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第54話

 翌朝の目覚めは、びっくりするほどすっきりしていた。  この一年で一番すがすがしかった。身体は軽く、今すぐ走り出せそうなほど、意識も明確だ。  もっと、引きずると思ったのに。  なんだか自分が薄情に思えてしまうほど、はっきりと別れができたことによって、肩の重荷がようやく落ちたような、呪縛から解放されたような身体の軽さがあった。  長かった。四年。ずっと、一人の男に雁字搦めにされていた。自分の意識の持ちよう一つだったのかもしれないが、初めての恋に、どうすればいいか簡単に整理できたり行動できたりするほど、俺は器用ではなかったのだ。告げられる事実や別れが怖くて、言いたいことをいくつも山ほど我慢してきた。その一つひとつが俺の心を固くして、苦しめていったのにようやく気付いた。  もっと、わがままを言えば、変わっていたのかもしれない。  でも、もういいんだ。  俺はベータだ。  ベータはベータらしく、慎まやかに生きよう。アルファもオメガも、俺とは生きている次元が異なるのだから。  カーテンを開けると、気持ちい秋晴れの空に、つい口元が緩んだ。  充電が切れていた携帯を昨夜のうちにコードにつないでおいた。電源を入れると、海智からのたくさんの着信とメッセージがあった。じく、と痛んだ心をひた隠しにして、それらをすべて消去した。その中に、珍しい人からの着信があり、首をかしげる。早朝で、おそらく出ないであろうが、一応かけてみることにする。  数コールすると、枯れた声の佳純が出る。 「ごめん、佳純。今気づいた、何かあったか?」 『凛太郎…、この前の件、引き受ける』 「……どうした?何があった」  あまりにも暗く重い声色に、例の生徒会の件の承諾よりもそっちが気になってしまう。佳純がわざわざ電話をかけてくるのだ、ただ事ではない。嫌な予感に、体中がじっとりとし始める。 『…悪い、凛太郎…、生徒会のこと、引き受けるから、頼みがある』  ごく、と生唾を飲む。どくどく、と心臓が騒ぐ。佳純が苦し気に息を飲みながら、絞り出す。 『七海が誘拐された』  助けてくれ…と、初めて聞く頼りない佳純の声に目を見張り、耳を疑う。 「ど、どういうことだ?」 『七海の行方がわからなくなった…色々探し回ったんだが、一つも手掛かりがでてこない…』  もうダメかもしれない…、受話器越しに息を詰まらせる幼馴染に、必死に声をかける。 「バカ野郎!お前がそんなんでどうすんだよ!?風紀の情報網舐めんなっ!すぐに見つけだすから!」  一度、落ち合おうと場所と時間を決めて、電話を切る。急いで身支度を整えて、総一郎に電話をする。予想通り優秀な委員長はすぐに受話器をとってくれる。総一郎の声に、ばくばく高鳴る心臓は、少し和らぎを見せて、しっかりと内容を伝えられた。  食堂を担当する寮母に、朝飯をおにぎりにおねだりすると、快く受け入れてくれた。その待ち時間に理央に電話をする。こっちもすぐに電話に出てくれて、ありがたい。 「悪いけど、俺、今から学校行くから」 『え?!ダメです!待っててください!あと十分…いや、五分もらえればそっち行けますから!』  電話越しにごそごそとせわしなさが伝わってくると、どたんっと大きな音がした。いてて…と聞こえて、強張っていた頬がゆるむ。 「緊急事態だから待ってられん。大丈夫だよ、走っていくし、無暗に振り返らないし、すぐに逃げるから」  寮母が差し出してきた包みを礼を告げて受け取り、かばんに詰め込んで、急いで寮を出る。電話口でキャンキャン吠えている理央に、とにかく風紀室で落ち合おうと告げて、一方的に電話を切る。  全速力で風紀室にたどり着くと、すでに総一郎と佳純が中にいた。久しぶりに会う佳純は、顔色は悪く、くまもひどい。髪のつやもなく、頬もこけて、一回り小さくなった気がする。 「おい、佳純!大丈夫か?」  隣に座ると、獣のようなにおいがした。 「凛太郎…悪いな、忙しいのに、でも俺…もう…」  うなだれ、頭を抱える佳純が哀れでならなかった。 「とにかく、佳純の知ってること全部教えてくれ」  風紀用のメモ帳とボールペンを取り出す。ぽつぽつと色ない目で佳純は話し始める。  先週、発情期を迎えた一条七海とシェルターで落ち合うことになっていた。シェルターの受付に声をかけると、七海からの申請では佳純が相手になっておらず、入室を許可されなかった。