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第56話

 佳純のバイクから降りて、ヘルメットをその持ち主に返す。ずっとヘルメットをかぶっていて違和感のある髪の毛を手櫛で直すように撫でつける。ヘルメットを取る姿も様になってしまう幼馴染を羨ましく睨みつけた。  風紀室に戻ると、総一郎が険しい顔つきで地図を睨んでいた。 「どうですか?」  携帯の連絡網では、各自の回った場所が空振りであったことを連絡していた。残り数件の連絡を待つのみとなっている。都市部のマンションはセキュリティが高く、なかなか情報を与えてもらえないことによって難航していた。それでも、警備会社に顔の聞く奥野たちがなんとか聞きまわってくれている。 「あと一か所のみだ」  理央が該当箇所にバツ印をつけた地図には、上から赤ペンで二重線が引かれていっていた。俺たちが回った山や海まわりの別荘にも人影は一切あらず、管理者にも聞いて回ったが、夏休み以降誰も来ていないという答えがほとんどだった。  ここに、七海はいるのか。  残った、隣の件の都市部になる高層マンションの場所を見つめる。動き出しそうな佳純を制して、座らせた。さっきから貧乏ゆすりが止まらない幼馴染は痛々しく見える。  頼む、見つかってくれ。  心の奥底から祈る。  七海のためにも。佳純のためにも。アルファとオメガは一緒にいないと、いけないんだ。  ピリリ、と総一郎の携帯の着信が鳴る。すぐに携帯を操作して、耳に当てる。 「ああ…そうか、いや…奥野、ご苦労さん」  いったん戻ってきてくれ、と総一郎は笑いかけた。どっちだ。じり、と手に汗がにじむ。電話を切った総一郎は、俺たちを見て、瞼を降ろした。  そして、首を横に振る。 「そんな…」  後ろから、佳純の苦々しい呻き声が聞こえて、蹴られた机が悲鳴を上げた。  これで見つかると思ったのに。  捜査は行き詰まりを見せた。ここにいないとなると、どこにいるんだ。 「七海…ッ」  喉をつぶしたような呻き声に、心臓が捕まれる。少しでも、その苦しみを分けられるなら、受け取ってやるのに。震える佳純の背中を撫でる。 「今日はここで終わりにしよう」  そう告げる総一郎を佳純は睨んだ。 「何言ってんだよ…七海は、今もどこかで…」 「阿久津、気持ちはわかるが、俺たちも人間だ。休まないといけない」  掴みかかりそうになる佳純を身体を張って止める。 「その通りだよ佳純。もう夜も遅い。一旦、作戦を練り直す必要がある」 「七海は、今も、どこかで苦しんでんだぞ?それを見捨てろと?!」  咆哮する佳純に全身がびりびりと威圧を受けている。息がつまるのがわかる。いつも、何にも興味がなさそうで無気力で合理的で冷静な佳純が、こんなにも心乱している。頭もがんがんと重くなっている。 「我々だって、彼を救い出したい」 「だったら今すぐにっ」 「おいっ佳純!」  俺を押し払って、佳純は勢いよく総一郎の胸倉をつかんだ。 「それでは、本当に助け出せるときに相手に出し抜かれてしまう」  怒りをあらわにする佳純に、総一郎はたんたんと冷静に言葉を続ける。 「俺たちがこれだけ力を尽くしても、簡単に見つからないんだ。相手もバカではない。だから、阿久津の機動力はいざという時こそ必要になる」  総一郎はまっすぐに佳純を見据える。冷静で落ち着いた低い声色の言葉に、みるみる佳純の威嚇が治まっていく。 「俺たちにとって、お前は頼みの綱だ。だから、しっかり休んでほしい」  最後は微笑んで佳純の肩を叩いた。ずる、と力なく佳純の腕は落ちた。急いで駆け寄って、声をかけ、背中をさする。 「ゆっくり休もう。明日もいっぱい動いてもらうからな」  茫然とうなだれる佳純を応接室につれていき、ソファの上に横たわらせて、温かい毛布をかけた。