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先代の魔法使い
その週末、午後にフレッドが薬を引き取りにやってきた。先日、奥さんのアリアが店にやってきたのは、フレッドが風邪をひいて、その代わりだったそうだ。
そういえば前回、店で会ったとき街で風邪が流行していると本人が言っていた。数日しか経っていないのに驚異の回復力だ。
ノアはフレッドと森の小道を一緒に歩いていた。フレッドは店の帰り道。ノアは夕食の魚を釣るためだ。
「へぇ、じゃあ無事に弟子にしてもらえたんだ」
「うん。課題だった本頑張って全部読んだから」
「よかったじゃん。じゃあ、例の魔法、もう教えてもらったのか」
「え」
「変身魔法、知りたかったんだろ?」
「……それは、うん。もう教えてもらった」
「なんだ、浮かない顔して」
弟子になるまでは、あんなに苦労したのに、杖を贈ってもらったあとは、とんとん拍子に進んだ。もちろん、まだ方法を知っただけに過ぎない。
ノア自身、本当の魔法を自分が覚えるのは、ずっと先のことだと思っていた。
基礎を飛ばして、いきなり応用編に触れられるなんて思ってもみなかった。
もちろん並行して基礎の勉強もしている。でも、なんだか落ち着かない。嬉しいけど本当にこれでいいのだろうかって気持ちが同時に湧いてくる。
「じゃあ、近々王都に戻るのか」
フレッドに言われてハッとした。
「それは、まだ。教えてもらっただけで使えないし」
「そっか、じゃあ頑張らないとな」
ノアがレイムの弟子になった最初の目的は、王都で人間と同じように暮らすためだった。
けれどここへ来て薬のことを学んだり、レイムと話すうちに自分が想像しているより、魔法が便利な物じゃないと理解した。
ノアは、いつの間にか魔法使いになれなくてもレイムのそばにいられたら、と思うようになった。
(そうしたら、俺、幸せな気がする)
森にいれば発情期のトリガーになるようなこともめったにないし、レイムは猫としてならノアを好きなだけ甘えさせてくれる。もちろん四六時中猫扱いされるのは嫌だけど、レイムはノアに獣人として居場所を与えてくれていた。
森はノアにとって自分らしく生きられる場所になっていた。
「アーベルト、いい先生だろう?」
「うん。すごく、俺のこと気にかけてくれる」
「へぇ」
「今日の釣りだって、絶対川には入るなよって何回も言われた」
ノアの話をフレッドはケラケラと笑う。
「レイムの師匠も、いい魔法使いだったよ」
「先代の、ですか?」
「あぁ。魔法使いは、人のために力を使うべきだって、どんなに手ひどく裏切られても文句一つ言わないでさ」
裏切るなんて物騒な言葉だ。常闇の森へ足を踏み入れる人間は少ないし、殺伐とした世界なんて縁遠い気がした。
ノアの疑問にフレッドは目を細めて笑う。
「魔法はなぁ、多くの人が私利私欲のために欲しがるもんだ。だから、その力を悪用されないよう、代々限られた弟子にのみ力を受け継がせる。森に住んでるのもそのせいなんだってさ」
強い力を持っていれば、それを使おうとする人間が集まってくる。前に魔法使いなんていいことがないとレイムは言っていた。
先代が亡くなってからレイムは、この森でひとりぼっちだったはずだ。その日々を思うとノアは寂しい気持ちになった。
「で、でもさ、王都には魔法学校があるよね」
「ああいうのは、本格的な魔法じゃないからなぁ、昔ながらの「名前」を受け継いでいる魔法使いは力が別格だからね」
「それって、常闇って名前?」
「そうそう。常闇の魔法使い。アーベルトは名乗ってないけどな。まぁ、その方がいい。いろんな人間が常闇の魔法使いの力を欲しがってるし」
「フレッドさんは魔法使いのことよく知ってるんですね。魔法使いじゃないのに」
「あー、俺? 俺はね、ガキの頃先代によく遊んでもらったからなぁ、その受け売り」
「そうなんだ。先代ってどんな人だった? レイムさん、師匠のこと全然教えてくれなくて」
フレッドはノアの質問に苦い顔をした。
「多分、アーベルトはなぁ、先代に捨てられたって今でも思ってんだよ」
「捨てられた?」
「死に目にあえなかったから」
