やすってのも、面白いしね。 いつも通り講義を終え、令室へ向かう。サツマイモには令室内の室温はやや低いので、隣に作った畑で作業を開始する。まずは接ぎ木だ。 俺はモヤモヤした気持ちを忘れるかのように品種改良に没頭した。 おかげで、迎えに来てくれた御者をずいぶん待たせてしまった。この時間なら要も一緒に帰れるかもしれない。 拾った銀杏を御者に分け与えて、家に帰る前に役場へ寄るように頼む。遅い時間だが、銀杏をつまみに酒を飲むのもいいだろう。明日はお役目の日だし、要もゆっくりできるはずだ。 役場につくと足取りも軽く馬車のステップを降りた。しかしその時、耳に月姫の独特なしゃべり方が響いた。 「やっぱり難しいわねぇ。隣の国だってのに、生業としている業種が違いすぎるのよね」 「うちと違って秋紫国の主産業は絹織り物ですし、伝統工芸品も多いですからね」 馬車から少し離れた役場の入り口から二人が出て来た。何か熱心に話しながら、俺に背を向けて反対方向へ歩いていく。 行ってしまう前に声をかけねばと思っていると、近くから町の鬼達の声が聞こえてきた。 「なんて美しいんだろう。月姫様は名の通り月から来た者のようだ」 「蒼姫様も美しいけれど、月姫様はまた別格な美しさだね。あの美しい衣装、ご自分で作るそうだよ」 「要様も凛々しくて、二人並ぶと神のような神々しさだ」 外套に照らされて並んで歩く二人は、確かにその辺の鬼とは醸し出す雰囲気が違う。 それに比べて俺は・・・。 馬車が止まった場所に外套は無く暗いので、誰からも気づかれていない。紺色の袴に、白の着物、履いている草履も足袋も土に汚れている。 美しいとはとても言えない。 「姫様、声をかけなくてよろしいのですか?」 「ん、ああ、いいよ。家に向かってくれ。まだ仕事なのだろう」 「承知いたしました」 さっきとはうってかわって重くなった足をひきずるようにして俺は馬車に乗った。 🔷 「月姫ねぇ、蒼でもやきもち妬くんだねぇ」 「うるさいなぁ、ちょっと心配してるだけだ」 家に帰ろうと思ったものの、なんとなく一人でいたくなくて、焔の家にいってみると、左京もまだ帰宅していなかったらしく、雪音が飲みに連れて行ってくれた。 「蒼姫、飲み過ぎはよくないですよ。明日はお役目でしょうし、そこで愛を確かめられるんじゃないでしょうか・・・」 夏青国にいる間、焔の家が接待している誠姫も一緒だ。もじもじしたしゃべり方は酒が入っても変わらないらしい。 「お役目の日は、誠姫も明日ですか?」 「はい。前はきっちり七日に一度してたわけじゃないんですけど、今はこちらへ来るようになったので、自然と講義がなくて国へ帰る日になりました」 「え?そうなんですか?そっか、七日に一度じゃなくてもいいのか・・・知らなかった」 「月の満ち欠けが関係してくるので、いつでもいいわけじゃないんですけどね」 「ねね、社の中はどうなってるんだい?」 雪音が興味津々といった感じで身を乗り出してくる。 「おい、俺の話の途中だったろ?まあ、いいけど。社の中は空が星空で、それが足元の水に映って星空の中に浮いている感じになるんだよ」 「え?星空なんですか?冬白国の社は、空が真っ白で、地面も雪に覆われて真っ白で、銀世界に浮いているみたいな感じですよ」 誠が驚いた顔をする。どうやら社の中は国によって違うらしい。 「へぇ。どちらも綺麗だろうねぇ。で、その中で愛し合うのかい?」 「ま・・まぁ」 「恭弥さんは、一回すると、すぐ帰ります・・・。道具が持ち込めないから好きじゃないみたいで」 誠が人差し指と人差し指をウネウネしながら言う。これはどうやら誠の癖らしく、何か話す時はよく指がこうなっている。 「道具って何?何使うと興奮するんだい?」 雪音が面白がってさらに身をのりだす。 「やめろって、よその事情聞いてどうするんだよ」 誠と恭弥の変態プレイについては、変態度合いがすごすぎて聞いているこちらの血圧があがるので、あまり聞きたくない。 「おや、マンネリ解消は大切だろう?そうやって、いつまでも要様任せな交尾しているから、月姫に取られちゃうんだよ」 「取られてない!」 「月姫っていったら、花街を仕切っている姫だろう。そりゃあ手練手管の技を持ってるんじゃないのかねぇ」 「手練手管ってなんだよ・・・」 「蒼も、少しは誠姫みならって、相手の趣向を受け入れたらどうだい?」 「相手の趣向って・・・要は別に特殊な趣向は持ってない」 「知らないだけなんじゃないのかい?ねぇ、誠姫、最近はどんな趣向が好みなんだい?」 「最近ですか・・・そうですね。最近は、恭弥さんの執務室で、机の横の椅子に縛られることが多いです。膝とひじ掛けを一緒に縛られるので、大切なところが全部見える状態ですね。それで、恭弥さんが気が向いた時に、指でいじったり、道具をいれたりするというのが、最近の私たちのお気に入りです」 ちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに話す誠に背筋が凍る。この人と話していると、ちょいちょい背筋が凍るので嫌だ。 「それは、つまり、気が向いた時にされるけど、放置もされるってことかい?」 「はい。それがたまらなくて・・・。なかなかいかせてもらえないので、恭弥さんが入ってきた時の感覚は、天にも昇るようです」 息が詰まる。せっかくいい気持で酔っていたのに、一気に覚めてしまった。雪音も雪音だ。こんな変態プレイを聞いて、何が楽しいと言うのだ。にやにやしやがって。自分は絶対しないだろうに。それともあれか、左京にするつもりなのか?左京どんまいだな。 「あー、もう、やめろって。そろそろ帰ろう」 「ふふふ。元気でたじゃないかい。まあ、心配しなくていいと思うけど。要様が蒼以外に懸想するなんて、私にはとても考えられないよ」 「あ、明日道具使ってみますか?少しでよければお貸しできますよ」 「いや、いいです・・・。貸すものでもないでしょうし」 雪音が大笑いする。話していると頭がバカになるようだ。まぁ、これも、二人の慰め方なのだろう。 友情なのかよくわからないが、とりあえず二人と話して気はまぎれた気がする。気にしても仕方がない。自分の気持ちは自分でどうにかできるが、他人の気持ちをどうにかすることはできない。要が今、どういう気持ちで、誰を好きになるのかは要の自由だ。 俺はただ、願うことしかできない。 信じたいと思う。好きだと言ってくれた要の気持ちを。ずっと一緒にいたいといってくれた要の言葉を。 ただ、願うことしかできない。そういうことも世の中にはあるのだ。

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