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第2話 本多になる

 病院から帰って『手続きが面倒くさい』としきりにため息をつく母に、慶介は『すいません、お願いします』と頭を下げた。  慶介は戸籍上『男性』から『両性』に変わるため裁判所に性別取り扱い変更の申し立てをしなければならない。  リーフレットに従い、第二性診断書を手に役所に行き戸籍謄本をもって簡易裁判所に申立書を提出して、審判日には裁判官と面接をした。  裁判所という馴染みのない言葉と場所に緊張していたが『この年齢で第2性の変更はとても戸惑いますよね。1週間以内には通知が行きますので』と、あっさりと終了した。  裁判所から出たところで『田村慶介さんですか?』と名指しで声をかけられた。警戒しながらうなずくと男は『初めまして。僕は、君の血縁上の父親です』と、言った。  母と男が話している。  2人の話が終わるまで俺は離れた席で、血縁上の父親を名乗る男の兄だというガタイの良いおじさんと秘書と名乗ったこちらもガタイの良い若い兄さんに逃げ道を塞がれる形で待つ事になった。  ガタイの良い2人は慶介に気を使って話題を振ってくれる様子がなく、圧迫感のある沈黙に耐えられなくなった慶介はごく自然な疑問を問いかけた。 「あの、本当に、あの人が血縁上の父親なんですか? どうやって調べたんですか?」 「・・・ベータ家庭でオメガがヒートになって困っている。という話を小耳に挟んで、ちょっと調べたところ、ウチの弟と愛人契約してた女と名前が一致したから確認しに来たんや。そやから、まだ、本当に血縁上の父親かは、わからん」  おじさんがそう言うと秘書の兄さんがA4サイズの大きな封筒を差し出した。中はDNA親子鑑定の検査キットだった。 「この親子鑑定は私的鑑定と言ってな、裁判所とかには使えんが、親子関係を知りたいだけなら手っ取り早く分かる。協力して貰えんやろか?」 「やってもいいですけど、親子鑑定してそれで何になるんです? 今さら、現れて、母と結婚でもするんですか?」 「どうするかは、今、話しおうとる」  しばらくして、男と母が戻ってきて、男が一言。 「養子のほうで」  その瞬間、母が視線を反らしたのがわかった。  慶介と男がDNAの検査キットを目の前でして封がされた。『投函するまで見届けますか?』と聞かれたが断った。信用しているのではなく、興味がなかった。『結果が出次第、再度お話し合いをしましょう』と言って別れた。  養子についての説明は誰もしてくれなかった。  性別変更の手続きが終わったら、次は障害者手帳の交付だ。  第2性がアルファとオメガの場合、準3級という障害者手帳が交付される。コレにより医療費が助成されて常用する抑制剤の自己負担額が500円で済む。さらに障害者手当が月額2250円貰えるので薬代は実質ゼロ円のようだ。ただ、医療費の助成対象はバース性に関わる薬だけで、風邪を引いた時などの診察を受ける診療費は普通の3割負担だ。  障害者手帳が貰えたので、オメガの薬を処方してもらうために第2性対応病院に予約の電話を入れた。同じ頃、DNA鑑定の結果が出たと連絡があったので、病院の後で待ち合わせることになった。  親子鑑定の結果は『肯定』だった。つまり、男は血縁上の父親と証明された。 「どう? ショック?」 「いや、子供のときに父とは血が繋がってないって分かってたから。そうなんだ~、くらいの感想、です」 「そうか。それで、この後の話なんだが、君を養子に迎えたいと思っている」 「そうですか」 「それだけ?」 「俺がなんか言って変わることがあるんですか?」 「あるよ。オメガとしての安全を確保しつつ、全て君の望み通り出来る。田村のまま、今まで通りを望むならそのようにしよう。車の送迎と、警護にアルファを3人ほどつければ、公立高校でも最低限安全に過ごせるだろう。だが、ウチに養子に来てくれるならより安全で快適な環境と生活を保証する。君はどうしたい?」  慶介はオメガと診断されたあと学校にそのことを報告した時の事を思い出した。  校長室に両親と共に呼び出されて『学校側としてはできる限りの配慮はするが、問題があったとき、適切に対処できるとは言えないし、何かあった場合の責任も自己責任になります』と、冷ややかな言い方をされた。  