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第12話 最後のプール
*酒田視点です
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「ウォーターパークに誘われたんだけど、行ってきてもいい?」
慶介の一言により、俺たちアルファによる緊急会議が開かれる。
本多さんは「駄目だ」と言った。水瀬、重岡、酒田もそれに同意する。
テーマパークならまだしもプールなどとんでもない。夏のイベント、海水浴、花火大会、夏祭り、とにかく人が多く集まる場所は、突発的ヒートの避難場所が確保できないのでオメガは行けない、というのは常識。
アルファほど敏感ではないがベータもオメガのフェロモンを感知できる。匂いに誘われたベータが集団で襲ってきたら、いくら警護が付いていても数の力には勝てない。
だが、信隆さんが「今回だけ」と許可を出した。
「慶介にとって『夏休み最後のプール』は10歳の頃から続く毎年恒例のイベントなんだそうだ。転校してもなお誘ってくれた。一緒に行くのは特に仲の良かった2人なんだ。と、慶介はとても喜んでいる。・・・ある日突然、オメガだと判明し、養子縁組や転校はコチラが押し進めた急な話で、しかも、あの母親は養子縁組の話を伝えていなかった。慶介は、心の準備をする時間もなく、ろくな別れの挨拶も出来なかったことだろう。・・・今回を最後にベータの友人たちとの関係を上手く断ち切って きて貰いたい」
と、信隆さんは言った。
慶介に詳細を聞くと、ウォーターパークに行く前日に車を出してくれる友人の家に泊まり、開園の30分前にはつくように早朝から出発するのだそうだ。
「今回も谷口の家に泊まるつもりだった」「酒田も来る? 人数追加してもらうわ」「谷口の父さん、観光バスの運転手だから、運転はまかせて! だぜ」など、とトンチンカンな事を言われて、オメガとしての自覚の無さに肩を落とした。
(防犯マニュアルを読んで、覚えた危機感はどこに行ったんだよっ・・・!)
同行する酒田と重岡は、起こり得るリスクとその対策のリストアップを始めるのであった。
「みんな~準備は出来てるか~?!」
「「おぉー!!!」」
「宿題は終わったか~?!」
「「イェー!!!」」
「よーし、しゅっぱ~つ!!」
谷口の父親は陽気な人のようだ。
人数は9人。谷口の両親と慶介の友人である谷口兄とその友達、谷口妹とその友達が1人、慶介の付き添いに酒田と重岡。
水着以外の用意は谷口家がしてくれたので、酒田たちは慶介の対策に集中出来た。
慶介は友人である谷口 と山口 の2人と本当に仲が良かったようだ。
屈託の無い笑顔、荒れた言葉遣い、時に手を出し合い、谷口妹たちに対する乱暴な物言い、それが許される気安い関係。これが慶介の本来の姿、だとするならば、本多の家ではだいぶ大人しい。
(まだ、1ヶ月の付き合いなら、当然か・・・。)
早速、問題発生。
「なぁ、やっぱ、外してぇんだけど・・・」
「それだけは絶対に駄目だ。外したら即刻帰るからな」
車の中ではスポーツフェイスマスクで隠していたので気にならなかったようだが、やはり水着になると気になるらしい。
当たり前だが、水着にネックガードはとても目立つ。なるべく隠せるようにフード付きラッシュガードを持ってきた。チャックを上まで上げてフードをかぶればネックガードは完全に見えないから。と言っても聞かない。
慶介には、友人たちにオメガであることを積極的に話さないこと。話した場合は口止めすること。を言い聞かせてある。
慶介が公立の学校にオメガである事を伝えてしまっているので、ベータから産まれたオメガという存在を完全に隠すことは出来ない。だが、それがどんな余波を生むかの予測が立たない以上、声高に話す内容ではない。
「絶対に知られてはならない、ってことじゃない。ネックガードのことを聞かれても、まぁちょっとな。とか言って濁せばいい。オメガのことを話してしまったとしても、重岡さんが最後に口止めしてくれるから大丈夫だ」
むくれた顔したって駄目だぞ、と睨みあう。
「田村ー! 先行くぞー!」
「ちょ、まっ! 集合場所も決めてないのに先行くなって! くそ、ふざけんなよ」
「うそうそ、キレんなや~。ガールズはまだやし~・・・それ、何?」
山口の視線がネックガードに向いた。
ラッシュガードを上まで閉めていても目につくか。
「あ、えと・・・、ちょっと・・・」
「ふーん、ま、いいや」
慶介は不安な顔から安堵の息を付いて、同じやり取りを谷口と谷口の妹ともした。
さすが毎年来ているだけあって、何時どきはアレが空いている、大波の時間だから行かなければ、あっちに行くなら流れるプールに乗って行こう、と女子と男子で分かれることもなく中々のチームワークで楽しんでいる。
山口と谷口がアクションを起こして盛り上がり、時々谷口妹にちょっかいを出して、男ならではのサービスもみせる。そのなかで慶介は5人のまとまりが崩れないような位置を取りつつ、ぶつかった客には謝り、ぶつかってきた客にはガンを飛ばし、保護者ポジションとでも言うのか、サポートポジションを楽々とこなしていた。
その事に酒田はなんとも言えない居心地の悪さというか違和感のようなものを感じていたが、5人で並ぶ光景を見た時その正体に気づいた。
(そうか、慶介の身長が高いからか・・・!)
