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第26話

「あの、凛太郎先輩…」  本薙早苗の資料から目線をあげると、クマを作った笹野がゆらりと立っていた。 「ど、どうした笹野…顔色が…」  そう心配すると、笹野が急に、バンッ、と机に両手を置いて、迫ってきた。小さい顔の愛らしい笹野だが、今日は違う人物に見える。 「お願いですから、理央くんと連絡とってください」  理央、と名前が、ぎくり、と身体が固まる。なんで、と聞こうとすると、目を赤くした笹野が恨めしく続ける。 「もう毎夜毎夜、ひっきりなしに電話がかかってくるんです…もう僕耐えられません…ゆっくり寝させてください…」  お願いです先輩、と泣き出してしまった。  今週の風紀当番は俺と笹野だけだった。他のメンバーは少し早い夏休みに行っている。理央も漏れなく、家の関係だとかで出払っている。それにほっと胸を降ろしたのは束の間だった。 「痴話喧嘩は犬も食いません…いくら好き嫌いのない僕でも、食いませんよ…」  がば、と顔をあげた笹野は瞬きせずに俺にすがりつきながら、涙をだらだらとこぼしながらお願いです、と呻く。 「ち、痴話喧嘩では、ない…」 「もうなんだっていいですよ…理央くん海外にいるから簡単に帰ってこられなくて、毎日俺に話をさせろって電話するんです…もう、電源を切っても、ずっと電話が鳴っている音が聞こえるんですよ…」 「でも…」  連絡は取れない。  なぜなら、俺は、もう…  そう言いかけると、笹野が俺の肩をひっつかんだ。 「もう僕死にそうです…三日寝れてないんですよ…もう死にそうなんですよ、かわいい後輩が、凛太郎先輩のせいで、死にそうなんですよ?」  死相が出ている。  必死な笹野があまりにも可哀そうで、請け負ってしまった。  笹野はその場に崩れ落ちて、礼を唱えながら眠りについてしまった。  なんとか、ソファまで連れていき、羽織をかけてやる。すうすうと寝る後輩は愛らしく見える。  ふう、と溜め息をついて、笹野のために、連絡をする。  電話、では、なんと答えたらいいのかわからないことが発生したとき困るので、トーク画面を開く。 『帰ってきたら話をしよう。だから、笹野にこれ以上連絡をしてくれるな』  と送ると、すぐに既読がついて、電話が鳴る。思わず、その電話を取らずに切ってしまう。すぐさま、またかかってくるが、切ってしまう。それを数回繰り返す。笹野が言っていたのは、これか…と頭が重くなる。  電話が鳴る前に、メッセージを打つ。 『まだ話せる状態じゃないから、会えた時にさせてくれ』  素直にそう打ち込むと、すぐに既読がつく。しかし、しばらく無音の状態が続き、数分たってから、「わかりました」と返信がきた。「どこかけがをしてるわけじゃないですよね?」と体調を気遣う理央の優しさに、ちくちくと心が痛む。「身体は元気だから大丈夫」「ならよかった」とすぐに返信がくる。その優しさにも、鼻の奥がつん、つ痛んだ。「仕事、頑張ってな」とメッセージを送ると、また電話がかかってくる。それを切って、だから~と文句を言おうとタップするが、「早く帰る!」と目を回している柴犬のスタンプが送られてきた。思わず、理央に似ていて吹き出してしまう。しゅぽん、しゅぽん、と勝手にスタンプは送られてくる。「会いたい」と頬を染めた柴犬、「好き」と目をハートにしている柴犬が連打されてくる。しばらくすると、その通知も切れる。あったかい気持ちになった分、後ろめたさが俺の心を染めて、苦しい。こうやって笑わせてくるのも、理央の優しさだ。  すやすやと眠る顔色の悪い後輩の後ろで、ず、と一人鼻をすすった。  一週間を終え、ここからは学校閉鎖となる。そのため、笹野も実家へ帰省するとのことだった。俺も、うるさい兄の催促に応えるため、帰省を予定している。  しかし、先日、毎日のように連絡をよこしてくれる海智から、実家帰省の前に、一泊、泊まりに来ないかと誘いがあった。もちろん二つ返事で答えると、日時と待ち合わせ場所が送られてきた。その誘いに、浮遊感を抱いて毎日過ごした。理央からは、相変わらず連絡は来るが、とっていない。とってしまうと、俺の決心が鈍るからだ。それでもうるさい通知音だが、変に応えて期待させてしまうことが一番悪いことだとわかっていた。だから、苦虫を噛み潰す気持ちでいながら、毎日過ごす。それを忘れるよう努めながら、海智と連絡をとっていた。  実家には、大体のものがそろっているため、数泊分の荷物を持って寮を出る。今年は強豪部が初戦敗退したこともあり、寮に残っている生徒は非常に少ない。特にベータ寮は皆無だ。俺が最後のようだった。寮長に挨拶をして、待ち合わせの最寄り駅に足を進める。じわじわと鳴く蝉も、するどい日差しも、海智のことを思えば、気にならない。早く、会いたいと足を速める。  最寄り駅についた時には、息が切れていた。大きな荷物を背負い直して、辺りを見回すが、海智はまだ来ていないようだった。携帯を出すと、近くでファンッとクラクションが鳴った。びく、と音の方を見やると、白い海外の有名な高級車だった。目の前にその車が停まり、訝しんでいると、窓が開き、運転席からサングラスを外した海智が手を振ってきた。 「えっ、先輩!?」 「りんりん、お待たせ」  車から長い脚で降りてくる海智は、白い麻のパンツと同じ素材のジャケット、黒いタンクトップを着ていて、海外セレブとは、彼のことか…と思わせる出で立ちだった。それに見惚れていると、海智は微笑んで、額にキスをしてくる。わ、と驚いていると、その隙に手元にあった荷物をとられる。俺の肩を抱いて、助手席のドアを開けてリードするのは、本当に王子様の所業だった。  パタン、とドアが閉まり、荷物を後部座席に乗せてから海智は運転席に着いた。動き出そうとする車の動きに合わせて、急いでシートベルトを締める。慣れた手つきで発車し、近くのインターから高速道路に乗りスピードを出す。サングラスをかけて、悠々と走らせる海智の姿に驚きとときめきが止まらない。 「先輩、これ…」 「ん?親父のお古を免許とれたお祝いにもらったんだよ」  そうか、と納得する。  海智は、四月生まれだった。もう十八になる彼は、免許が取れる年齢になっていたのだ。 「なんか、大人…」  遠い存在のような気がして、一人つぶやき手元に視線を落とす。すると、左側からぬ、と手が伸びてきて、俺の両手を包み込んでしまう。 「まさか、りんりんに乗ってもらえるなんて、思いもしなかった」  顔を上げると、海智は楽しそうに笑っていた。  握りしめられた手。すぐそこにいる海智。  本当に夢のようだと思ってしまった。

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