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11 とある日の立星館ゼミナール
俺の心の中のように、立星館ゼミナールの小教室の窓の外には灰色の雨雲が広がっている。
午後から大雨になると天気予報では言っていた。この季節の雨は、桜の花を散らしてしまうから嫌いだ。
「──で、最高次の係数が1の整式として、…って先生、新垣先生? 聞いてる?」
「んあ? ああ、ごめん」
「もうっ。しっかりしてよっ」
体たらくな講師だ。生徒に怒られている。
ここ数日、俺はおかしい。伊勢と出会ってから俺は変になってしまった。
27歳の真面目な大人はこんなことでは悩まない。童顔のウサギのことが頭から離れなくて、仕事も散漫になりがちだ。
「今年合格できなかったら、私家を追い出されちゃうんだから」
伊勢を無理に意識の外へ追いやって、涼しげにアイメイクをきめた女生徒を見る。
浪人中とはいえファッションにも手を抜かない彼女は、立星館ゼミナールに通って二年目の受け持ちの生徒だ。
「親御さんのハッパだよ。がんばれって言ってるのさ」
「……高望みしてるかなあ、私」
彼女の学力は第一志望に努力して手が届くレベル。高望みとはけして思えない。
「どうした。えらく弱気だな」
「せっかく特進に入ったけど、なんか煮詰まってて。先が見えなくて不安」
毎週土曜日のこの個別指導の時間は、生徒のカウンセリングも兼ねている。
浪人生は自身のプレッシャーと、親の期待というもうひとつのプレッシャーを背負っている。
一概には言えないが、同じ浪人経験があり、予備校で長年講師をしている俺には、それがどんなに重たいか分かる。
「まだ4月だぞ。結果を急ぐと息切れする。次の模試までは今のペースで大丈夫だ」
彼女をそう励ましてから、紙コップの冷えたコーヒーを啜った。
「あーあ、私も伊勢君くらい頭がよかったらなあ」
何気なく彼女が言った名前に、コーヒーを吹き出しそうになった。
聞きたくなかった名前だ。
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