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第56話
ーーー電話できるよ。
意を決して送信を押した。既読が付いたと思った途端着信が鳴った。
僅かに震える指で応答のアイコンを押す。
『碧』
耳に響く耀くんの声。
『何分話せる?』
「たぶん、30分弱くらい」
『そっか、分かった。祖母の容体なんだけどさ、暑さに負けただけっぽいらしくて。だから数日入院すれば大丈夫だって言ってた』
「そうなんだ。良かったね」
うっかり、言わない方がいいことを言ってしまうんじゃないかと思うと口が重くなる。
『碧、いつ帰ってくるのって訊かないんだね』
「…だって…」
僕はおばあさんの心配より先に、それを思った。
『だって?』
耀くんの声が優しくて、つい本当のことを言いそうになる。懺悔して、許しを乞いたくなる。
『言って、碧。どんなことでも受け止めるから』
この声は神の赦しなのか、それとも悪魔の囁きなのか。
「…僕は、耀くんからの電話で、一番最初に明日会えないの?って思っちゃったんだ…」
目頭が熱くなる。無意識に鼻を啜った。
『碧…』
「ほ、ほんとは、最初に、おばあさんの心配をするべきでしょ? でも、でも僕は、耀くんに会えないって、そんな、自分のことばっかり…っ」
知られたくなかったのに、言ってしまった。
黙っているのは、耀くんを騙しているようで、後で大きなしっぺ返しがきそうで怖かった。
僕を選んだのが間違いだったなら、早めに分かった方がいい。
そんな風に思ってもいた。
『碧、それは全然悪いことじゃないよ。だから泣かないで』
「だ、だって僕は…」
自己中で自分のことしか考えてない。
『会ったこともない俺の祖母の心配が後回しになっても、それは責められることじゃないよ。だから碧はすぐに、いつ帰ってくるのって訊いてよかったんだよ』
優しく響く、低い声。
「…ようくん…」
鼻の奥がツンとする。
「ぼくのこと、きらいにならない…?」
『ならないよ。俺はね、碧を小さい頃からずっと見てて、良いところも悪いところも全部分かってる。それでも好きなんだよ。だから、嫌いになるのは難しいよ』
涙がポロポロとこぼれてくる。堪えようとしても嗚咽が漏れる。
「ようくん…あいたい。はやく、はやくかえってきて…」
『うん、うん、そうだね。俺も碧に会いたいよ。なるべく早く、たぶん3日ぐらいで帰れるから』
「やだ…もっと、もっとはやく…」
一度タガが外れると我儘が止まらなくなる。こんなこと、つい最近もあった気がする。でも思い出せない。
『碧の「やだ」は強力だな。何でも聞いてやりたくなるよ。昨夜の「帰っちゃやだ」も強かったしな』
「え?」
なにそれ
『ああ、覚えてないか。熱あったもんな。お前俺にしがみついて言ったんだよ。「帰っちゃやだ」って。帰れないよ、あれは』
優しい声で告げられた、衝撃的な言葉。
「ご、ごめんなさ…」
『謝らなくていいから。もうほんとに可愛くてどうしようかと思ったけど。ああ、思い出すとやばいな。早くお前に会いたい』
耳に流れ込んでくる耀くんの声が甘く僕を包む。さっきまでの不安な気持ちが押し流されていく。
「…ようくん、ぼくのこと、すき…?」
鼻を啜りながら歪んだ声で訊いた。きっと望む言葉をもらえるという、甘えた問いかけ。
『好きだよ、もちろん。だから泣き止んで、碧』
ずずっと鼻を啜って頷いた。頷いても見えないんだって、少しして気が付いた。
『碧、もうすぐ30分経つから。少しでも早く帰れるように親に交渉してみるよ』
「…ようくん、ようくん…だいすき、だから…」
ずっと僕のこと好きでいてね
『うん、分かったよ、碧。ほんと可愛いな、お前』
優しい耀くんの声が耳からとろりとろりと入ってきて脳を溶かす。
この声を、早く直に聞きたい
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