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ずっとそばにいる
深夜の地下室でノアは魔法書を開いていた。本は最近レイムから受け取ったばかりの魔法初学者用の本だ。内側の書き込みから読み継がれてきた歴史を感じる。レイムより前にも誰かが使って勉強していたのだろう。表紙も中の紙もたわんで少し膨らんでいた。傷んでいるが、大事に使われてきたのが伝わってくる。
ノアは本の目的のページを開いて床に広げた。明かりは手元のランプだけ。ノアが膝をついて座っている周辺だけをうっすらと照らしている。
入り口の古い木材で出来た重い扉は隙間なくぴったりと閉めた。物音や声が外へ漏れ聞こえないように細心の注意を払ってこの部屋まで降りてきた。途中で止めるつもりはない。
レイムはノアに魔法の杖を贈った日、一番最初に変身魔法を教えてくれた。
前夜に体を壊しても、早死にしてもいい。人間社会で同じように生きたいと涙ながらに訴えた、ノアの気持ちを汲んでくれたのだと思う。
自分の体調と相談して、どうしても使わなければいけないときだけ。使いすぎないように、と何度も約束させられた。
レイムは、ノアが自由に変身出来るようになったら、この家から出ていくと思っていたのだろう。
今からノアが使おうとしているのは、人間になる魔法じゃない。
獣を使い魔にする魔法だ。
地下の部屋に一人で入ってはいけないと厳しく言われていた。二度目の約束破り。これじゃあ破門されても文句は言えない。けれど破門されてもいいと思った。
手に杖を持ち呪文を唱える。
(最初からこうすれば良かった)
魔法学校の門を叩いたときに言われたことだ。猫として生きればいい。
魔法使いの使い魔になる。
小粒のエメラルドグリーンの宝石に使役魔法をかけた。それをピアスの金具に通して手のひらに乗せる。ふわりと優しい緑色の光が灯った。準備は出来た。
ノアは作ったばかりのピアスの針を左の耳たぶに刺す。
「ッ、ぃ」
ぷつりと赤い血が手のひらの上に落ちた。
契約の血、そして獣を思い通りに操ることが出来る魔法の力を石に込めた。初めての魔法が成功している可能性は低い。
それでも良かった。ノアの気持ちがレイムに伝われば、その結果破門されてもノアの目的は達せられる。
――ずっと、一緒にいたいって思っている。
伝わればいいなと思った。ノアはレイムを絶対裏切ったりしない。レイムが魔法使いとして出会ってきた他の誰とも違う存在だって思われたい。
ノアがレイムにとっての初めてのいいことになる。
弟子になった日、ノアは、そう決めていた。
黒猫じゃないから、レイムはいらないっていうかもしれない。要らないと言われたら、出ていけばいい。
こんなことをして過去の償いになるとは思えない。
大切な人との別れの日を邪魔した過去の自分が許せなかった。一人でも強く生きられるようになろうと決心した。
ずっと心を張り詰めたままだった。緊張の糸が解けると、ずっと昼間から我慢していた悲しい気持ちが溢れてきた。
もう猫の姿になって大丈夫だと思った。
ずっと、この猫の姿のままレイムのそばにいる。
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