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第87話

 冷凍庫のスライドを押し込んだ姉が、ふうとため息をついた。 「碧は全然違うもんね、あたしと。顔しか似てない」  姉は僕の頬を人差し指で押して「ぷにぷにー」っと笑っていた。 「陽菜、アイス食べないの?」  母がキッチンに入ってくる。 「今食べたら太っちゃうから明日もっと早い時間に食べるー」 「ふーん。お母さんは食べちゃおーっと」  母はにこにこしながら冷凍庫を開けている。 「碧、お風呂入れるわよ。どーぞ」 「はーい。あ、お父さん帰ってきたんじゃない?」  玄関の方から音がした気がする。 「ただいまー。お、全員集合」  リビングのドアを開けた父が、ちょっとくたびれた笑顔で言った。 「おかえりー」 「あ、お母さん、アイス食べてなよ。僕お父さんのご飯あっためるから」  姉が「お父さん、ビール飲む?」とか訊いて、すごい平和な家族の風景。  ほんの十数分前の暗がりが夢だったみたいだ。  耀くん、家に帰り着いたかな。着いてるか、とっくに。 「さっき帰ってくる途中で耀くんを見かけたよ。コンビニでも行ってたんじゃないかなぁ」  父がビールの缶を開けながら言った。  僕は曖昧に笑った。姉はちらりと僕の方を見る。母は「このアイス美味しー」と言った。  次の日は朝も夜も耀くんには会えなくて、長い土日を僕は学校の図書室で借りてきた本を読んで過ごした。  日曜の夜に「明日の朝は?」と耀くんに訊くと「明日はまだ無理」と言われてしまって落ち込んだ。もう少しで「会いに来て」と口から出そうだった。  言えば耀くんは来てくれる。僕の外出の理由も、きっと何か考えてくれると思う。  でも、耀くんだって疲れてるはずだ。朝早くから夜遅くまでずっと学校にいるんだから。 「耀くん、ちゃんと休みも取ってね」  そう僕が言うと「大丈夫だよ、碧。ありがと」と耀くんが言った。  結局水曜日の朝にやっと会えた。いつもよりも早く家を出て、走って駅に向かった。  いつもは一緒に出る姉を家に残したまま。 「碧!」  耀くん家のマンションへの道の角で耀くんが待っていてくれた。 「お、おはよー、耀くんっ」 「おはよ。走ってきたの? お前」  まだ暑いのに、と笑いながら、耀くんが僕の顔をタオルで拭く。 「だって…」  1秒でも早く、1秒でも長く、耀くんに会いたい。 「電車までまだ少しあるからゆっくり行こう」  腕時計を見た耀くんが、そう言って微笑む。 「最初のうちに朝からやっといて良かったよ。みんな段々疲れてきて起きんの辛いって言い始めたからさ」 「そっかー、そうだよね。普通の時間に起きるのも眠いのに」  でも今日は早く目が覚めた。 「碧、今日ちょっと早かったのしんどかった?」  耀くんが心配そうな顔をして僕を見た。僕はぶんぶん頭を振った。 「全然! 全然そんなことないよ。むしろ今日は早く起きちゃって…」  言ってから、あ、と思った。 「楽しみに、してくれてた?」  僕の方に屈んだ耀くんが耳元で訊く。  耀くんを上目に見上げながら、うん、と控えめに頷いた。  今更だけどちょっと恥ずかしい。  耀くんが、ふふっと笑った。そしてもう一度僕の方に顔を寄せる。 「やばいなぁ、碧。碧が可愛いから周りからチラチラ見られてる」 「え?!」  そんな、僕のせいじゃないよ。見られてるのは耀くんだ。  そう思って視線を巡らせると、何人かの女の人が僕たちの方を見ていた。 「碧はさ、外歩いてる時見られてるの、俺だけだって思ってない?」 「え?」 「やっぱ自覚ないのかー。こんなに可愛いのに」 「耀くん、それ恥ずかしいから…」    そんな話をしながら駅まで歩いて、改札下の階段の所で喋っていると姉がにやにやしながら来た。 「なんか目立ってるわよ、耀ちゃんと碧。女の子たちがコソコソきゃあきゃあ言ってた。イケメンと可愛い系がイチャイチャしてるーって」 「え、やだ。なにそれっ」  階段を昇りながら姉に抗議して、「あたしに文句言われても知らないわよ」ともっともな反論をされて、耀くんの後ろに付いて改札を通った。すぐ後ろをえりちゃんと敬也が来ていた。  

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