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第31話

 駐輪場に、自転車は並んで停まってた。そんなにしょっちゅう乗ってるわけでもないのに、耀くんは僕の自転車を覚えてた。昨日姉が「すごく記憶力がいいのに」と言っていたのを思い出した。 「ゆっくり走るけど、速すぎたら言って」  耀くんはそう言って自転車を漕ぎ始めた。僕はその広い背中について行く。逆三角形の綺麗な後ろ姿。耀くんは時々僕を振り返る。  途中でコンビニに寄ってお昼ご飯を買った。僕はサンドイッチ、耀くんは生姜焼きのお弁当を買ってた。 「碧、ほんとにそれだけでいいの?」 「うん。大丈夫」  正直、これも食べられる気がしない。  耀くんは「ふーん」って言いながら、メロンパンを一個追加していた。    あの雷の日以来の、耀くんの家。  あの日は突然の雷にドキドキしながら、耀くんに肩を抱かれてエントランスを通った。  今日は全然違うドキドキと共に耀くんの隣を歩いてる。  ガチャガチャッと開けられたツーロックの玄関ドア。  今日、ここを出る時、僕はどんな気分なんだろう。  そんなことを考えながら中に入った。 「まだ少し早いけど昼飯にする? それとも後にする?」  エアコンを付けながら耀くんが訊く。  お腹は空いてない。それどころじゃない。 「とりあえず、バッグ置いてシャツ脱ぎな、碧」  そう言った耀くんが僕のキャスケットを取った。シャツの襟からクリップを外す。 「鼻、赤くなってる」  微笑んで、軽く鼻の頭を撫でられた。一気に体温が上がってくる。  陽に当たって焼けた肌の表面と、内側から湧いてくる熱。両方で身体が熱くて堪らない。 「ちょっと待っててな」  何も言わない僕の頭を、大きな手が撫でていく。  僕は下を向いてバッグを下ろし、長袖シャツを脱いだ。 「シャツ、椅子にかけといたらいいよ」  キッチンから声がした。僕は言われた通りにシャツを椅子の背にかけた。  冷蔵庫を開閉する音がして、耀くんがキッチンから出てくる。 「ほら、碧」 「わ」  冷たい  耀くんに手渡されたのは、冷え冷えのタオル。顔に当てると気持ちいい。 「…耀くんこれ、準備してくれてたの?」 「濡らして冷蔵庫に入れてただけだけどね」  何でもないことみたいに言うけど、僕のためにやってくれてたってことが嬉しい。 「ありがと、耀くん」  大好き  自然に浮かんできた一言。これを耀くんに伝えなきゃ。  目から下にタオルを当てて、上目で耀くんを見上げた。耀くんは「ん?」というような顔をして僕を見下ろす。そしてまた僕の頭を撫でた。 「まだホカホカだな、碧」  笑いながら、大きな手で僕の頭を撫でる優しい感触。  心臓が口から出て来そうなくらいどくどくいってる。タオルの下で唇をぎゅっと噛む。  何て切り出したらいいか、分からない。 「…碧」  ゆっくりと僕の頭を撫でながら、耀くんが呼ぶ。 「…なに…?」  緊張して、声が上手く出てくれない。 「今日は、この前の返事をしに来てくれた、って思っていいの?」  優しい声で問いかける耀くんが、僕の顔を覗き込む。  顔を見られるのが恥ずかしい。やっぱり耀くんは近くで見るには格好よすぎる。彫りの深い涼しげな瞳が僕を捕らえて離さない。  こくりと頷くと、耀くんもうんうんと頷いた。  もうたぶん、わざわざ言わなくても、僕の気持ちはダダ漏れだと思う。冷えていたタオルがすっかり(ぬる)くなるくらい顔が熱い。  両手で持って顔に当てていたタオルをゆっくりと下ろした。  頭を撫でていた大きな手が肩にかかる。両肩に触れる耀くんの手がすごくあったかい。  見下ろしてくる耀くんを、必死の思いで見上げた。  

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