10 / 15
第10話 受難
大学に来てすぐ、晴人を探す。ストーカー行為の件で、話をしなければならない。あいつは取り巻きが多い、早めに話を持ち掛けた方が良いだろう。
大学の講義が始まる前、やっと晴人が講義に顔を出す。すかさず俺は晴人のほうまで近寄り、話しかける。
「昼、話がある。」
それだけ言って自身が座っていた席へ戻る。晴人は驚いた様子で俺をしばらく見ていたが、取り巻き囲まれてからいつも通りのニコニコ表情に変わっていたのだった。
昼頃になって、晴人から声をかけられる。
「どこで話す?」
晴人は普段の話し声よりもワントーン低く小さな声でそう言った。俺は荷物を肩に、晴人に背を向ける。
「ついてこい。」
「わ、分かった。」
返事を聞いてから、振り返るでもなく俺は歩き出した。そのまま講義の部屋を出る前、横目で遼が俺たちをチラリと見る視線と一瞬ぶつかる。しかし、特になにもなかったように視線をそらされる。俺自身も特になにかあるわけでもないため、前方へ視線を戻したのだった。
俺たちがやってきたのは、前日遼と晴人が二人で話してた扉の開閉音がうるさい空き部屋。ここは人気もなく、話し合うには良い場所だろう。その部屋の奥へ俺は進み、晴人は同じように着いてきて適当なところに荷物を置いた。
「やっぱり……聞いてたよね。昨日の今頃、この場所で遼と話していたことを、ね?」
俺は振り返り、晴人の普段とは少し違う笑みを見る。その笑みに怯んでしまいそうだったが、腹をくくって口を開いた。
「ああ。そうだ。」
返答を聞いた晴人は、元々上がっていた口角をさらに引き上げた。
「あぁ……ふふふっ。」
「な、なんで笑っているんだ?」
「ごめん、ごめん。嬉しくて、つい……」
言ったことの何が嬉しかったのだろう。晴人は上がった口角を抑えるように、口元を自身の手で覆った。
「謙くんのそういうところも、大好きだよ。真面目で優しくて、ちゃんと俺と向き合おうとしてくれてる。しかも、自ら二人きりになってくれた……ねえ。」
晴人は俺の目の前まで近づき、笑顔のまま力強く俺の肩を押した。
「うっ……」
予想外の力に押され、背を壁に押し付けられる。続けざまに晴人は俺の肩を掴み力任せに体勢を崩させ、壁をなぞるようにズルズルと身を引き下げられていく。とうとう抗えず尻もちをつくと、晴人は不敵な笑みのまま俺の手首を掴んで壁に押し当てた。
「ねぇ、どうして二人きりにしちゃったの? こんなことされるかもしれないのに、ね?」
晴人は片方の手を手首から手のひらまで這うように移動させ、俺の指と指の間に自身の指が入れ込んだ。彼はニタニタと笑いながら、座り込んで軽い拘束状態に陥った俺を見下ろす。
「謙くん、好きだよ。あぁ、いい匂いだね……」
晴人は耳元で気持ちの悪いことを言い、俺の首まで顔を近づけてスンスンと鼻をならした。全身がぞわぞわとしてくる。
「うぁ、やめろっ!」
身の危険を感じ、すかさず足で晴人の足を蹴る。位置的にも威力は乏しく、威嚇にしかならない。だが、異常に興奮していた晴人を正常にするには丁度良かった。
「あ、ごめんね。怖がらないで、ね?」
彼は正気を取り戻したようで、その目はいまだ俺しか映らず、黒く淀 んでいる。彼の視線を避けるように、俺は彼から顔を横に背けた。
「お前は、なんでこんなことするんだ。」
「え? 好きだからだよ?」
「その理由だ。それに、ストーカーもやめろ。」
「それは、ごめん。知りたかったの。謙くんのこと全部。」
「全部って……」
「あと、理由はね、言っても謙くんは覚えてないと思うよ。それよりもさ、俺、謙くんのこと好きだから――付き合って欲しい。」
晴人は自身の右手で俺の下あごに滑らせ、優しく掴んで背けていた顔を真っすぐ向けさせた。全身が酷くぞわぞわする。突き放さなけば、このドス黒い感情に呑まれてしまいそうだ。
「無理だ。諦めてくれ。」
「ううん、必ず好きにさせるよ。お試しでもいいから、ストーカーもしないから、ね?」
真っすぐで、されど真っ黒な感情と行動が俺を逃がしまいと捉えている。本気で俺に好意を持って、それを押し付けようとしている。それが俺の心身を蝕み、ピリピリと表面を焦がす。
答えられない。晴人の気持ちは、酷く歪んでいる。正直、素直に恐怖を感じるほどだ。なにがこいつにそうさせるのだろうか。
晴人は俺が答えようとしないのを見て、しびれを切らしたのか急に顔を近づけ始めた。
「ま、待てまて!」
自由になった左手を晴人の肩に乗せ、強く押し返す。
「どうして? 男は無理? 嫌なこともしないよ?」
「ち、違う。そういう問題じゃない! それに、俺は……」
心臓の鳴る音が、いつもより早く、うるさく頭に響く。自身の声が、発する音が、呼吸に合わせて不安定に鳴る。どんどん全身に熱が込みあがり、額に汗がにじみ出す。
「お、俺は、俺には……好きな人がいるから――」
「え……?」
ここで晴人は初めてニコニコした表情から驚いた顔になり、掴んでいた手を放してゆっくりと後ずさった。
「まさか……遼が好きなの?」
「……」
晴人の言葉に、俺は沈黙で返したのだった。
ともだちにシェアしよう!