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第7話

「あ、そうそう碧。花火大会のポスター見た? 来月の」  姉がキッチンで麦茶をグラスに入れながら訊いてきた。 「見てない。そっか、もうそんな時期なんだね」  街を流れる大きな川に沿って、4ヶ所だか5ヶ所だかで上がる花火。毎年どこから湧いたかと思うほど人が集まる。 「そうよ。花火よ、花火。耀ちゃんがやたら碧を心配するようになった理由」 「え、あ…あー、あれか。やな事思い出しちゃったじゃん」  僕が小6の時に行った花火大会。前年までは誰かの親が来てたけど、姉たちが中学生になったし近場だし、ということでその年から子どもだけで行くことになった。ちょうどどこの親も忙しかった、というのもある。  僕は途中でトイレに行くたくなって、でもみんな花火見てるし、と思って1人で行った。 「あの時耀くんにめっちゃくちゃ怒られたんだよねー」 「でも耀ちゃんが気付いて見に行ってくれてなかったら、あんた変質者に連れてかれてたじゃない」  突然腕を掴まれて引っ張られたりしたら、声なんか出せないと知った。「危ないと思ったら大声で助けを呼びましょう」なんて何割の子どもができるんだろう。  大人の男の人の強い力で掴まれて、奥歯がガチガチ鳴って冷や汗が背中を伝ってた。僕は何も言わず1人で来たことを猛烈に後悔した。  踏ん張ってる足がずるずると引き摺られ始めた時、後ろから抱きしめられた。と同時に聞こえた声。 「こいつから手ぇ離せよ! どこへ連れて行くつもりだっ!!」  普段穏やかな耀くんの、珍しい怒声。  よく通る声に、周りにいた人々が一斉に視線を向けてきた。  そして状況を把握した大人たちがこっちに走ってきて、僕の腕を掴んでいた男の人は手を離して逃げて行った。あの人は確かその後、捕まったと聞いた。  それから僕は、耀くんにぎゅうっと抱きしめられながら怒られたのだ。 「花火大会なんて、暗くて、人が多くて、みんな上ばっか見てて、子どもなんか攫われ放題なんだから1人でトイレに行くなんてもってのほかだ! しかもお前は可愛いんだよ! 気を付けろ!」  そう言って怒られた。連れ去られかけて怖かったのと、耀くんに初めて本気で怒られたのとで僕は泣き出してしまった。  耀くんはため息をついて「言い過ぎた。ごめんな。でもマジで1人になるな、危ないから」と言って、僕が泣き止むまで抱きしめて頭を撫でてくれた。  その後は家に帰るまで、ずっと耀くんと手を繋いでた。  お姉ちゃんは反対側の手を握って、僕の頭をやや乱暴に撫でた。  そんなことがあったけど、それでも花火大会には毎年行ってる。去年も一昨年も、受験勉強の息抜きということでみんなで行った。  絶対に1人にならないように気を付けて、あの後は危ない目には遭ってない。  それにもういい加減僕だって成長したし、連れ去られたりはしないと思う。  そう思うのに。 「やっぱり今年も碧と手ぇ繋ぐの? 耀ちゃん」 「え? 駄目?」  花火大会の行われる河川敷へ向かう道で、浴衣姿の姉がやや唇を尖らせて言った。他の女の子たちもみんな浴衣だ。女の子たちは去年みんなで一緒に浴衣を買ってた。それを今年は取り替えっこして着てる。着物は多少体格が違くてもそういうことが出来るのがお得だと思う。 「ダメっていうか‥‥ねぇ」  そう言って姉はちかちゃんの方を見た。ちかちゃんも微妙な顔をしてる。  まあ、そうだよね。 「僕は大丈夫だよ。もうほら、高校生だし」  そう言って少し耀くんから離れた。僕が離れた分、ちかちゃんが耀くんに近寄った。    僕の隣に来た敬也が、ちらちらと姉の方を見てる。 「谷崎先輩、女子よりお前の心配してて面白えな。今は攫われるなら絶対女子だろ、浴衣だし」 「うん、僕もそう思う。心配性なんだよね、耀くんは」  でも心配されること自体は嫌じゃない。むしろ嬉しい。  ただ、耀くんを独り占めするのが少し心苦しいのも事実だ。  まあそう思いながら、去年も一昨年もその前も、手を繋いで行ったんだけど。  集団の後ろの方を歩く僕を、耀くんが時々振り返る。  花火大会のメイン会場が近くなってくると、どんどん人が増えてくる。ラッシュの電車みたいになってきて、所々に番号の書かれたポールがあって、警備員が立って誘導とかしてる。 「なんか今年、いつもより人多くない?」 「多い気がするな、なんでだろ」  敬也とそんな話をしながら人に揉まれて歩く。 「とりあえず前行ってる耀くんを目印に逸れないように…」 「うん。谷崎先輩背高いからこういう時いいよなー」  そんな風に必死に前を見ながら歩いていると、 「わっ」  靴、踏まれた! しかも脱げたっっ  慌てて足元を見て、どんどんくる人にぶつかりながらどうにか靴を拾って履いて、周りを見たらもう敬也はいない。  やば、耀くんも見えない

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