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第3話

「朝ご飯をあっちで食べるか」  中庭をはさんだ道場の方を指した。 「一緒にですか」 「ああ、大したものは出ないがな」  今日の賄当番は総司じゃないから不味くはないぞ。と思い出し笑いをするように口元が弓型に弧を描いた。 「仲がいいんですね」  なんとなくむっとする感じに映ったのだろうか。覗き込むようにしゃがみ込み、肩をつかまれ、見上げられた。  前髪がはらりと額に落ち、指で払うしぐさにドキっとした。 「焼きもちか?」  この人は鈍いんだか鈍くないんだか分からないと、怜音は思って、なんでこんな時ばかり分るんだと、土方の着物の裾を引っ張った。 「ん?」 「焼きもちなんか焼いていません」  素直になんか甘えられない。  甘えていいなんて誰も教えてはくれなかった。 「そうかそうか」  破顔するように笑った。 「何ですか……」 「嬉しいよ」 「焼きもち焼かないことがですか?」 「いーや。焼いてくれていることがだ」  何でバレるんだと熱く火照る項を手で押さえた。  言外を読むも、土方の真っ直ぐな性格に裏側なんかないのだろう。戸惑い、どうしていいかわからなかった。何も邪な気持ちなど隠れてはいないとばかりに、言葉も表情もそのままだ。  嬉しいという言葉に嬉しい表情が付き、その表情に嬉しい音が付く。  生き方が綺麗な人なんだなぁ、と怜音は眩しそうに目を閉じた。  閉じた瞼にチュッというリップ音がした。 「かわいいな」  唇は土方のものだった。 「だから焼いていません」  素直になれない性格が災いして、手でぶんぶんと追い払うと、つい可愛くないことを言った。 「素直じゃないな。どうしたら俺の怜音は素直になってくれるんだ」  素直になんて、考えたこともない。  もちろんこんな風に言い返したこともないから、今はそんな自分にすらびっくりしている。  怖くて、恐怖で支配された陰間茶屋ではただすべてを受け入れていただけだ。  土方のいう素直とはどんなものなのだろうかと、ない経験から必死になって考えた。 「怜音、俺の怜音」 「誰の怜音……ですか」 「俺のだ。仲間にもそう説明するぞ」 「だって、あなた……恋人は?」 「恋人?」  とっさに隠している言葉が出てしまった。  しまったと思った時には時すでに遅く、土方の眉間には皺が寄っていた。 「誰のだ?」  甘かった声が一変する。  何か気に障ることを言ってしまったのだと、空唾を飲み込んだ。  返品されたら、女将さんに何をされるかわからない。恐怖が襲い、手足が小刻みに震え、視線が揺れ、それなのに謝罪の言葉一つ出なかった。謝らなきゃと震えを押えるように、太ももを掻きむしった。 「やめろ」  誰かが何かを言っている。何か言われていることは分かったものの、心がついていかなかった。 「怜音」 「怜音!」  ほんの3センチくらいしかない顔と顔の間。  怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。 「土方様?」 「自分を傷つけないでくれないか。血が出ている」  着物の裾をめくり、爪で引っ掻いた傷跡を、生暖かい舌が這った。 「あっ、そこは」 「ん? 気持ちいいのか」  真っ白い肌に浮かぶ赤い線が扇情的だった。 「綺麗だ。怜音……」 「ん、土方……様」 「恋人なんていないよ。お前を好きだと言っただろう」 「だって……」  壊れ物を扱う様に細い体が抱きしめられる。 「だって、抱いてくれないから」  ここに来て、初めて怜音が土方に投げかけた本音に土方は嬉しそうに笑った。 「やっと言ってくれたな。待っていたよ」  二人は静かに唇を重ね合わせた。 「好きだ」 「好きだよ」  何も言わない怜音に刷り込むように、土方は何度も語りかけた。  土方の胸部が怜音のものと合わさり、内部から響くようにドクドクと跳ねる鼓動を伝えてくる。