61 / 110

第61話

ーー碧、明日の図書館、電車か自転車か考えておいて。 「…ようくん…」  堪えきれなくて涙がこぼれた。  また泣いてる。感情を抑制する機能が溶けてしまったのかもしれない。  どうしよう。リビングに戻れないや。  目が赤い。  コンコン、とノックされて、びくりと身体が跳ねた。 「あ、ごめんね。ちょっと待って…」 「うん、いいけど」  さっちゃんだ。  さっちゃんなら、いいか。    そう思ってドアを開けた。 「…碧、どうしたの?」  さっちゃんの顔が心配で曇った。 「だいじょぶ。悲しいとかじゃないから」  へへっと笑って、さっちゃんを見た。さっちゃんは僕の手のスマホを見て、何かを察したらしくて頷いた。 「そこでちょっと待ってて、碧。その顔でリビング戻れないでしょ。何か碧の部屋に行く口実考えるから」  そう言って、さっちゃんはトイレに入った。女の子がトイレに入ってるのを近くで待つのは気まずい。 「さて、どうしようね」  トイレから出てきたさっちゃんが手を洗いながら言う。 「まだ目赤いもんね、碧。どうしたの?ほんとに。言えないならいいけど」 「あ…うん…」 「うーん、じゃあ碧の部屋で本見せてもらうことにしよっか。碧の部屋、本くらいしかないから他思いつかないし。私の突然の読書熱ってことにしよう。さ、行くよ、碧」    さっちゃんの手が僕の腕を引く。耀くんと比べるとずいぶん小さい手。  リビングと廊下の間のドアをさっちゃんが開ける。僕がリビングから見えにくいように隠してくれる。 「私、最近ミステリー読むようになったんだけど、碧、結構持ってたよね。ちょっと本棚見せてくれない?」  さっちゃんがそう言って僕を階段へ導いた。みんなは「ふーん」とか言っていた。ちかちゃんが「じゃーちか、しばらく休けーい」と言った。  階段を昇っている間にもスマホの着信のバイブが鳴った。  蒸し暑い僕の部屋に入って、パタンとドアを閉めた。 「萌ちゃんも言ってたけど今日着信多いね。耀ちゃんから?」  当たり前のようにさっちゃんが言った。  僕はこくりと頷いた。 「そっかそっか。明日の耀ちゃんの用事も碧と会うんでしょ?」 「なんで分かるの?」 「だってそうじゃなかったら来るでしょ。会いたいもの、好きな子には」  さらっと言われて言葉に詰まる。 「…さっちゃんて、ちょっと耀くんと似てるね」 「そんなことないよー。私はあんなに堂々とちかちゃんに可愛いとか言えないもん」  さっちゃんが僕の本棚を見ながら言う。僕は頬に熱を感じながら続けた。 「言ってるでしょ。女の子同士って何でも可愛いって言うじゃん」  それこそ息をするように可愛いって言ってる。 「うん、言うよ。でもそれは髪型可愛いね、とか、持ち物のこととか、メイクのことを可愛いって言うの。だけど耀ちゃんは違うでしょ? 耀ちゃんは「碧は可愛い」って言うでしょ? 臆面もなく」 「う…」  そんなはっきり言われると恥ずかしい。 「格好いいよね、あんな風に言えたら。実際碧は可愛いからある程度言いやすいのかもしれないけど」  イケメンは何言ってもサマになるから羨ましい、とさっちゃんが笑いながら言った。  僕はどんな顔をしていればいいのか分からなくなった。 「…耀くんは、さっちゃんが知ってること知ってるんだよね?」  この前確か「ありがとう」って言ってた。僕が風邪ひいた時。 「うん、知ってる。耀ちゃんも私がちかちゃん好きなの知ってるしね。お互い特に口に出して言ったわけじゃないの。なんとなく気付いたって感じ」 「…なんとなく、気付けるもの?」  僕は全然気付かなかったのに。 「たまたま周波数が合ったんでしょ。私たち、立場が似てたから。ああ、碧。そろそろ大丈夫そうよ」  さっちゃんが自分の目を指差しながら言った。 「耀ちゃん、そんな泣けるメッセージ送ってくるの?」 「うーん…。僕にとっては泣けるメッセージ、かな」 「そっかぁ。いいね、そういうの。あ、碧この本貸して」 「うん、いいよ」  さっちゃんが取り出したのは、新本格ミステリーと呼ばれるジャンルの代表とされる作家の、シリーズ物ではない単発の一冊。改訂版が出てるけど、僕のは改訂前の方だ。 「じゃあ、下戻ろうか、碧」 「うん。さっちゃん、ありがとね」  また、手の中でスマホが震えた。  僕は2人の優しさに支えられてる。

ともだちにシェアしよう!