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第28話

 ベットルームの天井にガラスがはめ込まれている場所から、月が光を落とす。静かで穏やかな夜に、ほんのりとほの白い光が注ぎ、今自分がどこにいるのかを忘れそうになる。空調が効いているのか、心地よい気温でストレスはない。  それなのに、眠れない。  長い腕を俺を包み込んでくれている。その腕は大好きなはずの人。こんなにしあわせなことはないはずなのに。  丁寧に着させられた、質の良いパジャマが肌を撫でる。  今日も、だめだった。  最中に、期待を持って触れた海智のそこは、ひとつも反応していなかった。海智は起き上がり、ドアの外へ消えていってしまった。さっきまでの熱が嘘のように身体の芯が冷え切ってしまった。起き上がったものの動きを取れないでいると、海智はタオルを持って帰ってきた。  温かいタオルで、丁寧に俺の身体を拭いた。特に汚れていないのに。  全裸と俺を何も言わずに、くまなく拭う。俺に用意したものと同じパジャマを着たままの状態で。なんと声をかければ良いのかわからなくて、俺も言葉に出来なかった。脱がされたボタンを一つひとつ、長い指がとめていく。下着と共にズボンも履き、そっと抱きしめられて、俺たちは言葉ないまま、床に入った。  なぜだろう。  俺に、そんなにも魅力がかけているのだろうか。  それとも、積極的に触れすぎたのだろうか。求めすぎたのだろうか。  考えたくはないが、勃起不全の人というのは、求めすぎも動きすぎもダメなのだろう。相手のペースをもっと大切にすべきだったのではないか、と余計に考えてしまう。  勃起不全、と考えてから、本薙との海智の情事の風景を思い出してしまう。夢中で腰を振り、たくましいそれを何度も突き刺していた。急に胃が重くなり、食道が焼けるように熱くなる。ぐ、と口元に手を当てて、落ち着くのを待つ。  海智の瞳や、表情を見ていると、愛されているのではないかと思う。まさしく、そうだと思うのだが、過去の自分が、急に突き放された時と今が同じではないかと嘲笑ってくる。結局、海智にとって、俺は都合の良い遊び相手なのだと。それを胸を張って否定できる自分が、今はどこにもいなかった。  身体の付き合いがすべてだとは思わない。自慰行為などをほとんど行わないし、男らしい性の話には嫌悪感すら抱く。性には淡泊な方だと思う。だから、どうでもいいじゃないか、と言えるほど、恋愛と性行為を別物として考えること余裕は俺にはない。  なぜなら、アルファと付き合っているのだから。  やっぱり、俺が、ベータだから…  ベータの、しかも男だから…  特別可愛いわけでもなく、庇護欲をそそられるわけでもない、普通のベータの男だ。  俺の何がよくて、海智が俺を選ぶのかがわからない。  「やり直す」とは、何を「やり直す」つもりだったのだろうか。  本当に、俺たちは「好き」合っているのだろうか。  考えれば考えるほど、胸につかえた何かが大きくなって、苦しくなってくる。 「先輩…」  胸元に顔を寄せて、少しでも海智の体温を身体で感じる。今、ここにいるのは海智で、海智の隣にいるのは自分なのだと、安心したくて。  聞けばいいのに。  たったそれだけで、少しは胸のつかえが軽くなるだろうに。  そんなことはわかっているのに、どうしても聞けない。あの頃から。  真実を知ることが怖くて。聞いて、嘘なのではないかと、余計疑わなくてはならないのかもしれないという事実も怖くて。  とにかく、今、海智が隣にいてくれる。その事実だけで満足しようと、何度も何度も、あの頃も願ってきた。何も成長していない自分にがっかりする。それでも、海智はここにいる。  鎖骨に鼻先を寄せて、ゆっくりと呼吸をする。  ベータのくせに往生際悪く、妙にかぎとってしまう鼻。  バニラの甘い、海智の匂いを身体に吸い込んで、彼とひとつになろうとする。  準備した孔は、一切触られることなく今日を終える。準備するのだって、楽ではないのに。にじむ涙がバレないように、顔を元の位置に戻して、シーツに目元を押さえつける。  好きなのに。好きなはずなのに。  なんで、こんなに、寂しいのだろう。  うっすらと香った、バニラ以外のにおいには気づかないふりをして、胸元にもう一度顔を寄せて、今度こそ寝ようと瞼をきつく閉じた。  すう、と寝息をたてはじめた俺の頭を優しく撫で、宝物に触れるようにキスをした海智が、どれだけ悩み苦しい顔をして、固く抱きしめ直したかなんて、知る由もなかった。  ぼんやりと視界が開けてくる。外からは鳥たちの愛らしい合唱が聞こえる。寝返りをうつと、そこには愛しい彼はいなかった。数回瞬きをしてから、そこに手を伸ばすとほんのりと体温と香りが残っていた。どこに行ったのだろう、と不安な気持ちを持ったまま、リビングへと足を進める。ドア一枚のところで、海智の話し声が聞こえた。声をかけようとしたが、恐縮して、ドアの前で姿が見えないように隠れてしまう。 「ああ、今日、会いに行くから…」  相打ちを何度も打っている。誰の電話だろうか…。どく、と心臓が嫌に騒ぎ、手に汗がにじむ。 「この前はごめんって…あのピアス、お気に入りだったんだ、許してよ」  ピアス。この前。  ぶわ、と全身から冷たい汗が溢れる気持ち悪い感覚が起こる。  まさか、この前の、夏祭りの時の。  盗み聞きなんてよくない。人として、すべきではない。わかっているのに、あの夜も、昨日の夜も、俺をかわいいと言いながら、キスをしながらも、まったく男として反応を見せない彼氏への不安が、焦りが、俺の身体を固めてしまう。 「え?…ヒートって…、来週のはずじゃ…」  ヒート…  俺たちの世界では、ヒートを、オメガの発情期を表す言葉以外で聞いたことがなかった。間違いない。  やっぱり電話の相手は、本薙早苗だ。  間違いかもしれない、という一抹の光を失いたくなくて、違うと首を振る気持ちもある。しかし、話の流れから、ぴったりと彼の姿が思い浮かんでしまうのだ。 「今すぐ?それは…無理だよ…、うん、出来るだけ早めに行くから…」  相手の体調を伺う優しい言葉が続く。  もし今、俺がここにいなければ、海智は、あのオメガのもとへ飛んでいくのだろうか。そして、お互いフェロモンをぶつけあいながら、獣のように交わるのだろうか。あの猛々しいアルファの契りを使って。  口元に手を当てて、胃のムカつきを少しでも収まれ、と念じる。 「ごめん、近くにいれなくて。不安だよね…大丈夫だよ、必ずさなのところに行くから…」  愛しているよ、とでも囁きそうな海智の甘い声に、もう限界だった。気づかれないように、すべての気配を殺して、ベットに戻る。よく見ると、指先が、身体が震えていた。シーツを頭までかぶると、清潔な洗剤の匂いに包まれる。本当だったら、ぐちゃぐちゃになるはずだったシーツ。恋人と一緒に使った寝具は、翌朝、こんなにきれいな状態で良いのだろうか。  それが、俺たちは恋人ではないことを示しているようで、滲む視界を、ぎゅっと遮った。  男二人が寝ても充分な広さのベットの上で、自分の身体をめいっぱい抱きしめて、小さく丸くなった。

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