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第64話
「俺、どうしても風紀のみんなよりも、先輩との時間にブランクがあるし…みんな、りん先輩のこと好きすぎだし…りん先輩も、平気でかわいい笑顔ふりまくし…だから、俺…」
どんどん、口をとがらせてぶつぶつ言う、頬を染めた理央は、子供のようにふてくされていた。思わず、頬が緩んでいく。とげとげしていた心が、理央によって、まあるく形を変えていくのがわかる。
「応援してくれたみんなにありがとうって言いたい気持ちと、俺のだからなっていう牽制もこめて…だから、だから…」
俺が思っていたよりも、浅はかな行動ではなかったのかもしれない。一生懸命、言い訳を考える十六歳児の鼻をつまんだ。ふが、と唸った理央をくすくすと笑う。俺の笑顔に気づいて、理央は頬を緩めた。
「お前、余裕なさすぎ」
ぎゅう、と抱きつく。ふんわりと、理央の、理央だけの甘い匂いが漂ってきて、心がさらに溶けていく。緊張した身体がほどけていき、理央も力強く俺を抱きしめた。
「だって、りん先輩、どれだけ自分が魅力的かわかってないし…俺のなのに全然気づいてくれないし…クソ生真面目なのに、平気でチャラ男先輩と付き合いだすし…」
もう、俺、気が気じゃなかったんだから…と肩口に口元を埋めながら、くぐもった声で理央はつぶやいた。クソ真面目は余計だとイラッとしたのに、後半の可愛い彼氏の言葉に、胸が高鳴る。肩を押して、顔を覗くと理央が眦まで真っ赤にしていた。
「俺の初恋はりん先輩なのに、りん先輩の初恋が俺じゃないって、ちょっと…かなり…めっちゃ…めちゃくちゃ…すっ…ごくムカつく…」
いじける可愛い恋人のこめかみに指をあて、髪の毛を後ろに撫でつけるように、何度も優しく手を動かす。さらさらと、長い前髪が可愛い顔を隠してしまうのを、何度もどかす。
「俺の初めては、全部りん先輩なのに…」
腕に力が入り、距離が縮まる。顎に軽く犬歯が立てられて、肩が少しだけ跳ねる。所有欲を惜しみなくぶつけて独占しようとしてくる理央に、背筋がぞわぞわと甘い電気が行ったり来たりしている。身体が心が、嬉しいと叫んでいる。
「嘘つき」
そう囁いてから、潤んだ唇に吸い付いた。ゆっくりと顔を戻すと理央は、じ、と俺を見ていた。
「理央だって、初めてのキスじゃないじゃん」
今、こういう関係になったからこそ、出会った頃の理央の姿を忘れたいと思っても、忘れられない。
また、あのオメガたちと出会ったら、変わってしまうんじゃないかという不安は、ベータの俺は一生付き合っていかないといけないのだろうか。俺の初恋にうえられたトラウマは、一生、俺を苦しめるのだろう。
俺は苦い顔をしていたのかもしれない。理央は、少し眉尻をさげてから、まぶたを降ろした。
「初めてだよ!」
目を見開いて、叫んでくる。いきなりの思いがけない反応に固まってしまう。
「だって、好きな人とする初めてのキスは、りん先輩。好きな人と付き合って、恋人になってからするキスの初めてはりん先輩!」
幼子の駄々っ子のように繰り返しながら、俺の胸元にぐりぐりと頭をこすりつけてくる。
「でも、りん先輩は違うじゃん!俺は初めてなのに…」
でも、と言いかけて、やめた。
理央が、どれだけ俺を思っているのかがわかったから。
もう別れた海智に対してのプラスの感情はほぼない。苦かった思い出として、トラウマとして、俺にずっと付きまとうことだろう。でも、理央も、その見えない過去に嫉妬しながら、俺と過ごすことになるのだろう。それを思うと、少し、申し訳なさも感じる。でも、それはおあいこ様なのだ。色々な経験をしてきているはずの理央が、実は恋愛に対しては、ほとんどちゃんと経験を踏んできていない俺と同様な程度のレベルしかないのだろうと思った。そう思うと、先輩として彼を受け止めていくことも大切なのだと気づいた。
「俺…」
