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第36話

 初めて耀くんとキスをした日、家に帰ってから誰の顔も見られなかった。終始俯いて食事を済ませて、本を読むからと言って大急ぎで自室に入った。  耀くんといる時とは違う種類の動悸がして落ち着かなくて、姉が部屋に入ってきてみんなと出かけた話をしている間中、手のひらにはじんわりと汗をかき、浅くなる呼吸に気付かれないかひやひやしていた。 「…耀ちゃんには、会った?」  姉は何でもないことのように訊いてきた風だったけれど、声に緊張感が滲んでいた。 「…た、たまたま図書館で会ったから、家に行ってたよ」  僕は耀くんに送ってもらって、姉より早く帰ってきた。姉が帰ってきた時刻的に、耀くんとはすれ違っていないと思う。 『変に隠すと逆に怪しまれるから、図書館で会ってうちに来たってことは訊かれたら話したらいいよ』  耀くんの家を出る前に、僕を抱きしめながら耀くんが言った。  それからもう一度キスをした。 「耀ちゃんも図書館行ってたんだ。ならメッセージの時、図書館行くって書けばよかったのに」  姉は不満気な声でそう言って、そして部屋を出て行った。  翌日からはまた、いつも通りの夏休みの日常が戻ってきた。  ただし、夏休みも後半に入ってきて、宿題や休み明けのテストのための勉強をしないといけなくて、前年、前々年のような状態になってきていた。  いつもと同じくらいの時刻に、いつもと同じように耀くんが来て、でも僕は今までと全然違う気持ちで耀くんを迎えた。  玄関チャイムが鳴って、急ぎすぎないように急いで開けたドアの向こうに耀くんがいて、抱きつきたいのを堪えて「おはよう」と言った。 「おはよう、碧」  耀くんはそう言って、ごく自然に僕の頭を撫でてうちに上がった。  家の奥から姉が「おはよー耀ちゃん」と言う声が聞こえてヒヤリとした。 「碧のとこも実力テストあるんだよね?」 「うん。この宿題の問題集から出るって言ってた」  そんなに厚さのない問題集。もう3分の2は終わっている。  僕は内心ドキドキしながらも、当然のような顔をして耀くんの隣に座っていた。  うちに来る友達の座る場所は、なんとなく決まってはいる。みんなお気に入りの場所があって、たいていそこに座る。でも毎日メンバーが同じなわけじゃないから、並び方はその都度変わったりする。  でも僕はいつからか、耀くんが来てる時は必ず耀くんの隣に座ってた。さりげなく誘導されて、もしくは「宿題見てやるよ」と言われて、耀くんの隣に座った。僕が先に座ってたら、耀くんは必ず隣に座った。最初他の誰かがいても、なんだかんだ言っていつの間にか耀くんは僕の隣にいた。  あれ、わざとだったんだ、耀くん。  気付いてしまうと気恥ずかしい。  そうやって、耀くんがいつもいつも僕と隣同士になるようにしてたから、今はもう誰もそれを不思議には思ってないように見えた。 「じゃ、続きからやろっか。どこまでやったっけ?」  耀くんが僕の問題集を覗き込みながら、少し僕の方に近寄る。  僕も問題集を見やすいようにしているふりをして、耀くんの方に近寄った。  脚が触れて、肘が触れて、もどかしい。  もっとくっつきたい。  もっとぴったりくっついて、耀くんの体温を感じたい。  そんなフラチなことを考えながら問題集を解いている。  僕が問題集を解いているのを横目に見ながら、耀くんは自分の勉強もしている。僕には半分も読めないような英文をサラサラと読んで、ノートには青色インクの英単語がどんどん並んで文章を形作っていく。  つい、そのペンを持つ大きな手を見つめていると、頭をコツンとたたかれた。 「碧、耀ちゃん見てないで勉強しなさい」  一瞬でかぁっと顔が熱くなった。慌てて下を向く。耀くんが僕を見たのを視界の端に感じた。 「碧、どっか解んないの? いつ話しかけてもいいよ。待ってなくても」  耀くん、僕が質問のタイミングを見てたことにしてくれたんだ。 「えっと…」  僕は今解いていた問題を指差した。ただ解きかけなだけで解らないわけじゃない。それはたぶん、ずっと僕の勉強を見てくれてる耀くんには分かると思う。  つまり、ただ僕が耀くんの手に見惚れていただけなのも、分かられてるっていうことだ。  結局恥ずかしい    

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