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19 ウサギの家庭訪問 4
「お前はバカだ。大事な受験を棒に振って。親のために一年無駄にしたんだぞ」
伊勢の過去を聞いて、俺は同情しているのかもしれない。
このウサギは親のわがままの犠牲になったんだ、と、予備校の一講師が使命感に駆られただけかもしれない。
「何でそうやって笑ってられるんだ」
伊勢は確実に合格できたはずだ。
これまでの努力も時間もあっさりと捨ててしまえた彼に、敵わない芯の強さを感じる。
離婚を止めたことを伊勢は喜んでいる。でも同じように俺は喜んでやれない。彼の笑顔を見ているとやるせない。
「お前、もっと悪い子になれ」
「えっ?」
「もっと親を困らせてやったらいいんだ。徹夜で遊びに連れ回すか。合コンにでも誘ってやろうか」
「合コン?」
「女の子と付き合ったことはあるのか」
「ない…です」
「手を繋いだり、デートしたりは?」
「ううん…っ」
いい子でいなければならなかった伊勢。
彼のことがもどかしくて、反抗期さえ経てなさそうな頬をつねり、髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
「先生…、触らないで…」
「やかましい。おとなしく懐け。甘えろ」
「──僕…また…変になる…っ」
細い肩が震えている。伊勢の頬が赤らんでいる。
俺が触れるとウサギは感じる。性的な意味で、だ。
病気じみたそのことも、伊勢が抑圧された生き方をしてきた結果のように思えた。
「18歳ならもっと適当に遊べよ。だからこんな体をしてるんだ」
勉強しかしてこなかった伊勢は、何も知らない子供のまま体だけ成長してしまった。
親を思う純真な心と、過敏な肌が相反している。
「電車の中はつらかっただろう。ラッシュのたびに感じてたんだろ?」
びくっ、と伊勢は大きく震えた。潤んだ瞳で俺を見ている。
「お前のそれは、きっと受験ストレスの特異なケースだ」
「…違…う…っ」
伊勢はぽろぽろ泣いて、涙声で否定した。
「先生だから僕は…っ」
「たまたまあの日、俺がお前の近くにいたんだろ?」
「違います…。僕は先生にだけ……」
ただの偶然だ。同じ電車に乗り合わせただけだ。
予備校が違っていたら、伊勢を痴漢と誤解したまま、二度と会うこともなかったはずだ。
「ただのお前の思い込みだよ。伊勢、男のアレが何で屹つのか分かってるか?」
「…保健体育で習った…」
「アホか。男はな、相手が欲しくて屹つんだ」
「欲し…い?」
「ああ。意外とメンタルなもんなんだぞ。お前のはただの生理現象だ。好きだから男は欲情するんだよ」
「じゃあ僕、先生のことが好きなんだ」
「───はい?」
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