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第77話
「よ、働いてるか~?」
「りん先輩っ」
生徒会室に提出書類を持ってくるついでに挨拶をする。中に声をかけると、理央が真っ先に俺を見つけて、目を輝かせて、尻尾をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる。よしよしと頭を撫でながら、くるりと室内を見渡す。生徒会メンバーは明日が新年度スタートということもあり、ひたすらにキーボードを叩いたり、ぶつぶつ言いながら書類をめくったりしている。理央だけがのほほんと俺に引っ付いている。他のメンバーは我関せずといつもの光景をスルーしていた。つかつか、と中に入っていき、佳純の目の前に立つ。書類から顔を上げると、長かった髪を少しさっぱりさせた穏やかな顔つきの佳純と目が合う。
「ほらよ、会長様」
書類をばさ、と机に置くと、無言で受け取り、書類をファイルに閉じた。顔色もよく、薄くなってしまった身体は順調に戻りつつある。
「今日は野良犬の臭いしませんね~」
わざとらしく、すんすんと鼻を鳴らすと佳純は嫌そうに一瞥して、顔を戻す。そうした反応にも、以前に戻ったと実感できて、目を細める。
「じゃあ、明日のお話楽しみにしてますよ~」
「お前のもな」
明日の始業式では、会長と風紀委員長からの話がある。数日後に控えた入学式でも同様だ。俺はぎすぎすに緊張しているのに、佳純が嫌味のように返してきて、睨みつけるが涼しい顔で笑っていやがった。ふう、と溜め息をついて生徒会室を出ると、腕をひっつかまれて、隣の空き教室に連れ込まれてしまう。生徒会が待機室や会議室として使う部屋は、廊下からのガラスがすべて擦りガラスになっており、中はよく見えないようになっていた。
そのドアがガラッ、と閉められる。強い力で抱き込まれて、顔を固定される。意義を唱えようとしたが叶わなかった。
「んっ…んんっ、う…」
胸板を両手で押すがびくともしなかった。口元からは、唾液が絡み合う卑猥な水音が静かな教室に響き、その淫猥さに背筋に甘い痺れが走る。やめろ、と言うが、すべて鼻から抜けて、喘ぎのようになってしまう。目を開けると、理央が情欲の滲む瞳でじっと俺を見ていた。ぬる、と歯茎をなぞられて、瞼を強くつむり、快感が帯電しないように努める。それを嘲笑うかのように、理央は執拗に俺の弱い場所を滑った舌でいじめてくる。
「りっ、お…やっ…あ…、んぅ」
俺の舌に巻き付いて、じゅっじゅっと吸い上げる。舌の先端が理央の口蓋のざらつきに当たり、その刺激で内腿がぶる、と震える。長い指がうなじをくすぐり、むずがゆさに肩をすくめると、唾液が口内に流れ込んでくる。ごく、と互いの唾液を飲むが、溢れて顎を伝っていく感覚も神経を焦がす。角度を変えながら、唇を何度も吸われて、ようやく理央は離れていった。はあはあ、と肩で呼吸を正していると、理央は優しい手つきでつたった唾液を親指で拭う。
「ば、か…っ」
ぎ、と睨むが、理央には全然効いていなかった。むしろ、もう一度唇を吸われた。そして、よく見る理央のいじけた目が俺を射抜く。
「俺、怒ってる…」
なんでかわからずに片眉をあげると、その表情をくみ取った理央がさらに不機嫌そうに唇を尖らせた。
「本当にさ、りん先輩、会長に甘すぎなんだけど。なんなの?」
俺が恋人でしょ?と理央は、ぷんぷんと怒っていた。またこれか、と、ふふ、と笑ってしまう。そうすると、笑いごとじゃない!と理央はまた怒る。いつものように、頭を抱き寄せて、よしよしと頬ずりをしながら撫でる。
「も~俺、子供じゃないっ!」
「ごめんごめん、俺がこうするのは理央だけだよ~」
む~と唸りながらも、理央は俺に抱き着いて、大きな身体をさらにかがませて、胸元に額をぐりぐりと押し付ける。
「もお本当、何やってんのあの人。さっさと仲直りしてよ」
佳純の様子を見ている限りだと、最近のやつは、寮に戻ってきたようだった。春休みだというのに、七海に会いに行く暇もつくらずに、ひたすらに学園の仕事に打ち込んでいた。年度末さぼった分以上の働きを見せていることと、戻ってきたときの痛々しいほどのやつれっぷりに生徒会メンバーは何も言えずに、ただ黙々と仕事をこなしていた。そういうところが賢い人たちだと思う。
「理央、いつもありがと」
大きな年下を抱きしめて甘やかすとご機嫌はだんだん治ってきたようだった。じ、と顔をあげて見つめてくるので、キスをしてやると、ほや、と嬉しそうに破顔した。この笑顔にいつも流されそうになってしまうが、風紀委員長が率先して風紀を乱していては困る。ほとほと恋人に甘い自分が許せなくなる。
またキスをねだろうとする恋人に、「帰ってからな」と耳元で囁いて、腕の中から逃げ出した。ぽお、と頬を染めた理央は不服そうだったが、「迎えに行きます」と尖った唇でつぶやいて生徒会室へと消えていった。それをつい、かわいいと笑ってしまうから、俺は完全に理央にべた惚れだと再認識させられてしまう。
新学期が始まる前に、ちゃんと校内をパトロールしておきたいと早朝に登校する。無理しなくてもいいのに、寝ぼけ眼で、寝ぐせもそのままに、朝に弱い理央も後ろでむにゃむにゃ言いながらついてくる。昇降口前につくと、今一度ネクタイをキュッと締め上げる。
大きく深呼吸すると、ふ、と何か匂いがする。
「おい、理央…おい、起きろ」
後ろに振り返ると、涎を垂らす恋人の肩を揺らす。ぐし、と乱暴に垂れていた涎を手の甲で拭いてやると、ぱちぱちと重い瞼を何度か動かした。
「へ…りん、せんぱ…ふへ…」
「ちょっ、違う!起きろ!」
寝ぼけた理央は俺を見つけると、だらしなく笑って抱き着いてきた。その頭を思い切り叩くと、痛いと涙目で理央は意識をはっきりさせてきた。
「わかるか?」
すん、と鼻を鳴らす。え~?といいながらも、理央も鼻を鳴らした。理央は、嫌そうに眉間に皺をよせて、俺の鼻元を手で覆った。
「だめですっ、りん先輩は俺以外のアルファのフェロモンを嗅がないでくださいっ」
やはり。どこかから、アルファのフェロモンのにおいがする。まだ校内は静かで、誰かが来た様子はない。それに、かすかだ。かすかに、風に乗って、どこからか匂いが流れてくる。息苦しくて、手を叩き落とす。後ろで何か喚いている理央を後にして、その匂いを辿ってみる。何事もなければ、それでいい。誰かが間違っているなら、それでいい。しかし、新学期早々の事件は風紀委員長として許せない。
いくら鼻がいいと言っても、所詮俺はベータだ。アルファやオメガほどの鼻の良さは持ち合わせていない。後ろでめそめそ言いながら、俺のブレザーの裾を握りしめている理央に振り返る。
「だめだ、俺じゃ限界だ…理央ならわかるよな?」
真剣に聞くと、涙目の理央は渋々と、はい…と答えた。
「どこからだ?」
ぐちぐち言っている理央を完全無視して、風紀モードに入る俺に、理央の方が先に折れた。手を引っ張られて、階段を上る。
「まあ、そういう真面目なとこも好きだから仕方ない…」
理央が何か言っているが、俺は心の中で何も起こるなと祈るばかりだった。
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