その場にいた校長だけではない、担任と副担任、保険医、他2名の教師たちの反応も固く冷たく、明らかに厄介事を忌避したいと表情に現れていた。  学校側にそのような言い方をされて、慶介は居場所がなくなった絶望感にのまれ何も言えなくなった。  慶介が父親と血が繋がっていないと判明したのは4歳のころ。  アレルギー検査の際、ついでで調べた血液型でO型同士の両親から産まれるはずのないB型と出たことにより母の托卵が発覚した。両親の関係は離婚寸前までこじれたが、母が2人目を妊娠中だったことから離婚は回避された。  それからの慶介は肩身の狭い思いを強いられた。表面上、父親は良き父であったが、当時妊娠していた妹やそのあとに産まれた弟のほうがかわいがられていた気がする。『お兄ちゃんなんだから下の子に譲ってやれ』と我慢を求められる事も多く、父方の祖父母が妹と弟を優遇する差別も、血が繋がっていないという言葉を理解できる年齢になってからは『仕方がない、彼らからすれば当然のことだ』と飲み込んできた。  母方の祖父母は娘である母親の所業を許さず出戻り禁止にされたこともあって、母は常に夫や義父母の機嫌取りをして、慶介の味方になってくれず、むしろ父親の寛大さに感謝しなさい。と言い聞かされた。  そのため、家庭環境が歪んでいた慶介の逃げ場は、友人たちと学校だけだった。  なのに、その学校から突き放され、友人たちとも距離を取らざるを得ないと直感的に感じていた。  友人たちを信じていない訳では無い。異性の間に友情は存在すると思う。でも、きっと、3ヶ月ごとに起こるヒートとか言うモノはオメガという異物を際立たせ、今まで通りの普通ではいられなくなると思った。学校から突き放され、友人たちからも突き放されることを想像すると、あまりに辛くて体が震えた。  もとより家に居場所はない。  学校にも居場所はなくなる。  友人たちとも・・・  ならば、逃げたい。 「俺、迷惑じゃない?」 「まさか。大歓迎だよ」  慶介の返事を受けて、男は話し合いをしたその足で父にも了承を取り付け、必要書類の記入まで行われた。父の様子を見るに、養子縁組の話は母から伝わっていたのだろう。  知らないのは本人だけ。父からすれば、元のあるべき鞘に納まった、といったところか。 ──なんだか、笑えてきちゃうな。  慶介が自身の境遇を自嘲するように微笑んだとき、ずっとこれから養父となる男と向き合っていた父親が慶介と向き合うために居住まいをただし、口を開いた。 「慶介、父さんはな、お前が憎いとか邪魔だとか思ったことは一度も無い。たとえ血が繋がってなくても俺の子供やと思ってきた。でも、オメガとなると事情が変わってくる。俺なりオメガについて調べたが、ベータ家庭で、ベータ社会で、オメガが1人生きてくつぅのは難しいなぁと思った。首輪着けて学校行けば変な目で見られるやろう。男やのに妊娠できる事を冷やかされたりせえへんやろうか、と。心配はキリがない。でも、そういう心配はバース性の子が通う私立の高校に行くだけで解決する。養子にやる必要なんかない。引っ越しすればええだけや。・・・・・・俺が、お前を養子に出そうと思ったのはな、ばあちゃんを止められんと思ったからや。おふくろは間違いなく、お前をけなす。オメガは厭らしいとか男のくせに妊娠できるなんて気持ちの悪いとか、絶対言いよる。それを止められへん。俺の前では言わんでも陰で絶対に言いよる。妹らにも吹き込むに違いない。──でもな、俺は一人っ子やから、老後の面倒見れるんは俺しかおらん。親子の縁は切れんのや。・・・すまん、慶介。不甲斐なくて・・・情けない父で、すまんかったな」  父が俺の苦しさを知っていてくれた事が、俺が今まで飲み込んで来た辛いものを解ってくれていたという事が、我慢という努力が認められた気がして、涙が出た。胸の奥の暗い感情が涙と一緒に溶けて流れていく感じがした。  オメガと判明してから2ヶ月、田村慶介は本多(ほんだ)家に養子に入り、本多慶介になった。 ***

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