30 / 110

第30話

「よく僕がここにいるって分かったね。たまたま?」  つい見惚れた照れ隠しに、こそこそと耀くんに話しかける。ここの図書館は割と大きいから、連絡しないと会えないと思ってた。  耀くんがにやりと笑いながら僕を覗き込む。 「知らなかった? 俺ね、碧を見つけるの得意なんだよ」  低く、甘い声が耳に入ってきて、背中までピリピリした。後頭部がじんわりする。  ぶわっと頬に熱が集まってくるのが分かった。うっかり持っていた本を落としそうになって、慌てて持ち直す。  耀くんが僕の方にスッと屈んで、耳に顔を寄せてくる。 「もう少し落ち着いてからカウンターに行こう。そんな可愛い顔、他の人に見せられない」  囁かれて、眩暈がした。  心臓がどくどくと忙しなく動いて、少しで落ち着くとは思えない。  唇を噛んで、本を抱きしめて立ち尽くす。 「…また、唇噛んでる。碧」  長い指に顎を撫でられた。 「俺、いない方がいい?」  そう訊かれて反射的に首を振った。手を伸ばして耀くんのシャツを掴む。 「…ここにいて…」  掠れる声でどうにか伝えた。 「分かった」  耀くんは目の前の棚を眺めて、1冊取り出して読み始めた。僕は背表紙を見ながら深呼吸をする。  そうしてしばらく並んで立っていた。時々人が通って、そのたび僕は深く俯いた。  盗み見ると、女の人は通る必ずと言っていいほど耀くんの顔を見て行った。 「そろそろ大丈夫そうだな。行こうか」  僕の顔を見た耀くんが微笑んで言う。僕は、うんと頷いた。  貸出しカウンターで手続きをして、バッグに本を入れた。抱えてた時はそうでもなかったけど、バッグに入れて肩にかけると重い。  入口でシャツを脱ごうとすると、 「日差しが強いからそのまま着て行った方がいいよ。お前、焼けずに真っ赤になるタイプだから」  と耀くんに言われた。 「よく覚えてるね、そんなこと」  自分でも、今朝姉に言われるまで忘れてたのに。 「覚えてるよ。碧のことだから」  当然のように言われて息が止まった。もう耀くんの顔も見られない。トートバッグからキャスケットを出してしっかり被った。クリップがぶらりと揺れる。  そのクリップを、耀くんがシャツの襟に留めてくれた。  その様子を通り過ぎる女の子たちが見て、肩を寄せて何か喋ってる。 「行くよ、碧」  耀くんが僕の腕を引く。僕は下を向いて付いて行った。  降り注ぐ蝉時雨と、強い強い夏の日差し。地面にはくっきりと木々の影が落ちている。 「あっつい…」 「そういえば碧、お前ちゃんと水分摂ってる?」  覗き込みながら言われて、あ、と思った。 「…とってない」  すっかり忘れてた。 「危ないやつだな。出発前に思い出してよかったよ。何か持ってる?」  ううん、と首を振ると「ちょっと待ってて」と言われた。木陰で少し待っていると耀くんはスポーツドリンクを買ってきてくれた。 「小さい頃からよく脱水症状になってたよな。飲んでから行こう」  そう言いながらペットボトルを渡してくれた。お金を払おうとすると、いらないと言われた。 「…ありがと、耀くん。なんか僕、成長してないなぁ」  こくり、と一口飲んだ。耀くんもバッグからミネラルウォーターを出して飲んでいた。 「お前はそのまんまでいいよ」  ペットボトルの蓋を閉めながら耀くんが言った。そして僕の方を流し見る。  目が合って、鼓動が跳ねた。うっかり落としたペットボトルの蓋を、耀くんが空中でキャッチした。大きな手が、僕の手のひらに蓋をのせてくれる。 「じゃあ、そろそろ行く?」  少し首を傾げて、耀くんが訊く。僕はまた、うんと頷いた。  ドキドキ、ドキドキと心臓が鳴っている。今日この後、普通のリズムに戻ることはあるのかな、なんて思った。

ともだちにシェアしよう!