10 / 36

10 ウサギとの再会 5

(──やばい…!)  ここが電車の中だという理性を押しやって、とうとう伊勢の本能が勝ってしまった。  男はこうなったらもう止めることはできない。やっかいで正直な生き物なのだ。 「伊勢」  生徒に恥ずかしい思いはさせたくない。  コートを着ていてよかった。このしょうがないウサギを、乗客の好奇の目から隠してやれる。 「…せ…んせ…っ」  泣き出したその顔ごと、コートの中に伊勢を包んだ。  がたん、ごとん、と揺れる電車。飲み会の相談をするビジネスマン。スマホでゲームをしている学生たち。  普通の人々が普通に過ごしている帰宅ラッシュの車内で、コートに隠れた伊勢だけが異質な存在だ。 「や──…っ」  小さい声で啼いて、伊勢は、いった。  射精する瞬間の腰の動きが、右足にダイレクトに伝わってくる。  いやらしいウサギ。コート一枚の布地に匿われて、我慢できなくていってしまった彼。 (…こいつ──)  はあ、はあ、と小ぶりな唇が切迫した息をしている。  動き続ける伊勢のそれを見詰めながら、内心、激しいショックを受けていた。  目の前で射精した彼に対してじゃない。その姿から目を離せなかった、自分自身にだ。 (どういうことだよ……)  朝は痴漢の被害者だと思っていたのに。  夕刻の俺は、視姦に耽る変質者だ。 「…先生……」  精神容量を超えてしまった伊勢が、助けを求めるように俺を呼んだ。  人に見られたくない最たるシーンを晒して、彼は羞恥に怯えている。 「駅に着いたら──降りるぞ」  こくん、と頷いて伊勢は自分の胸に顔を埋めた。  全身を震わせて泣いている姿を見て、後ろめたい気持ちが湧いてきた。 「…俺がついててやるから。心配するな」  なるべく優しく言って、コートの中の伊勢を抱き締める。  声を殺して泣きじゃくっているウサギを、誰にも見せたくなかった。

ともだちにシェアしよう!