理央の頭を撫でる。ぴく、と動きがとまる。見た目は美丈夫なのに、こんなに幼い中身を知っているのは、自分だけで良いと思ってしまっていた。
「もう、アルファと絶対付き合わないって決めたのに」
ぱ、と顔を上げた理央の眦が少し濡れていた。泣いてたのか、と小さく微笑む。
「なんでだろ…俺、ベータなのに…」
「…先輩は理論派ですもんね」
俺のつぶやきに、理央は、むす、と顔を歪めて、もう一度、俺の胸元に抱き着いた。
「好きになるのに、アルファもベータもないでしょ。俺がベータでも、オメガでも、絶対にりん先輩は俺のこと、好きになってたよ」
絶対に好きにさせたし、と、さっきまでめそめそしていたのに、今度はぷんぷんしだした。愛らしい彼氏に、ついくすくす笑ってしまい、余計に機嫌をこじらせてしまう。隣の部屋にいた時と、真逆の立場になってしまった。ぎゅう、とその頭を抱きしめて、つむじにキスをする。おずおずと理央は身体を起き上がらせて、うつむきながら、俺の顔を見上げる。
「…子供っぽいって、嫌になった?」
視線を何度も泳がせながら、俺の顔色をうかがうようにつぶやいた彼が小さく見えて、垂れさがる耳と尻尾も見えて、笑みを深める。
「勝手にみんなに自慢したり、余裕なかったり…、いや?」
俺の手をにぎにぎと落ち着きなく握る。そのいじらしい姿に、自分がどんどん変えられていっているのがわかる。
「そう言われると、嫌って言えないじゃん」
俺が笑いながら、そう言い返すと、理央は予想に反して、焦った顔つきで、俺の腕にすがった。
「本当に?本当に嫌じゃない?りん先輩、我慢すること多いから、ちゃんと言葉にして」
ねえ、と瞳を潤ませながら目の前の大型犬は何度も確認してくる。嫌って言ってほしいのか、言ってほしくないのか、どっちなんだよ。
「俺、ちゃんと先輩と話していきたい。もっと先輩のこと知りたいし、俺のことも知ってもらいたい。だから…だから」
ぽろ、ときれいな瞳から一粒涙が落ちて、驚く。
「別れるなんて、言わないでよ…」
俺が勢いで口から出た言葉に、意外にもこの大男は、非情に傷ついていたらしい。
アルファで、家柄もよくて、顔も身体も、能力も非常に優れたこの男が、ベータの俺なんかに、こんなに懇願している事実に、様々な感情が流れ込み、俺の身体を熱くさせた。
「絶対、別れないけど…」
ぽろぽろ泣きながら懇願しているのに、なんて怖いこと言うんだ…とつい、笑ってしまった。そんな俺の反応を理解できずに、眉間に皺を寄せて困惑している理央の顔を両手でつつみ、涙を唇で吸い取った。ぺろ、と眦を舐めると、わっ、と理央が声を出す。
「じゃあ、そんなこと言わせないように頑張れ」
額をぐりぐりと押し付けながらそう笑みを深めて囁く。
目を見張った理央は、もう一度俺に抱き着いて、がんばりましゅう!と叫んでいた。
泣き顔をはっきり見せてくれる理央。
俺の言葉を上手に引き出す理央。
いつだって俺をたててくれる器用な理央。
そういうところが、尊敬できて、大好きで、愛おしくてたまらない。
俺を選んでくれて、ありがとう。そう心の中で強く唱えながら、抱きしめた。
しぶしぶ風紀室に戻ると、真っ赤になって震えている笹野と、口笛を吹く宇津田がいた。しばらく目を合わせられなかったが、理央がにこにこと喜んでいるようだったので溜め息混じりに笑った。
その後、総一郎から生徒会の件を提案されると、後ろの二人はひどく驚いていたが、理央は俺に微笑みかけながら、しっかりと断った。しかし、総一郎は丁寧に説得をして、それに理央は心揺さぶられていた。そして、何より、最後に総一郎が念押しと言わんばかりに「生徒会は専用の寮だから、心置きなく恋人と過ごせるんだぞ?」と告げた情報により、目を輝かせながら、「喜んでお引き受けさせていただきます!」と叫んだ不誠実な恋人の脛を蹴飛ばした。
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