違和感の正体は立場の逆転。酒田にとって慶介は『守るべきか弱いオメガ』だが、ベータ社会では180cm近い身長の慶介はベータの友人たちからも飛び抜けてデカい『大きい男』。ベータ社会のこの場では、威圧的で強い存在の慶介は彼らを守る側になる。
警護アルファとしての酒田としては落ち着かない状況だ。慶介は完全にベータ男性の感覚で友人達を見守る側の感覚になっているし、ベータの友人たちも守られて当然と思っている。そこに酒田が慶介を守るように割り込むのは慶介のきげんを損ねてしまう。そうなれば慶介が酒田の警護を拒否しかねない。それだけは避けるべきだ。
プールを堪能し体力が減ってきたところで、ウォータースライダーの長蛇の列に並ぶ。というのが彼らのパターンなのだそうだ。そうしてダベる時間も楽しい時間なのだという。
「暑うぅ~・・・」
「ほんま、マジヤバ。日ぃめっちゃ出てきたし」
最高のプール日和だ。と言っていた曇空が晴れて夏の太陽が顔をだし、キツイ日差しが肌を突き刺す。
油断していた女子たちはラッシュガードを持って来なかったのだ。
「日陰んとこ行くまで我慢しろ」
「おら、日陰つくったろ」
スライダーの浮き輪を持ち上げて日陰を作ってやる男たちだが、この浮き輪、案外重いのだ。長くは続かない。
「俺のラッシュガード使う?」
酒田は、言わせてしまった失敗に気づく。
この場にラッシュガードは、慶介と酒田が着ている2枚があった。
酒田は、女の子が日差しに弱った時、一瞬、自分のラッシュガードを渡そうかな? と考えてしまった。だが、2人に対して1枚ではかどがたつので止めとこう。とも思った。
この過程を慶介に悟られてしまった。
慶介にラッシュガードを着せておくためには、酒田は、頑として渡さない。忘れてきたお前たちが悪いのだ。と、そういう態度を取るべきだった。
「ええの? ありがとう」
言ってしまった言葉は取り消せない。
酒田もラッシュガードを脱いでもう一人に渡した。
「あっ、良いんですか? ありがとうございますっ」
晒されたネックガードは好奇心の目を集めはじめる。
しばらくすると「あの人、首になんかつけてる」「オメガじゃね?」「あれオメガなんだ」「え、男だよ?」とヒソヒソと声がする。ネックガードのことをスマホで検索すればオメガと言う答えにはすぐに辿り着く。
慶介の顔が次第に強張っていく。
不穏な動きを感じた酒田の体がとっさに動き、慶介の項を隠すように腕を広げ、悪意ある視線の方向を見た瞬間、怒鳴り声を上げていた。
「撮ってんじゃねぇッ!!」
向けられた声の先には、スマホを掲げる女がいた。警戒モードに入った酒田は周りの人間を威圧しながら睨みつける。怒鳴り声に反応しただけの様子を伺う野次馬の視線は集まるが、慶介を好奇な目で見ていた不躾な輩はバツが悪そうに視線を逸らす。
「たむくん、ごめん。返すよ」
「ううん、いいよ。着とき。熱中症なったら困るし」
「でも・・・」
「いいよ、大丈夫」
辛そうなのに無理して笑う慶介。
でも、その目がチラリと酒田を捉えると、頬がわずかに緩んだ。
胸にグッときた。
いや、正直に言うと股間にもクルものがあった。置き場のない手が泳ぎ、歯が疼く。
『照り付ける日差しで熱くなった体を引き寄せて、誰のものでもない証の上からで良いから噛ませて貰えないだろうか?』
などと妄想が炸裂した。
(もしかして、チャンスなのでは・・・?)
