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第14話 フェロモンアタック
『10月が誕生日でしたよね?』
「って、皆がなんでか聞いてくるんだ。なんでだろ?」
「それは──」
「誕生日パーティに招待されたいんですよ」
いつの間にか真後ろに立っていた木戸に飛び上がりそうになった。10cm下降方向から見上げられてたじろぐ。
「木戸・・・」
「で、パーティしないのか?」
「するわけ、ない。俺の 誕生日は外食してケーキ食べて・・・それだけだ」
いまだに思い出すと息苦しさを覚える。
田村の家で慶介の誕生日は祖父母がやってきて妹と弟ばかりを可愛がる苦しい時間だった。
外食先は弟のリクエストで決まり、ケーキは妹が選ぶ。誕生日プレゼントは慶介の誕生日なのに妹と弟におもちゃが買い与えられ「一緒にあそんだってや」と言われる。本当はずっとゲーム機が欲しかったけど、ついぞ買ってもらえなかった。
本多の家に引っ越した日、酒田がゲーム機を持ち込んでいるのを見て「俺にもやらせて」と頼んだら、2日後には慶介のゲーム機とデカいテレビが用意され、困惑と喜びで涙が出そうになった。
木戸は慶介の暗い表情に気づきはしたが、その理由までは想像が付かないようで追求する言葉を出すかどうか迷っている。ベータ社会で育ってきたという事情を知っていても、田村家の家庭事情までは知らない。蝶よ花よと育てられたオメガしか知らない木戸には予想するこはできないだろう。
突然、酒田に頭を撫でられた。
事情を察している酒田は寂しげな微笑みをうかべ、そっと何度も頭を撫でられる感覚がじわりじわりと胸に染み込んできて、悲しかった頃の記憶が慰められていく。たぶん、この先、誕生日を迎えるたびにこのやり取りを思い出すのだろう。と思った。
嬉し恥ずかしで、照れくさくなって「やめろ」と腕を払ったら、余計にガシガシと髪を撫でくり回して来て「髪ぐちゃぐちゃ」と酒田が笑った。「この野郎ぉ!」って、やり返すんだけど、酒田の髪は元より短髪だからダメージが少ない。「くそ、鏡持ってろ!」と髪を直した。
こういうやり取り、久しぶりで楽しい。
「あぁ、木戸。悪いが、慶介はパーティにも見合いにも出す気はないから」
この発言から、酒田への当たりがキツくなった。慶介が気に入っている気安い関係は傍から見ると近すぎる関係に見えるらしい。
補佐で警護の酒田は本来、オメガに対して一定の距離感を保ち、接触は必要最低限に留めなければならないところを、8月のプール以降、山口や谷口たちとしていたような遠慮のない関わり合い方を取り入れてくれている。
補佐や警護がオメガと恋仲になるのは、禁忌とはいわないが、卑怯・姑息・狡いと、唾棄される行為として嫌われている。「惚れたならお役目を返上してから口説き直せ」というのが他のアルファからの主張だ。
酒田は他のアルファから顰蹙 を買うと分かっていてもそういう態度を続けてくれる。
だから、慶介が見えない範囲には行かない酒田が「警護としてわきまえろ」と、言われているのが聞こえてくると申し訳ない気持ちになる。
「俺は嬉しいけど、酒田は辛くねぇのかな?」
「それも警護だ」
景明に相談してみたが、景明は一言そう言って、ニヤニヤと笑うだけ。
今のところ、気安いやりとりは『特別に信頼している酒田』だから許しているのだ。と他のアルファが真似してきても拒否するようにしている。
木戸にした誕生日パーティをしないという話はすぐ広まった。見合いにも出さないなど、やっぱり秘密の婚約者がいるのではないか? と聞かれるのだが「君たちはどうして『結婚する気がない』という結論に至ってくれないのだろうか」と慶介は思う。
誕生日パーティもお見合いもしないと知ったアルファからのお茶会は、ますますお見合い感が増した。
「週末は何してるの?」
「買い物、とか」
「旅行とかいかないの?」
「あんまり。興味ないわ」
先週の週末は重岡さんと大型スーパーに食料品の買い出しに行ったし間違ってはいない。でも、引きこもってばかりいるのも間違いない。・・・本当は、みんなでカラオケとかがしたい。誰かの家に行ってただ喋るだけでも楽しい。でも、そういう友達はできそうな感じがしない。どのアルファも、二人にこだわる。
「本当に婚約者は居ないんだよね? じゃあ、俺がちょっと粉かけても怒られたりしない?」
「粉?」
ほとんどお見合いみたいなものを今現在しているのに、粉をかけるとはどういう事なんだろうか? デートに誘われているのか? たまには、映画見てゲーセンでも行ってその辺プラプラ歩く。くらいはしたいと思うが、コイツと行きたいとは思わないな。と思った。
「じゃあ、ちょっとだけ」
距離を詰めてきたので、また、手にキスかと思って、手を差し出したら、男が、ねっとりとした視線と空気を出しながらキスをした。その手に僅かな湿り気を感じてゾッとする。
(うわっ、コイツ、舐めやがったっ!)