その鼓動はどちらのものとも判別できないほどに混じりあっていた。  ――自分のものが伝わる恥かしさ、土方様のものが伝わる喜び、段々と大きくなる二つの鼓動が、この幸せが夢ではないことを教えてくれる。  愛しい。愛しい。   「抱かなかったのは、だだそれだけが目的だと思われたくは無かったからだ」 「わからないです」 「そうだよな。俺が簡単に考え過ぎていた。抱かれることが価値だと思ってきたのにな」  陰間にとって体を売ることは生きることだった。  求められることが存在意義だった。    頭をぶんぶんと振りながらしゃくりあげるように嗚咽が漏れた。 「生きたいから……」  そう言うと、開いた口が、そのまま音にならない息だけを繰り返す。  土方はせかすでもなく、背中をさする手から何かが伝わればいいと抱きしめた。 「焦らなくていい、好きだよ。怜音」 「足を広げ……受け入れることだけが、生きられる条件でした。オメガとして、人のためにアルファを産むこと、それが僕の仕事だったから」 「ああ」 「土方様に……抱かれなかったら、僕、貴方の子供産めないから……そんな僕に意味があるのかなって、そう思ったら」 「そう思ったら?」  聞き出す様に繰り返す。 「ふと、思ったんです。ああ、土方様には大切な人がいるんだって。|陰《おん》の状態じゃないオメガでは抱いても子供は出来ません」 「……………………」 「だから陰でもないのに、わざわざ、恋人でもないただの道具なんか抱きたくないよなぁって」 「俺は尊王攘夷派だ。別に海の外の国を認めているわけではない」 「知っています、ここに来る前に女将さんに教えられました」 「でも一つ、あっちの方がいいのになと思ったものはある」 「土方様?」  共鳴していた胸を離し、目と目を合わせる。  土方が海の外を認める。  思う事はあっても言ったことは無いだろうその言葉に、重みに、怜音は胸が締め付けられるものを感じた。 「海の外では【陰】のことを【ヒート】というそうだ。陰という言葉は、マイナスを想像させる。【日の当たらないところ】【人に知れないもの】という意味を持つ」 「はい」 「つまりこの国にとって陰は悪い事なんだ。アルファをたぶらかす悪い事って意味合いが強いのだろう。でも……」 「でも?」 「でも、海の向こうではヒートってのは【エネルギー】【熱さ】【温かさ】って意味を持つそうだ。素敵だろ」 「ええ、……………素敵ですね。陰のオメガなんて最悪です。色に狂い、後孔に挿入されることしか考えられなくなる。そんな動物的行為なのに、同じことなのに…………こんなにも、違う」 「ああ、同じことなのにな。本当に、なぜこんなにも違うかと、初めて聞いた時はショックだったよ。この国は閉鎖的なんだと、それを望んでいる自分でさえ、ヒートっていい言葉だと思った。なぁ素敵だと思わないか。ヒートだ、温かいんだ、怜音」 「土方様」 「俺たちの間ではヒートと呼ぼう。だから、これから起こるすべての行為は、決して悪いものではないんだよ」  土方の肉厚の唇が怜音の首筋を舐めた。 「何も考えられなくなります。ペニスのことしか考えられなくて、擦られて突かれて……」 「温かい行為だ。愛しているからこそ、欲しい。今までのどの男より、絶対に幸せにしてやる」  怜音は土方の胸に頬をよせ、顔を俯かせ必死に我慢する目頭から涙がこぼれるのを耐えた。  そんな怜音に土方は存外優しかった。  震える肩を抱きしめる土方の腕も、ほんのわずか、震えているのが分かった。 「鈍いんだと思っていました」 「怜音、失礼な奴だ」  嬉しそうに笑う土方に、怜音もつられて笑った。  いつか離れ離れになることが決まっている。  この幸せは期間限定だ。死ぬまで一緒に居られるわけではない。  そんな事二人とも、痛いほど分かっていた。              

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