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第2話

 陰間の朝は早い。  毎日掃除をしないと饐えた匂いが部屋に充満するからだ。  いつもの癖で怜音は日が昇るより早くに目が覚めた。  違うのは横に自分以外の顔があるという事だった。  何人の男たちに慰み者にされようと、白夜は決して一人の人間と夜は明かさない。それが白夜のルールであった。  そのルールをさもなかった事にするかのように、出会ったその日から土方は横にいた。      ◇   「僕の部屋はどこですか?」 「ここだが、いやか? 少し手狭か」  見当違いな土方のセリフに怜音は大きな目を見広げ、プルプルと頭を振った。 「ここは立派過ぎて、僕にはちょっと不釣り合いです」 「そんな事はない。お前は俺のオメガだ。俺の子を産む。リラックスできないような部屋では困るし、窮屈な部屋に押しやるつもりもない」 「だって、それにここにはかなり物があって、どなたかのお部屋ではないのですか」 「ん? おかしなことを言う」  土方は大声で豪快に笑った。 「そんな笑う事……ないでしょう」  怜音は首まで真っ赤に染めながら、拗ねるように顔を背けた。 「いやいや、すまない。ここはお前と俺の部屋だ」 「え?」  それこそどこから声が出ているのかというような、頓狂な声が出た。  朝の光も当たらぬ窓を見上げ、薄暗い室内で自分のことを抱きしめながら、安心したように寝ている男を見て、初めてこの部屋に通された数日前のことを思い出していた。 「フフフ、不思議な感じ……」    体に触れる土方の腕が子供のようにまとわりついていて、その重みが心地よかった。  起こさないようにそっと手を動かし、体をすり抜く。  その瞬間、  朦朧とする瞳がうっすらと開いているのに気が付いた。絡みつくように二人の目が合う。  起きているのだと気が付くのに少しの時間を要した。 「起きて……いるの?」 「今起きた。そんな可愛い顔で見つめるな、襲いたくなってしまう。我慢がきかんよ」  けだるげにかすれた声が反則の様に耳孔に響く。 「何を言っているの。可愛くなんか」  照れるという感情も、土方に会って初めて知った。 「可愛いさ、この世の誰よりも可愛くて愛しいよ」  抱きしめる手に力が入り、背中が一気に熱くなった。 「あのぉ」 「ん? どうした、怜音」 「どうして僕だったのかなって思ったんです」 「一目惚れだと言ったら、お前は信じるか?」 「信じません」  俯き加減に、それでもはっきりといった。 「どうして?」 「誰にでも足を開くような淫乱。そんな奴に僕なら一目ぼれなんかしないからです」  土方の口から呆れるようにため息が漏れるのが分かった。  怒っているのだろうかと、びくびくしながら口元に視線を動かす。  その口はゆっくりと移動して、すぐに自分の視界から消えてしまった。  おでこにむにっとした柔らかな感触があたり、口がそこに移動したのだとわかった。  すべての神経がそこに集中して心臓がドキっとした。 「それは生きるためだ。仕方がないだろう。お前にほかに選択肢があったのか?」 「それは……、そうですけど」  おでこの唇の感触は何度も食むように啄み、それは少しずつ唇に近づいた。  唇に触れるか触れないか位のささやかな温もりが、怜音に幸せを与えてくれる。 「お前に助けられた人間の代わりに、俺がお前を助けたかった……と言ったら不思議か?」  10センチも離れていない場所で、唇がゆっくりと動く。言われた言葉が理解できずに、その言葉を繰り返した。 「僕に助けられた人?」  記憶を探れどそんなものは無かった。  あまり深く人にかかわらない、他人に感情を持っていかれない、常にそう心がけていた怜音にとって、誰かを助けた記憶などない。 「オメガだったんだ」 「え?」  土方がぽつりと話し始めた。 「その子は、オメガだった。発情前で自身の第二性など知らずに町を歩き、アルファと出会って共鳴するように発情した」 「陰……ですか」 「ああ。オメガのフェロモンは強烈だ。薬は高値で販売されている。