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第13話
庭の広いのが売りの三条家は、紅白の梅にツツジの垣根がぐるりと道と敷地を隔てている。
外からはほぼ中は見えないような作りになっていて、誰かと話すなんかいまだかつてない。
「うちの子に何か用ですか」
逆光で父親から相手は見えない。
「パパちゃん、違うよ。みーの帽子がお外に出ちゃったのを取ってくれたの」
ばっと顔が赤くなる。父親は焦って頭を下げた。
「それに、生方 先生だよ」
雅は学校の歴史の先生だと教えてくれた。
「すいません。きちんと表からインターホンを鳴らせばよかった。つい三条さんが見えたもので……」
申し訳ないと高い背を腰から真っ直ぐに曲げて、謝罪した。
「いえいえ、こちらこそ申し訳ない。あの、お茶でもいかがですか」
「とんでもない、そんな大した事はしていませんから」
父親は雅に顔を近づけると、このまま帰したらママちゃんになんか言われるかなぁと、耳打ちをした。
「んー、わかんない」
雅はいつもと同じスタンスでぼんやりのんびり答えた。
「ではこれで」
そう言って踵を返し歩き出そうとする先生を、とっさに手を伸ばして捕まえた。
「あっ、すいません。本当に、あの、今うちで作ってる朝ご飯、食べとかないと後悔するレベルで美味しいんです。そんじょそこらのカフェテリアより遥かに美味しいで。あっ、あのお金取ろうとか思ってないですし、食べてから、まっ、巻き上げようとか思ってないですから」
身振り手振りで、レベチだとアピールしたのが可笑しかったのか、破顔するように笑った先生は、お言葉に甘えてとひょいっと垣根を飛び越えた。
その俊敏さに父親は感嘆の声を上げた。
「わー、運動神経イイんですね」
他人の家に垣根を越えて入るなど軽く不法侵入だが、おとぼけな二人はそんな事には気が付かず、的外れな感想に生方は声をあげて笑った。
その時、父親の頭目掛けてペットボトルが炸裂する。
「痛い」
見事命中した後頭部をさすりながら、恨めしそうにペットボトルの方向に目をやった。
そこには、極寒ブリザードが吹き荒れているのかと思うような般若のような顔をした母親が、頭にバスタオルを巻いて生足彼シャツで立っていた。
「ママちゃん、痛い。しかもそれは俺のシャツだし、足見せないで」
「はぁ、浮気しといて足ごときで文句言うな」
「えっ、待って待って、浮気とか俺に限ってあるわけないでしょ。そんなことより、そんなかっこしちゃ駄目なんだって」
樹は素足で芝生に降りてくる。
「そいつアルファだろ」
と低い声で言った。
そりゃあ、これだけのポテンシャルならアルファでもおかしくない。香は頭で樹の言葉を反芻する。
ずかずかと生方の前まで来ると、雅の肩に手をやり、そのまま自分の後ろに匿った。
生方は樹の威嚇フェロモン放出にも負けず、涼しい顔をしている。
ベータの雅にアルファを嗅ぎ分ける能力は無く、アルファの威嚇フェロモンにもおおよそ反応しない。出会っても大して問題もない。
そもそも番のいる香には、樹の匂いしかわからない。
――アルファ?
――うちにはもう一人年頃のオメガがいる。
樹の顔の意味するところを瞬時に判断した香は、慌てて生方を垣根に押しやった。
「やっぱりすいません。クロックムッシュお出しできません。美味しいですけど、嘘じゃないですけど、なんならアルミホイルに包んできますから」
おろおろする香の手首をつかんだ樹は、眉間にしわを寄せ、溜息を洩らした。
「香、お前何言ってんだ」
「いや、だって一回お誘いしたわけだし、きちんと謝らないと、食べたいかもしれないじゃないか」
それには一切答えない樹は、生方から目を離さなかった。
「ママちゃん、怖い……」
雅が香の後ろに隠れ、そこから不安そうに樹に声をかける。
「パパちゃん、なんでママちゃん怒ってるの? ママちゃん生方先生嫌いなの?」
「いや、これはパパちゃんが軽率だったんだ。みやびちゃんもびっくりしちゃったよね。ごめんね」
「悪いのはコイツだろ。何狙ってんだかわからないだろう」
樹の言い方に香の目がぴくっと揺れた。
「そんな言い方は間違ってるよ。ママちゃんは確かに強いし、俺はママちゃんが大好きだし、ママちゃんの言う事なら何でも聞いてあげたいと思ってる。でもこの言い方は間違ってると思う」
香ははっきり言った。
香は樹の首筋にしがみつき、頬を摺り寄せた。
「そんなこと言っちゃダメ。俺の大好きなママちゃんが、そんな人を傷つけるような事言ったらみやびちゃんも悲しむでしょう」
「お前、騙されて……」
パンパン、手をたたく音がした。
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