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20 ウサギの家庭訪問 5

 ぐすん、と伊勢は鼻を啜った。  ストップモーションした俺の眼前で、ウサギが涙を拭いている。 「先生のことが好きだから、僕、おかしくなるんだ」  話が間違った方向へ行っている。伊勢が熱っぽい目で俺を見詰めている。 (そうじゃない。──そうじゃないぞ!)  心の中で思いっきり打ち消して、伊勢のそばから離れる。  しかし俺がそうするよりも早く、伸びてきた彼の両手が、ぎゅ、と首にしがみついた。 「伊勢…っ?」 「やっと分かった…。僕…先生のことが好きだったんだ…」 「ちょっと待っ…、伊勢っ!」 「新垣先生──」  頬に伊勢のさらさらの髪を感じる。  泣いたばかりの火照った体温。無邪気な声で、ウサギは囁いている。 「先生…好き」  伊勢の両手の力は思いのほか強く、しっかりと首に巻きついていた。 (…待てよ…そりゃないだろ…っ)  俺は小動物を侮っていた。寓話に確か、神様のために火に身を投じたウサギの話があった。  伊勢は受験さえあっさりと蹴る度胸がある。男の胸に飛び込むぐらい、簡単にやってのけるのだ。 「先生が教えてくれたから、やっと分かった。僕は先生が好き」  うっとりとしたような伊勢の囁きが聞こえる。  離してくれそうもない彼に、俺はもう抵抗する力も気力も失せて、抱きつかれたままずるずるとローソファーの上に寝転がった。 「…伊勢、飽きたらどけよ」 「いや…っ。先生が甘えろって言った…」 「確かに言ったけど──」  俺の腹の上の体重は、全く重みを感じないほど軽い。本当にウサギを乗せている気分だ。 (そんなに軽々しく好き好き言うなよ。分かってないくせに)  伊勢の言うそれと、俺の思うそれはきっと一致していない。  しかし、講義のように理路整然と説明できる自信はなかった。 「お前は子供だから、ちょっと触れたくらいで屹ったんだ。……好きとかどうのとか、そんなの関係ないんだ」  伊勢の感情と同じくらい、自分の感情も把握し切れない。  ウサギの告白に嫌悪感のひとつも湧いてこない理由が、思い付かない。  ほう、と溜息のようなものを零して、伊勢は俺を見下ろした。 「ベッドみたい…。…広い胸」 「寝心地は保証しないぞ」 「……知ってるもん」  訳の分からないことを言って、彼は曖昧な微笑を零している。  頭上にある、前髪の垂れたウサギの顔を、俺は見ないふりした。

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