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第40話

 テーブルに本を置いて読み始めるけれど、3回くらい同じ行を読んでしまった。まだ少し動揺してる。  やっと次の行へ進んで、どうにか読み進めることができてきた。  途中敬也が控えめに「ここ教えてほしいんだけど」と言ってきた。さすがに向こうのテーブルまで行って姉に質問するのは無理らしい。敬也が指差していたのは、耀くんに教えてもらった問題だった。それを思い出しながら敬也に教えた。  少し難しい問題をちゃんと説明できて嬉しくなった。嬉しくなったから、本を閉じて問題集の続きをやることにした。  依くんも途中途中で耀くんに質問をしていて、耀くんはそれにもすぐに応えていた。    僕たちが勉強をしている向こうで、女の子たちは何やら楽しそうに話をしている。女の人は喋るために喋るんだ、って聞いたことがあるけどその通りだと思う。彼女たちは口を動かすために喋ってる。  耀くんは時々僕の問題集を覗いて、間違いを指摘してくれた。もう一回考えても解らない時は丁寧に説明してくれる。  耀くんの教え方、やっぱり好きだなぁ  声も好き  てゆーか全部好きなんだけど  頭の中を邪念がぐるぐる渦巻きながら、どうにか説明された内容を理解した。 「なあ耀。おれに教える時も碧に教えるくらい丁寧に、っていうか優しく教えて?」 「ちゃんと解るように説明してるつもりだけど?」 「解る、解るよ? お前説明上手いよ。でもさ、おれの時と碧の時、優しさの分量が違う。絶対違う。敬也、お前もそう思うよな?」  突然依くんがそんなことを言った。 「…依人、お前メンドクサイ」  いきなり始まったおかしなやり取りを、内心冷や冷やしながら聞いていた。敬也は巻き込み事故に遭ったみたいに「いや」とか「はあ」とか言ってる。姉たちの話し声が止んだ。  お姉ちゃんたちが聞いてる。 「そりゃ碧は年下で、依人は同いなんだから碧に優しくするだろ。碧の方がお前よりずっと可愛いからな」  ごく普通の顔をして、当たり前のことを言う調子で耀くんが言う。 「うわ、そういうこと言う? まあ碧はさ、昔っから可愛いけどさ」  僕はどんな顔をしていればいいか分からなくなった。 「2人ともうちの弟を可愛い可愛い言ってくれてありがとう。でもそろそろやめて。恥ずかしいから」  姉が後ろから僕の頭に顎をのせて、両手を僕の胸の前で組んで言う。  敬也がプッと吹き出した。 「いっつも思うんすけど、ここ、みんなが碧を溺愛してて面白いっすよね」 「それはね、敬ちゃんが小さい頃の碧を知らないからよ」  さっちゃんがこっちのテーブルに来ながら言った。ちかちゃんも膝立ちでこっちに向かってきてる。 「敬ちゃんは中学からだもんね」  ちかちゃんがぺたんと座って言った。男にはできない、いわゆる『女の子座り』だ。 「今だから言うけどさ」  依くんがテーブルに肘をついて切り出した。 「てゆーか、先に言っとくけど女子怒るなよ? 時効だからな。小学校の頃はこの中で碧が1番可愛かったんだよ、マジで」 「あー! 依ちゃん言っちゃった。みんな言わなかったのに」 「マジっすか? いやでもさすがにそれは…」  敬也が目を白黒させてる。僕にしたってそうだ。そんな風に思われてたなんて、今の今まで知らなかった。 「なー、耀。碧が1番可愛かったよなー」  依くんが耀くんに言う。その言葉に胸をギュッと締め付けられた感じがした。 「今も可愛いけどね、碧は」 「またそういうことをしれっと言うからな、耀は」  依くんがガハハと笑う。周りも笑ってる。  僕の心臓はどくどくと苦しく鳴っている。 「あのね、あの花火の時、私もトイレ行ったのよ、1人で」  と、さっちゃんがぽつりと言った。あの花火、って僕が6年生の時のことなのかな。 「でも全然平気だった。だからあの時、耀ちゃんが「碧がいない」って言った時も、どうせトイレだし大丈夫って思ったの。迎えに行くなんて過保護だなーぐらいに。そしたらあんなことになってたって言うじゃない。見慣れちゃってるけど、やっぱり可愛いんだなー碧は、って思ったのよね、私」  耀ちゃんはどんなに見慣れたと思っても見慣れないくらい格好いいけどね、とさっちゃんは笑って言った。 「なんか…そう聞くと見てみたいっす。その頃の碧」 「あれ? 見たことないの? 写真いっぱいあるよ」 「や、やめてよお姉ちゃん。恥ずかしいからっ」  姉は僕を後ろから抱きしめたまま、うふふ〜と怪しい笑い方をした。 「ちょっと敬也おいで。見せたげる、可愛い頃の碧の写真」  そう言って立ち上がった姉は、敬也の腕を引いて立ち上がらせた。そしてあたふたしている敬也の手を引いて2階へ連れて行く。  止めたいけど止められない!  写真は見られたくないけど、敬也の気持ちを考えるとむやみに止められない。  敬也はきっと今頃、僕の写真なんてどうでもよくなってる。

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