お前も知っているように、たとえ発情したって、町民では手は出ない」 「土方、様は……薬、飲まれているのかと思っていました。だって僕からも匂いはするでしょう」 「ここ、理心流ではフェロモンに耐えられるような訓練を行っている」 「訓練?」 「拷問に耐える訓練をするのと大して変わらん」  さも普通のことの様に言う土方に、こつんと頭をのせ好きですよと伝わるように目を閉じた。 「同じ仲間だったんだ。俺がここに来た時にはすでに剣の腕は俺なんかよりはるか上にいた」 「……………………」 「あんなに強いから、仮に第二性があってもアルファと思い込んでいた。色も白くて、あんなに細いのにな」 「誰のことですか?」 「襲われているところを、蒼園の男たちに助けられた」 「もしかして」 「ああ、あの時格子の中から、お前と目が合ったとアイツは言っていた」 「アイツって?」 「そのまま陰間になるところだったのだが、理心流にとってもあいつの腕は一品だったから、二か月後やっとアイツを見付けて、お(かみ)に掛け合った」 「おかみ? 将軍ってことですか?」 「ああ」 「あの子は少しの間蒼園にいましたよね」  怜音は記憶を引っ張り出した。  生きようが死のうが関係ないと思っていた。  だから突然見えなくなっても、死んだのかなくらいにしか思っていなかったことを思い出して、胸が痛くなった。 「ごめんなさい」  突然の謝罪に土方の目が大きく開かれた。ぼうっとしながら話していたのだろう。ごめんなさいと言って目に涙をためる怜音にびっくりして、ついきつく抱きしめた。 「痛いです……」 「ああ、悪い」  お前が消えてしまいそうだったんだ、と頬を摺り寄せた。  触れる頬が熱く、生きていると感じた。 「その子は今、生きているんですか?」  その問いに、「ああその時の記憶はところどころないがな」とかすれた声が言った。 「みんなに会うか?」 「みんな?」 「ああ。理心流に顔を出しに行かないかという事だ」 「あの時の彼にも、会えますか」 「会えるぞ。ただ、蒼園にいた時の記憶はところどころしかない。どこまで覚えているのかすら分からない。傷つけないと約束してくれるか」  土方にとって大切なのだという事が伝わってくる。  怜音は黙って頷いた。  ただ言葉通りにとればさして思うようなことは無い。それでも癖なのか、言葉の言外を読んでしまう。僕は代わりなのかなと、少しどす黒いものが心に渦巻いて、心臓がチクンと痛んだ。   「どうしたんだ、怜音」 「いいえ、何でもありません」  大きな手が髪の毛の隙間に差し込まれ、手櫛の様に鋤いていく。  ゾワゾワとする体の芯から立ち上る感覚に、後孔がピクンと動いた。  ここに来て同じ部屋に暮らすようになって、もう何日もたった。  同じ布団で眠るのに、土方は決して怜音を抱こうとはしなかった。  毎回キスだけで背中をトントンとする。  子供をあやす様にする土方に、次第にほかの恋人の影を見るようになっていた。  その恋人はオメガではないのか。  僕の子供はその恋人のものになってしまうのか。  自分は揶揄われているのか……と、心はぐちゃぐちゃと掻きむしられた。  それでもそれに慣れ、今は抱かれないことも致し方ないのかと思えるまでには落ち着いた。  子供が欲しいといった。アルファの子供が欲しいのならどうしたって自分の体がいる。  理由なんか今までだって考えたことは無かったではないか、そう言い聞かせた。   「なんでもないって顔じゃないぞ」  気を使う土方に腹が立ち、そんな自分が情けなくて感情を殺した。  今までは出来ていた。  ゆっくりと笑顔を張り付けた。 「眠くてぼうっとしていただけです。何時くらいに行くんですか」  感情を押し込めれば鈍い土方では推測は難しかった。  言葉通りに受け取り、安心するように啄む小鳥の様なキスをした。  ――――僕は土方様が好きなのだ。  だんだんと窓辺から差し込む日の光を感じながら、そんなことを考えた。        

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