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第22話

「お兄ちゃんってば、聞いてるの?」 「聞いてるよ。どうしたんだ?」  帰宅して夜ご飯の仕込みをしていると、塾から帰ってきた雅が泣きそうな顔をしてキッチンに飛び込んできた。 「なんであんな約束したの?」  あんな? 昼間のことかと溜息をついた。 「許せなかったから」 「だからって、あんなの無茶だよ。ねぇ、お兄ちゃん、聞いて! 高橋君は出来ないふりしてるだけなんだよ」  普段大人しい雅がよく喋る。 「らしいね」 「らしいねって、わかってて? お兄ちゃんには関係なかったじゃない」 「ミヤ、本気で言ってるの?」 「だって、みーお兄ちゃんに何かあったら、生きていけない。嫌だよ。高橋君、本気だった。あの後、みーのとこに来て、ごちそうさまって言ったんだよ」 「ミヤ……」 「謝ろうよ」 「それこそ嫌だよ」 「噛まれちゃったらどうするの」 「ヒート中のものじゃなければ、噛まれても番えないよ」  リビングでは最近良く流れているポップスが、かかっていた。これは樹さんが最近気に入っている曲だった。  生暖かい風が入ってくるという事は、ベランダで煙草でも吸っているのか。  カーテンを引く音がした。樹さんがリビングに戻ったのだとわかる。  聞かれたくないと小さな声に切り替えた。 「ミヤ、ちょっと声を押えて」  必死になって首を左右に振った。 「変な薬とか持ってるかもしれない。高橋君、いつもお気に入りの子には、変なもの飲ませてる」 「何それ! 雅!」  荒げそうになる声をぐっと我慢した。 「痛い、お兄ちゃん」  気がつくと高雄は雅の腕を強く握っていた。 「それどういう事? 担任は知ってるの?」 「……多分、知らない」 「皆は知らないの?」 「知ってる……」 「そんなのいじめだよ。見て見ぬふりはダメでしょう」 「皆、お兄ちゃんみたいに強くないよ。皆必死に守ってる。みーはベータだから、高橋君の興味には引っかかってないけど、マキちゃんは仲良しのオメガだよ。もしみーの代わりにマキちゃんに何かあったらとか、皆はいろいろ考えてる。お兄ちゃんはみーが標的になってもいいの?」  言われて言葉が、ぐっとのどに詰まった。雅のその本心からの棘だらけの言葉はとても痛くて、泣きじゃくる雅の顔が見れなかった。  ミヤは別に悪くない。たぶん生徒は誰も悪くは無いんだ。皆、自分を守ることに必死なんだ。  なら、何が悪い。誰が悪い。  ――オメガクラス。  ――オメガだけを集めたクラスがあれば。  頭に浮かんだ。  嫌な案だった。  それこそが自分が真っ向から向かい合った現実だったはずなのに。  オメガは危険だから、籠の中に入れておけばいいという風潮が許せなくて、誰よりも努力した。  自分の身は自分で守ると言い切って、A組に居座った。首席はどんなアルファにも譲ったことは無かった。  高雄は熱い喉元を掻きむしりたくて仕方がなかった。  許せない想いは、ほかの何かを傷つけるものなのか。   「標的なんか、なってほしいわけ……ないでしょう。でも先生に言えば……」  余計なことを言わないように、なるべくゆっくりと話す。  元来正義感も強い高雄には、雅の弱さが納得がいかなかった。  弱い人がいるのは理解ができる。でも理解ができるのと、許せるのとはそもそも別の問題だ。 「言えないよ。謝ろうよ」 「嫌だ、それにもう撤回は出来ない。あいつはそんな顔をしていた」  そうだ、今更こんなチャンス逃すようなバカじゃない。  撤回なんか申し出たら、日和ってるのがばれる。  そもそも自分は日和ってない。 「じゃあ、明日休んでよ」 「ミヤは……………………」 「なに?」 「ミヤは僕が嘘つきでもいいの?」 「みー、お兄ちゃんが嘘つきでもいいよ」  小さな声が震えるように答えると、そのか弱い手は高雄のシャツの裾を掴んで必死に握りしめていた。  気持ちはわかる。高雄は雅の頭をそっと撫でた。 「僕は、自分が嘘つきになり下がるのは嫌だ」 「お兄ちゃん!」 「そんな僕がいいなんて言うミヤも嫌だよ」 「だっ…………」 「僕はいつだって真っ向勝負してきたよ。オメガだって診断が下ったときも、決して自棄にはならなかった」 「分かってる。そんなお兄ちゃんはみーの自慢だもん」  高雄の胸にくしゃくしゃの顔を近づけて、しゃくりあげた。 「なら、最後までカッコイイままいかないとだろ。こんなとこで日和っていられるか」 「カッコよくなくていいってば」 「僕がよくない」 「わからずや!」  その場でぺちゃんと座り込むと、雅は膝を抱えて高雄の脚に寄りかかった。  庭から野菜を持って戻ってきていた、パパちゃんが黙ってみている。  パパちゃんは力はないし喧嘩も強くない。  でも一本筋が通っていて、実はかっこいいって僕は知っていた。  パパちゃんの手からキャベツをもらうと、ザクりと包丁を入れた。今日はハンバーグにしようか。 「トンカツにするぞ!」  樹が柱に体を預けてゆらゆらと立っていた。  手に持っていた缶ビールの残りを、盛大にシンクに流した。 「樹さん」 「ママちゃん」  同時に声がかぶさった。 「勝てるのか」  短いけれど、想いのこもった一言だった。 「わからない」 「強いのか」 「多分」 「賭けの代償は?」 「僕」 「……………………」 「樹さん?」 「お前はとことんバカだな。そんなバカが私は好きだぞ。トンカツにしろ」 「勝負の前だからトンカツって、べたなゲン担ぎだね」 「黙れ。稽古を積んでやる」 「樹さん」 「負けるなよ、高雄…………」 「ああ」  樹さんの手は思ったより小さくて、その小さな手が、竹刀を握ると不思議と大きく見えるのだから不思議だ。  この手から受け継いだものは、技術だけではない。  フィジカルでは負けても、メンタルでは負けるものか。 「今日はゆっくり休めよ。それも勝負には大切な要因だ」    

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