ひぃっと息を吸い込んだ瞬間、心臓が跳ねた。
体が強張り、頭に血が上り顔が熱い。めまいがして座っているのに倒れた。陸上の800mレースを走り終えた時のように、心臓が激しく脈打ち、酸欠でもないのに息が苦しい。
周りがザワついている。座っていたはずの椅子は手が届かないところまで飛び、チャックを閉めていなかったカバンからノートや教科書が飛び出て散らばっていた。
震える手で、飛び出しそうな心臓を上から押さえ、冷静さを取り戻さなくてはと、必死に息を吐くことに集中した。
「大丈夫かい? 一緒に保健室に行こう」
ソッと撫でられた肩から、電気が走った。心臓がぎゅぅと引き絞られ指先までジンと痺れ、力が抜けた。
世界が、閉じていく。
このアルファの纏う『何か』に閉じ込められてしまう。
このアルファから逃げなければ。
心配そうな顔をしているがコイツは敵だ。
見ろ、口元がニタリと笑っている。
どこかに連れ込んで犯行に及ぶつもりだ。
絶対そうだっ!
「・・・寄るなっ・・・!!」
アルファの手を力いっぱい弾き返す。足をもつれさせながら距離をとる。しかし、アルファが「落ち着いて」と、なお迫ってくる。
周りに味方は、いない。
「・・・寄るな、触るな、ち、近づくなッ! ・・・はぁ、
はぁ、はぁ。・・・さかた・・・酒田、どこ・・・? ・・・はぁ、はぁ、・・・酒田ぁ・・・」
**
連絡をもらった酒田は、柔道着のまま部活を切り上げて保健室に走った。
「酒田、こっちだ! 保健室じゃない!」
どういう事だ? と聞けば、お茶会の相手のアルファが誘引フェロモンをちょっと使ったのだという。すると、慶介が倒れ様子がおかしくなった、と。とにかく、触るな! と抵抗するので保健室に連れていけなかったのだ。と道中説明してくれた。
廊下に人集りができていた。慶介は崩れ落ち、胸に指を食い込ませ、肩で息をついている。壁にかけた手が立ち上がる意志を残していると主張しているように見えた。
「慶介っ・・・」
肩にかけた酒田の手が即座に叩き返された。慶介は項垂れた頭をフルフルと振って拒否を示している。驚いて周りを見たら、隣りにいた教員が「さっきからこの調子で・・・」とため息をついた。
幸いにも誘引フェロモンに対してオメガの誘惑フェロモンを返していないので、緊急抑制剤も打たず、無理やり運びもせずに声掛けだけで移動していたという。
パニック状態で周りが見えていないのだろう。少し距離をとった位置でしゃがみ、声をかけた。「大丈夫か?」「俺が分かるか?」と、言葉を投げかけ、慶介が警戒を解いた言葉は・・・
「家 に帰ろう」
慶介は他人に体をさわれれるのを強く拒絶し、おんぶで運ぶどころか肩を借りることすら嫌がった。立っているのがやっとという慶介は酒田の説得で酒田の肩に手をかけることを受け入れ、自力で歩いた。
迎えの車を待つロータリーまで来て、付き添っていた教員や慶介のカバンを持ってきてくれた他のアルファがいなくなって初めて、慶介はヘタり込んだ。はっ、はっと苦しげに息を吐きながら、地面のブロックタイルに額を擦り付けるので、酒田は着替えを適当にぶち込んで膨らませた酒田のカバンを抱えこませた。
先程、重岡さんと本多さんにはトラブル発生とだけ連絡を入れた。重岡からは「すぐ行く」と返信があり、本多さんには詳細をメールした。「一旦、仕事を抜けて家に帰る」と返信が来たところで張り詰めた緊張の糸を緩ませると、隣からスン・・・スン・・・と鼻をすするような音が聞こえてきたた。
隣に目をやれば、慶介が、こてん、とカバンに頭を預け、ぼんやりとした目を涙で潤ませ、スンと鼻をすすり匂いを嗅いでいた。
匂いを嗅ぐたびに瞳孔が開いて、焦点が合ってくると、またスンと鼻を鳴らしている様子の、あまりの可愛さに息を忘れた。
(・・・慶介が俺のフェロモンを嗅いでる・・・?)
眼の前の光景にあらぬ場所が反応しかけるのを心頭滅却と唱えて耐え、釘付けになった視線は首を捻じ曲げる勢いで無理やり逸した。
***
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