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第62話
あまりにも謝罪のメッセージがしつこいため、仕方なしに退院の見届けにやってきた。俺だって、やっと思いを通じ合わせたその日に、恋人の自慢の顔を思いっきり叩きつけることになるとは思わなかった。
俺の姿を見つけると、昨日叩かれた頬を腫らした理央が涙目で突進してきた。
「りん先輩~ごめんなさい~調子のりました~許ぢてください~」
病院のエントランスで響き渡る声と嗚咽に耐えられず、腰に巻き付いてきた大男の首根っこをつかんで、タクシーに荷物と一緒に投げ入れた。荷物を二人の間に置いて、出発するように運転手にお願いをする。
隣から縋るように肩をつかまれて、それを手で払う。何か言っているが、無視をして、窓の外に視線をやりながら、まだ腕に縋る手をつかんで、荷物の上に置く。その上から、自分の手のひらを合わせる。
「じぇんぱい…っ」
わかってる。
バース性にこだわっていることや、アルファに裏切られ続けた俺の心の傷に気づいているから、わざとああやってふざけたんだ。それが、理央の得意技だった。その技に、何度も元気づけられたことも、俺はちゃんとわかってる。そこが、俺が理央を好きになった理由のひとつだから。
でも、付き合って初日の冗談にしては刺激が強過ぎたんだ。だから、慰めるように手を握ると、理央が指を絡めてくる。ちら、と見やると、理央は、えへへ…と頬を染めて、ほわほわと笑った。この笑顔にいつも絆されてしまうんだよな、と溜め息がちに笑った。窓の外に視線をやってから、学園の話を切り出す。
「生徒会のリコールが決まった」
もとから教員たちの承諾は得ていた。予想外にも本薙がいなくなり、それで生徒会が持ち直してくれるなら、余計な労力を使わずにすむと思っていた。しかし、本薙を失った生徒会メンバーは心ここにあらず、生きる屍状態と化し、最悪な結果となっている。結局、リコールは不可避となってしまった。
七海を救い出したのに、下心は一切なく、とにもかくにも、七海が見つかって良かったと風紀全員が思っていたのだが、佳純は意外と律儀な男だった。七海を発見する直前に、総一郎に会長を務めると約束をしたらしい。
七海発見を受けて、一時休息をとり英気を養った総一郎から、リコール後のメンバーについての打診があった。会長が決まれば、するすると他のメンバーも快く承諾し、決まっていった。あと一人を除いては。
「よかったですね、これで学園も元通りですね」
にこにこと穏やかに言う理央。
「理央、お前、生徒会やらないのか?」
「え…?」
俺?ととぼけた声が聞こえて、横目で見ると、ないない、と笑っていた。
「俺、先輩の隣にずっといたいですもん」
理央の親指が、俺の爪の付け根を優しく撫でる。振り向き、じ、と見ていると、視線に気づいた理央が瞳を交わらせる。
「嫌か…?」
「い、や…では、ないかも、です、けど…」
頬を赤らめながら、しどろもどろに濁す。
「でもっ、先輩といる時間が減りますっ、ただでさえ学年が違うのに…」
「お前なあ…そもそも、なんで風紀に…」
じゃあ、なんで風紀に入ったんだよ、と言おうとして、はた、と気づいてしまう。
この質問、理央が風紀に入りたてのときに、聞いた気がする。その時、本気を出すとかなんとかって言っていた。それってどういう意味だったんだ、と眉間に皺をよせて考えてしまう。
そんな俺に気づいてか、理央はにやにやしだす。
「わかりました?俺の本気」
ん?と小首をかしげると理央は自分の髪の毛を一束つまんだ。
「俺、ピンク髪、お気に入りだったんです。でも、そのままじゃ、本気で好きになった人を落せないってわかったから、黒にして、その人のために風紀に入りました」
はら、と髪の毛を落すと理央は、俺の目を見つめながら微笑んだ。じわじわと言葉の意味を理解していくと比例して、顔に熱が集まる。
本気で好きになった人を落とす…風紀に入った…
つないでいた手を持ち上げて、俺の手の甲に、つややかな唇がしっとりと吸い付いた。
「俺の初恋、しっかり実りました」
おかげさまです、とにっこり笑う理央に、身体の奥が恥ずかしさと嬉しさとが入り混じった熱い何かがじわじわと湧き出して身体を火照らす。
総一郎が恋のキューピットだったのか、と今更ながらに気づいたのだった。あの先輩は、どこまで愛情深い人なのだろう。
「じゃ、じゃあ、もう風紀にいる意味、なくなったじゃん…」
そっぽを向きながら、手を、きゅ、と握り返す。
「逆ですよ」
慌てて理央が訂正してくる。
「りん先輩に悪い虫がつかないように今まで頑張ってきました。これからも頑張らないと…!」
ふん、と鼻息荒く、理央が気合いを入れていた。
「でも、学園で生徒会を務められるの、あと理央しかいねえよ…」
なあ、と身体ごと理央に向けて、見上げるように顔を傾ける。
俺の大好きなあの学園を、守れる優秀な力を有するのは、あと、理央だけだ。
最初、総一郎から提案されたときは驚いたが、俺の頭にもうっすらと、もとからあったことだった。佳純が会長として絶対的な存在であれば、他のメンバーが多少変でも大丈夫だろうと気持ちもなくないわけではなかった。
しかし、理央を生徒会に、と素直に認められなかったのは、今思うと、理央を独占していたい、という俺の欲目もあったのかもしれない。
「お、おれだって、本当は、理央に…ずっと、風紀にいてほしい…けど…」
視線を落しながら、口の中でつぶやく。すると、うなじに手のひらが宛がわれて、理央の方を向かされる。
「今のは、りん先輩が悪い」
ずい、と目の前に顔がやってきて、唇に吐息がかかる。急いでその唇を手のひらで押し返す。バカ!と瞳で訴えかけながら、ちらちらと運転席を見やる。もちろん運転手は我関せずで無言のまま、ただまっすぐ前を見て運転しているだけだ。
手のひらを除かした理央は、そっと耳元に唇をよせて、囁いた。
「今、キスしてくれたら考えます」
き、と睨むが、理央は眦をさげてとろけるように笑んでいた。胸倉をつかんで引き寄せて、俺も同様に耳元で囁く。
「あとでな」
去り際に、頬に吸い付いて離れる。理央は顔を真っ赤にして、口を開けたまま俺を見ていた。俺も頬を染めながら、勝ち誇ったようにわざと笑いかけて、車窓に目をうつす。
「も~俺の恋人かっこよすぎ…好き…」
後ろで俺の右手を両手でぎゅうぎゅう握りしめて額に当てながら、理央が、めっちゃ好き…と呻いていたことには、気づかないふりをした。
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