87 / 110
第87話
冷凍庫のスライドを押し込んだ姉が、ふうとため息をついた。
「碧は全然違うもんね、あたしと。顔しか似てない」
姉は僕の頬を人差し指で押して「ぷにぷにー」っと笑っていた。
「陽菜、アイス食べないの?」
母がキッチンに入ってくる。
「今食べたら太っちゃうから明日もっと早い時間に食べるー」
「ふーん。お母さんは食べちゃおーっと」
母はにこにこしながら冷凍庫を開けている。
「碧、お風呂入れるわよ。どーぞ」
「はーい。あ、お父さん帰ってきたんじゃない?」
玄関の方から音がした気がする。
「ただいまー。お、全員集合」
リビングのドアを開けた父が、ちょっとくたびれた笑顔で言った。
「おかえりー」
「あ、お母さん、アイス食べてなよ。僕お父さんのご飯あっためるから」
姉が「お父さん、ビール飲む?」とか訊いて、すごい平和な家族の風景。
ほんの十数分前の暗がりが夢だったみたいだ。
耀くん、家に帰り着いたかな。着いてるか、とっくに。
「さっき帰ってくる途中で耀くんを見かけたよ。コンビニでも行ってたんじゃないかなぁ」
父がビールの缶を開けながら言った。
僕は曖昧に笑った。姉はちらりと僕の方を見る。母は「このアイス美味しー」と言った。
次の日は朝も夜も耀くんには会えなくて、長い土日を僕は学校の図書室で借りてきた本を読んで過ごした。
日曜の夜に「明日の朝は?」と耀くんに訊くと「明日はまだ無理」と言われてしまって落ち込んだ。もう少しで「会いに来て」と口から出そうだった。
言えば耀くんは来てくれる。僕の外出の理由も、きっと何か考えてくれると思う。
でも、耀くんだって疲れてるはずだ。朝早くから夜遅くまでずっと学校にいるんだから。
「耀くん、ちゃんと休みも取ってね」
そう僕が言うと「大丈夫だよ、碧。ありがと」と耀くんが言った。
結局水曜日の朝にやっと会えた。いつもよりも早く家を出て、走って駅に向かった。
いつもは一緒に出る姉を家に残したまま。
「碧!」
耀くん家のマンションへの道の角で耀くんが待っていてくれた。
「お、おはよー、耀くんっ」
「おはよ。走ってきたの? お前」
まだ暑いのに、と笑いながら、耀くんが僕の顔をタオルで拭く。
「だって…」
1秒でも早く、1秒でも長く、耀くんに会いたい。
「電車までまだ少しあるからゆっくり行こう」
腕時計を見た耀くんが、そう言って微笑む。
「最初のうちに朝からやっといて良かったよ。みんな段々疲れてきて起きんの辛いって言い始めたからさ」
「そっかー、そうだよね。普通の時間に起きるのも眠いのに」
でも今日は早く目が覚めた。
「碧、今日ちょっと早かったのしんどかった?」
耀くんが心配そうな顔をして僕を見た。僕はぶんぶん頭を振った。
「全然! 全然そんなことないよ。むしろ今日は早く起きちゃって…」
言ってから、あ、と思った。
「楽しみに、してくれてた?」
僕の方に屈んだ耀くんが耳元で訊く。
耀くんを上目に見上げながら、うん、と控えめに頷いた。
今更だけどちょっと恥ずかしい。
耀くんが、ふふっと笑った。そしてもう一度僕の方に顔を寄せる。
「やばいなぁ、碧。碧が可愛いから周りからチラチラ見られてる」
「え?!」
そんな、僕のせいじゃないよ。見られてるのは耀くんだ。
そう思って視線を巡らせると、何人かの女の人が僕たちの方を見ていた。
「碧はさ、外歩いてる時見られてるの、俺だけだって思ってない?」
「え?」
「やっぱ自覚ないのかー。こんなに可愛いのに」
「耀くん、それ恥ずかしいから…」
そんな話をしながら駅まで歩いて、改札下の階段の所で喋っていると姉がにやにやしながら来た。
「なんか目立ってるわよ、耀ちゃんと碧。女の子たちがコソコソきゃあきゃあ言ってた。イケメンと可愛い系がイチャイチャしてるーって」
「え、やだ。なにそれっ」
階段を昇りながら姉に抗議して、「あたしに文句言われても知らないわよ」ともっともな反論をされて、耀くんの後ろに付いて改札を通った。すぐ後ろをえりちゃんと敬也が来ていた。
ともだちにシェアしよう!