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16 ウサギの家庭訪問 1
伊勢が両親と住んでいる自宅は、都会的な外観の大きな邸宅だ。
先日は玄関まで送っただけで分からなかったが、家の中は神経質なほど磨かれていて生活感がない。それは伊勢の部屋も同じだった。
(圧巻だな……)
広い間取りの壁際には本棚が幾つも配置され、スペースの上から下までテキストや参考書で埋まっている。あたりまえのように置いてある六法全書は、既に背表紙が擦れるほど読み込まれていた。
ウサギの私生活を知りたくて立ち寄ったが、これほど勉強熱心だとは思わなかった。室内には18歳の男子が普通に持っているようなゲーム機や趣味のグッズの類もない。
「先生、コーヒーでよかったですか?」
「あ、いや、おかまいなく」
電車に乗っている間に泣き止んだ伊勢が、キッチンから戻ってくる。
午後の早い時間の車内は混雑とは無縁だ。密着しなかったせいで、今回は伊勢は普通の乗客でいられた。
「インスタントですいません」
「ありがとう」
マグカップがふたつ、部屋の中央のテーブルに置かれる。満杯の本棚に圧倒されていた自分も、いい香りに惹かれてローソファに座った。
煎れたてのコーヒーを一口啜ると、伊勢が心配そうに見詰めてくる。
俺は好きなものに関しては拘りがないタイプだ。コーヒーでさえあれば、インスタントでも、ミルで挽いた豆でも気に入る。
「うまいよ」
「…よかった」
感想を言うと、安心したのか伊勢はにこりと笑った。
泣き顔よりその表情の方が、彼の幼い相貌を引き立たせる。
「本、すごい量だな。まるで要塞だ」
「おさがりがほとんどです。両親の」
「親御さんの仕事は?」
「国際弁護士です」
マグカップを両手で持つ様が、伊勢は男のくせによく似合う。
長めのシャツの袖もまだ子供といった風情で、この家で大事に育てられたことが垣間見える。
「伊勢も司法試験を受けるのか」
「はい。二人とも東大卒だし、僕も同じ道に進みたくて」
東大も司法試験も狭き門だが、伊勢の場合は合格する下地が既に整っているように思える。
学力といい両親の職業といい、障害になりそうなものは何もない。
「これだけ条件が揃ってるのに、どうして不合格だったんだ」
「え?」
「入試の時に体調を崩したりしたのか?」
伊勢が予備校に通うようになった経緯を、自分は知らない。
軽々しい好奇心では終わらせたくなかった。
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