腕を目元に置いて、佳純は苦し気に息をつまらせていた。電気を消して、そっと扉を閉める。  総一郎はいつもより暗い顔で椅子についた。その近くに立って、ずっと頭の中にあった疑念を打ち明ける。 「先輩、俺…すごく、嫌な予感がしてます…」 「…凛太郎、俺もだ」  ぎゅ、と自分の腕を握りしめる。視線は勝手に落ちてしまう。 「あの二人、大崎と本多って…あいつと、関わりがありますよね」  あいつ、という言葉に、総一郎は表情ひとつ変えずに、前を見据えたままだった。  それぞれサッカー部とバスケ部のエースである二人は、部活の三年生を食い荒らし部内をメチャクチャにする本薙を自分達だけに目をむかせるように犠牲を買って出た。本当のところ、買って出たのか、オメガ性に惹かれてなるべくしてなったのかは、俺にはわからなかった。それでも、今や両部活共に立ち直りを見せてきたし、一時期、彼らのおかげで本薙が落ち着いていたことは事実だった。 「そうだな…」 「あいつの、異常なまでのアルファへのこだわりを考えると…」  あいつが、七海の誘拐に手を貸していることは濃厚なのではないか。  俺への執拗な嫌がらせを考えると、十分にあり得るのではないか。 「でも、あいつが自分のアルファに、他のオメガを近づけるかと言われると、違和感はありますが…」  だからこそ、決定打に欠けた。  ベータの俺にだって執拗に拒否していた。他のオメガならば、より強い拒絶反応を見せるのではないだろうか。 「だよなあ…」  ぎい、と椅子が鳴って、総一郎は腕組みをして深く考え込んでいた。 「しかし、今、ゼロに戻っちまったんだから、当たってみる価値はありそうだな」 「俺、本薙家が持つ不動産情報を当たってみます。それと、」 「いや、ダメだ」  え?と首をかしげると総一郎は立ち上がった。 「もう、今日は営業終了だ。帰って休め」 「でも…」 「おいおい、阿久津に言っただろ?同じことを風紀が守らんでどうする」  身体がすべての資本だ、そういって、総一郎は俺にかばんを持たせて、入口まで背中を押してきた。 「ちょ、そ、そういうなら、先輩だって、もう帰りますよ!」 「いんや、俺は今日、ここに泊まる」  応接室を指差して、俺が監督しとくから、とウインクした。そう言われてしまうと、何も言えない。しかし、この人はこうやって、一人でこっそり、いつも働いているのだ。 「…ハゲますよ」 「おいおい、怖いこと言うなよ」  恨めしくつぶやくと総一郎は自分の頭皮を両手で揉みだした。そんな間抜けな委員長の姿に、くすりと笑う。 「そうですね、夜より朝の方が頭がよく回りますから」 「凛太郎は健康体で素晴らしい」  わしわしと今度は俺の頭をかき混ぜてくる。総一郎の犬をかわいがるようなこれを、俺はくすぐったくて、結構好きだ。  そのまま、挨拶をして俺は帰路につく。一人の帰り道は久しぶりだ。外に出ると、夜はひやりとする。七海が、温かいところにいてくれることを祈った。そして、もう一人。俺の心埋める人物を思い浮かべる。今頃、何をしているだろうか。きっと理央のことだから、本薙を適当にはぐらかして、逆に遊んでやってるのではないかと考えて、くすりと笑った。そう思わないと、今までの海智と本薙の嫌な思い出に、理央を重ねてしまいそうになるからだ。  また裏切られるかもしれない。そう思うと、胸が苦しい。  それでも、今は、理央を信じたいと、愚かにもまた、同じようなことを思ってしまうのだ。  理央の隣で、また笑いたい。  そのためにも、この事件を解決させることが何よりの優先事項だ。頬を叩いて、まっすぐと見つめる。

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