24 / 110
第24話
「ト、トイレ行ってくるっ」
僕は逃げるようにリビングを後にした。洗面所の鏡で見た僕の顔は、全体に紅潮していて恥ずかしかった。
顔、洗おう。
夏の水はぬるい。でも少しはマシになるんじゃないかな。
あんまり遅くても怪しいから、もう一回鏡を見て洗面所を出た。
僕がいない間に、みんなが耀くんの周りに集まってた。
「あ、碧。続きやる? もう少し休む?」
耀くんがリビングに入ってきた僕に気付いて声をかけてくれて、みんなが少し僕を振り返った。女の子ばっかり。
その、それぞれのカールしたまつ毛の目の圧が、ちょっと痛い。
「続きやる。てゆーか次違うの教えて、耀くん」
僕はその圧に耐えながら耀くんの隣に座った。
「いいよ。ということで俺の休憩も終わりだから」
「はーい。ちかちゃん、私たちももちょっとやろうか」
「えー、ちか飽きちゃったもん」
「まあまあ、今のうちにやっときなって。毎年終わりの方で泣きそうになりながらやってるでしょ、ちかちゃんは」
「やだー、陽菜ちゃんひどーい」
姉たちがソファ前のテーブルに戻って、ちかちゃんが不本意そうに問題集を開いた。
「碧は次、何をやるの?」
「数学にしようかな」
テーブルの上の英語の教科書とかを片付けていると、依くんがスマホを持ってやってきた。
「なぁ耀。来週さ、ちょっと一緒に出掛けてくんねぇ? このさ、右側の子、この子おれ狙ってんだけど、左側の子がお前に会いたいって言っててさ。4人でだったら遊び行っていいって言ってんだよ、だからさー」
思わず、教科書を持つ手が止まる。
「俺は行かないよ。てかヒトを巻き込むなよ」
耀くんの言葉にホッとした。
「そんなこと言わずにさー。おれの恋路を手伝ってくれよ。耀の方も協力すっから」
依くんが耀くんに手を合わせてる。
「依ちゃん何言ってんのよ。耀ちゃんに協力なんか必要ないでしょ。耀ちゃんが本気になれば誰でも落ちるわよ」
向こうのテーブルから姉が言った。普段より幾分低い声に思わずそっちを見た。さっちゃんがうんうんと頷いてる。ちかちゃんはちょっとぶすっとしてた。
「碧もそう思うでしょ?」
姉にそう言われて、息が止まった。嫌な感じの動悸がし始める。
何て応えたらいいか分からない。
僕は姉から視線を外した。
…お姉ちゃんは気付いてる。
「陽菜、碧を困らせるなよ。てゆーか、この話終わり。依人、悪いけど他の方法考えて。俺はそういうの協力できない」
「わかったよー。あー、どーすっかなー。なぁ啓吾、なんかいい方法ない?」
「そんなん知ってたら、おれにだって彼女がいるはずだろ」
「だよなー」
そう言って2人はガハハと笑っていた。その声が割と明るくて、さっきの姉の言葉たちを吹き飛ばしてくれた感じがしてありがたかった。
「碧、数学どこから?」
「あ、えっと…」
まだ心臓がどくどくしてて、心はざわざわしている。
問題集を開いて、ここ、と指差す。耀くんが軽く頷いた。
「解んないところ、ある?」
「やってみないと分かんない」
「そっか、じゃ、やってみな。見てるから。ゆっくりでいいよ」
僕がまだ動揺してることに耀くんは気付いてる。
シャーペンを握って、問題集に向き合った。
お姉ちゃんはどう思ってるんだろう。
ちかちゃんの宿題を見ながら「これ解んないのはヤバいよ」とか、さっちゃんと2人で言ってる。こうして見ると、いつも通りの姉に見える。
お姉ちゃんと2人になるのが怖い。
問題をじっと見つめていると、耀くんがまた端の方に何か書いた。
ーーごめんな
僕は耀くんの顔を見た。申し訳なさそうなその表情に、僕はぶんぶんと頭を振った。
それを見た耀くんは、ため息をつきながらその文字を消した。
僕は真剣に問題を解いた。気持ちを落ち着かせるには、それが一番いい気がした。
解らないところを教えてくれる耀くんの声と表情も、徐々に元に戻っていく。
一旦離れていた脚がまた触れて、今は肘も当たっていた。
そうやって、ほんの少し触れ合っているのが心地よかった。
僕はみんなが帰る時間まで耀くんを独占し続けた。
ともだちにシェアしよう!