何度も何度も確認させたが、どう見ても七海の字で書かれた申請書に俺の名前は書かれておらず、空欄だった。先日会った七海に確認したら、照れながらもうなずいていたのに。発情期前になるとオメガは不安定になるからということはわかっていたが、発情期を直前に、七海に拒否されてしまったんだとショックで数日茫然と過ごしていたが、思い立ち連絡をいれる。しかし一向に返信はなく、不審に思い、シェルターの担当に連絡をすると、とっくに七海はシェルターを出ていた。その先が全くわからなくなっていた。男と二人で出ていったことは担当者が教えてくれたが、それ以上のことは何もわからないと口を割らなかった。 「心当たりがある場所はすべて見て回った…調べるだけ調べた…でも、どこにも…。携帯もつながらないし、周りのやつらも何も知らないと言っていて…」  そう言って言葉を詰まらせた佳純の丸まった背中をさすり、出来る限り柔らかく声をかける。 「絶対大丈夫だ、俺たちがいるから」 「ああ、絶対に見つけ出すよ」  約束する、と総一郎も力強く同意した。佳純は項垂れたままだった。  空き教室で二人で穏やかに過ごしていた姿が頭をよぎる。優秀すぎるが故に、人間的に大きく欠落していた佳純が、あんなに人らしい微笑みや今のような感情を表せるようになったのは、彼のおかげなのだ。七海といる姿を見て、俺は、生徒会長を佳純にやってほしいと強く思ったのだ。だから、こんな情けない姿では困る。それに、あの温かい微笑みの彼を心の底から助けたいと思ったのも事実だ。  理央が寝ぐせもネクタイもぐちゃぐちゃのまま風紀室にやってきたので、とりあえず佳純を風呂に入れろと押し付けて、総一郎と会議を開く。 「まず、シェルター前の監視カメラの開示を要求する。それには俺が行こう」  そう総一郎が提案するので、了解、とうなずく。 「おそらく、一条に連れ添っているとなれば、そいつらも欠席しているはずだ。凛太郎はここ一週間で欠席が続いている生徒をリストアップしてくれ」  それと風紀連中の招集をかけて事態を説明しろ。俺が帰ってきたら一度、作戦をたてる。と言い残して、総一郎は早々と風紀室を後にした。  俺もパソコンを立ち上げて、千人以上いる生徒たちの出席簿のデータにソートをかける。その間に、理央が笑顔で佳純を連れて帰ってくる。ほかほかと湯気をたてている佳純は、幾分顔色を戻していた。冷蔵庫から適当に飲み物を見繕って佳純に渡す理央はすっかり打ち解けたように見えた。理央はこういうときも強いのかと、ふっと笑えてしまう。寮母につくってもらった朝食を佳純に差し出す。 「なんかあったときに、お前に動いてもらう。だから、倒れられちゃ、俺らもお姫様も困んだろ?」  そうすげなく言うと、佳純は俺と手元の包みを何度か見返して、小さく、ありがとうとつぶやいて、受け取った。 「え?佳純ってお礼が言えたんだな…」  ぷぷ、と笑うと、じろりと睨まれた。包みを開くと、まだほんのりと温かいおにぎりを手に取って、佳純は頬張った。 「うるせえ…さっさと探せ」  ばくばくと飯を頬張りながら、佳純のいつもの調子が出てきて、ほっと胸を撫でおろした。ソートが終わった画面には、全部で十五名の名前があがった。一応全員の生徒名簿を印刷し、またデータを風紀幹部のクラウドにアップする。風紀室には、隣に応接室がある。佳純にそこに移ってもらい、仮眠をとってもらうことにした。風呂にも入り、食事もとった佳純は、素直にうなずき、横になった。それを見届けてから、理央が俺のもとにやってくる。その間に集まってきた風紀メンバーと共に、近くの会議室に移動してもらうと、曽部や奥野といった主要メンバーも集まってくる。彼らに印刷したデータを渡し、概要を説明した。全員が揃った頃に、総一郎は帰ってきた。データは幹部データに送られていた。画像は不明瞭だが、七海を横抱きにしたまま学園とは反対の方向へ歩いていく姿が映っていた。顔まではわからなかった。おそらく、意図的にカメラを避けており、ここをよくわかっている生徒であることは明瞭だった。  集まった幹部たちにリストアップした資料を渡す。 「ここ一週間、欠席をしているのは十五名でした。そのうち、明らかな理由のものを削除すると、不明瞭な欠席は五名。そして、一条七海との交友関係から探ると…」  この二人がビンゴです、と二人の資料を掲げる。総一郎が、眉間の皺を濃くした。

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