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10 ウサギとの再会 5
(──やばい…!)
ここが電車の中だという理性を押しやって、とうとう伊勢の本能が勝ってしまった。
男はこうなったらもう止めることはできない。やっかいで正直な生き物なのだ。
「伊勢」
生徒に恥ずかしい思いはさせたくない。
コートを着ていてよかった。このしょうがないウサギを、乗客の好奇の目から隠してやれる。
「…せ…んせ…っ」
泣き出したその顔ごと、コートの中に伊勢を包んだ。
がたん、ごとん、と揺れる電車。飲み会の相談をするビジネスマン。スマホでゲームをしている学生たち。
普通の人々が普通に過ごしている帰宅ラッシュの車内で、コートに隠れた伊勢だけが異質な存在だ。
「や──…っ」
小さい声で啼いて、伊勢は、いった。
射精する瞬間の腰の動きが、右足にダイレクトに伝わってくる。
いやらしいウサギ。コート一枚の布地に匿われて、我慢できなくていってしまった彼。
(…こいつ──)
はあ、はあ、と小ぶりな唇が切迫した息をしている。
動き続ける伊勢のそれを見詰めながら、内心、激しいショックを受けていた。
目の前で射精した彼に対してじゃない。その姿から目を離せなかった、自分自身にだ。
(どういうことだよ……)
朝は痴漢の被害者だと思っていたのに。
夕刻の俺は、視姦に耽る変質者だ。
「…先生……」
精神容量を超えてしまった伊勢が、助けを求めるように俺を呼んだ。
人に見られたくない最たるシーンを晒して、彼は羞恥に怯えている。
「駅に着いたら──降りるぞ」
こくん、と頷いて伊勢は自分の胸に顔を埋めた。
全身を震わせて泣いている姿を見て、後ろめたい気持ちが湧いてきた。
「…俺がついててやるから。心配するな」
なるべく優しく言って、コートの中の伊勢を抱き締める。
声を殺して泣きじゃくっているウサギを、誰にも見せたくなかった。
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