実は、気安い関係の山口と谷口が慶介の肩を組んだりする姿を、苦々しい気持ちで見守っていたのだ。オメガの項をそのような無作法な手で触れるな。首に腕をまわすなど羨ましすぎる、禿げろ。と。
だが今なら、酒田も腕を肩にまわしても不自然では無いのでは? 不躾な輩の視線とカメラから隠すため、やむを得ず、合理的、日陰に入るまでの時間だけでも・・・、理由のようなこじつけが次々浮かぶが、要するに、あの項に触れたいだけ。
酒田は自身の下心を認めたうえで、こっそり項を撫でてからしっかりと肩に腕をまわした。
(あ”あ”~、いい匂いがする~)
急に肩に腕を回してきて天を仰ぐ謎の行動をする酒田を、慶介は不思議そうに見ている事に気づく余裕はない。
「・・・酒田?」
「コレなら、ネックガードは目立たないだろ?」
酒田の太い腕でネックガードは目立たなくなったが、背の高い男が肩を組んでいる姿というのは、ベータ社会では同性愛的な悪い印象も含めて、それはそれで目立つ。どっちがマシかは微妙かもしれない。
「ふたりとも、こっち向いて~」
谷口妹の声に顔を上げるとカシャシャシャシャッと連続シャッター音がした。
「いい写真とれた~。全部送るね」
まだ周囲に残る微妙に悪い空気感のなか、慶介の友人たちが明るい声を作り、肩を組んでいろ。と協力する姿勢を見せた。
谷口妹の写真は2人の関係がそれが自然なのだ。と周りに説明するような効果があり、酒田が持っていたスライダーの浮き輪は山口が持ってくれた。
送られてきた写真は本当に連続分全部を送られてきたので笑ったし、その中の2枚は酒田にも送ってもらった。そのついでに慶介の写真アルバムを見せてもらい、アレコレと写真の説明をしてもらいながら列が進むのを待った。
ウォータースライダーを乗り倒して遊んだ後は、まったりと流れるプールに身を任せたり、急にクロールで競争したり、プール関係なくビーチボールでリフティング勝負をしたり、時間いっぱいまで遊び倒した。
帰りの車で子どもたちは全員爆睡だ。
酒田も眠くなるのを警護として必死に堪え、今日を振り返る。反省点はいくつもある、それについては本多さんに報告しながら指導を受けるつもりだ。
一番、気にしているのは信隆さんが言った「友人関係を断ち切る」が出来なかったことだ。
本当はベータに対して冷たい態度を取る予定だった。慶介はバース社会において貴重なオメガなのだからベータごときが軽々しく寄るな、と引き離す予定だった。の、だが出来なかった。
慶介があまりに楽しそうで、見たことのない表情ばかり見せるから、心を鬼にすることが出来なかった。
(信隆さんには、失望されるかな。)
帰路、自宅に到着したのは夏の空も真っ暗な夜の始まる時刻。寝て回復した子どもたちが腹減った~と、好き好きに言うのを聞きながら、酒田たちは大阪に帰るため、重岡の車に乗り換えた。
「楽しかったな!」「写真、共有アルバムに上げとくね」「慶介くん、向こうでも元気でね」「じゃあなー!」と、窓から乗り出し、手を振る彼らに慶介は「おぅ!」と、一言返すだけだった。
重岡の運転する帰り道の車の中は妙な静けさがあった。
「楽しかったか?」
「うん」
「たぶん遊べるのは最後だったんだぞ」
「うん」
「ちゃんと挨拶しなくて良かったのか?」
「うん」
車の窓ガラスに額を預けて、寝る姿勢になった慶介の表情が、写真で見た病院の待合で母親と並んで座っている時と同じ暗い顔になり、胸がズキリ傷んだ。
「・・・またな、って言わなかったから」
「そうか・・・」
夏休みは明後日に終わる。
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