「……死に目って」
「十年以上前の話だよ。今日明日中に、逝くって分かってたみたいで」
「先代は病気……だったの?」
「いんや、力の強い魔法使いだったから、自分の死期が見えてたんだよ。寿命だね」
自分の死ぬ日があらかじめ分かっているなんて、想像してみるとなんだか恐ろしかった。
「なのにさぁ、アーベルトは、いつもみたいに師匠に遊ばれて」
「あそ、ばれる?」
「お茶目な人だったよ。いつまでも若々しいっていうか、人をおちょくって遊ぶ天才っていうか。俺は楽しかったんだけど、アーベルトは弟子だからさ、そういう師匠の態度にいつも怒ってたなぁ」
「そう、なんだ」
ノアはこの話の続きを聞くのが急に怖くなった。レイムから先代の常闇の魔法使いの話を聞くたび、薄々、感じていた。
もしかして「そう」かもしれないって。
「アーベルトさ、お師匠さまの亡くなった日、猫に変身させられて、森に置いて行かれたんだよ」
自分の頭の中で思い描いている人。ノアがこの森で初めて出会った魔法使い。
「猫に……」
「そう。あいつ師匠に「レイミー」って呼ばれてたんだぜ。猫のとき」
「レイ、ミー」
「昔は、アーベルトも、やんちゃでさ、悪さするたび猫にされて地下に閉じ込められてたよ」
「そう、なんだ」
喉が酷く渇いた。やっぱり、そうだったんだって、想像が確信に変わった。
「でもな。あんな優しい師匠が、アーベルトを置いて一人で逝ったってなんでだろうな。なんだかんだいって、アーベルトのこと、すごく可愛がってたのに俺は不思議でさ」
理由をノアは知っている。隣にいるフレッドの声が遠くなった。
「で、そんなだから、レイムは人を信用していない。一番信じていた相手に、最後に突き放されたから」
「……うん」
「ま、でもさ、俺は信じているよ。先代にも、どうしても譲れない理由があったんだって。でもアーベルトは傷ついたんだろうな」
ノアは自分の手をぎゅっと握った。
「魔法使いって、そういう生き物なのかね。優しい面も本当なんだろうけど、魔法使いの人格っていうか、厳しく、冷酷な一面がある」
「レイムさんは、レイムさん、だよ」
「まぁそうだな。それに、前の弟子は、レイムの常闇の力を欲しがって近づいてきた。師匠の件がなかったとしても人間不信になるには十分ってね」
「そう、だね」
「ああ見えてアーベルトも師匠譲りで優しいからね。俺も心配してんのよ」
――知っている。レイムは、とても優しい。寂しいと泣いていたノアを放っておけない。今も昔も、ノアに優しくしてくれた。
ずっと、またいつか会いたいって思っていた。
魔法使いに弟子入りしたい。そう思って森に入ったとき。ノアは「エイミーに会いたい」そう口に出して願った。
だから再び出会えた。心優しい魔法使いに。
「俺、そんな薄情に見えてたのかな。変身魔法が使えるようになったら、レイムさんの家からすぐに出ていくって」
「いや、ノアにとって変身魔法は切実なんだし、ノアは自分の望みを叶えるべきだよ。お前のことを思ってアーベルトは弟子にしたんだろうし。きっと喜んで送り出してくれるよ」
心臓が痛かった。自分が、あの日森で出会ったのはレイムだった。
しかもノアの寂しいって、わがままに付き合わされた結果、レイムは師匠の死に目に会えなかった。
「どうした、急に黙って。俺の風邪うつしちゃったかな? 俺はすぐに治ったんだけど、今度は奥さんが風邪ひいて今寝込んでるんだよね」
フレッドが顔を覗き込んできた。ノアは慌てて笑顔を作る。
「ううん、大丈夫! 引き止めてごめんなさい。早く帰ってあげて! 釣り頑張る」
「おう、大物釣れるといいな頑張れ」
そう言ってノアは川の近くにある小道でフレッドを見送った。
――ノアが獣人だったから。
昔レイムが、とても悲しい思いをしたのだと知った。
その上、レイムは初めからノアが変身魔法を覚えたら家を出ていくと思っていた。
悲しさと苦しさから、獣化してしまいそうだった。けれど、必死に心を平静に保った。
自分には、やらなければいけないことがある。
ノアはレイムに償いたいと思った。
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