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第15話 アタックの影響

 夢見心地とでも言うのだろうか。  昨日のことは、ぼんやりとしか覚えていない。  それも夢は夢でも悪夢の方だった。  頭が真っ暗になって、自分が小さな存在になって、巨大な白い誰かの手が捕まえようと伸びてくる悪夢。  あの手に捕まれば終わりだと分かっているのに、逃げるという発想すらなく震えて縮こまるだけしか出来なくて、情けない小さくなった自分を「俺は179cmもある長身なんだぞ。そのへんの大抵の奴は俺よりも小さいんだ。俺が小さいはずが無い」と叱咤し、巨大な手と戦っていたような気がする。  酒田の声で夢から覚めた後も、腹の底に残った恐怖が今にも溢れてきそうで、再び真っ暗闇に飲み込まれるのではないかと怖かった。恐怖の感情に飲まれていた時に、酒田がくれたカバンからは『家』の匂いがして、此処にいれば大丈夫だって、なんだかそう思えた。 * 「フェロモン過剰反応ですね」  医者が言った。 「小さい子どもとか、多感な中学生なんかにも起こります。フェロモンに脳が過剰に反応してしまう症状なんですよ。一時的なものだと良いんですけどね。一旦、強いお薬を出しましょう。1日3回、朝昼晩、この晩の分を抜いて、まずは家族のフェロモンから慣らしてください。症状が出ないようなら元の薬に戻して、また様子を見ましょう」  慶介はフェロモンの存在を知ってしまった。  食べ物や芳香剤の匂いとは別の感覚。肌が感じるというのか、脳が反応するというのか、第六感のような漠然と嗅覚とは違う感覚を使っているような気がする。かと思えば服の匂いを鼻で嗅ぐとフェロモンを強く感じるので、やはり嗅覚なのか?? と頭を捻る。  学校は酷い匂いで充満していた。香水や石鹸売り場のような色んな匂いが混ざった中に、フードコートの何の食べ物かわからないけどとりあえず食べ物の匂いって感じがごちゃまぜにされた、まるで生ゴミとまでは言わないがそういう酷い匂い。  薬の副作用のせいか、フェロモンに酔っているのか、またはその両方なのかは分からないが常に胃がムカムカとして吐き気がするなか、酒田の匂いだけが救いだった。故に『アウトなの分かってるけど許して。』と、酒田の腹に抱きつき匂いを吸った。抱きついてくる慶介に酒田がアワアワとし、「ハンカチにしろ」とか「せめて腕で頼む」とか言ってたけど、腹が良かった。へその辺りが一番いい匂いがする気がする。  酒田が周りに「ちがう、強い薬飲んだから、調子が悪いんだ。そういうのじゃないからっ」と必死に言い訳しているのを、申し訳なくもちょっと楽しい気持ちで聞いていた。  夕食後は薬を抜いてフェロモンの慣らしをした。  初日は、ぽや~っとして足腰ふにゃふにゃになり、人生初のお姫様抱っこで景明に軽々と運ばれ、2日目はドキドキが止まらなくて皮膚がピリピリとした。4日目くらいにフェロモンの嗅ぎ分けができるくらいに落ち着いて、1週間も経てば、あれは何だったんだろう? と思うくらいにフェロモンに慣れきった。  もう大丈夫~と慢心した慶介に「威圧受けてみるか?」と、景明が言い、威圧フェロモンを当てられた慶介は腰を抜かしてガクブルと震えた。  こちらも慣れが必要ということで、水瀬から威圧フェロモンを、景明からは誘引フェロモンを受ける慣らしをした。  水瀬の威圧は怖い怖い。一緒に受けた酒田も「まるで殺気のよう」と評した。  ちなみに酒田は威圧が下手なんだそうだ。  誘引フェロモンは景明と2人だけで練習した。  ヒートの初期症状、発熱と発汗を引っ張り出されるような感覚がして、拒絶の意志を持つと案外耐えられた。楽観視する慶介に景明は「血が近いと影響を受けにくいし、本人の好意によって大きく変わるから油断するな」と言った。  フェロモン過剰反応は一過性のもので済み、日常を取り戻したのは制服の衣替えも終わる頃だった。  ある夜、慶介が「歯磨きするの忘れてた」と、風呂場に戻ると、酒田が洗濯物の臭いを嗅いでいた。  慶介は「筋トレした後なんだから俺のシャツは汗臭いぞ?」と思いながら眺めていたら、酒田は臭いを嗅いでいたシャツを小さく畳んでジャージのポケットに入れてしまった。  振り向いた酒田と目があって、 「何してんの?」  と、聞くと、酒田の顔が真っ赤になってしどろもどろになった。  焦って言いどもる酒田と首を傾げる慶介。  何かを察知して様子を見に来た水瀬を見た酒田が顔面蒼白になり、慶介はますますワケが分からない。水瀬にも何を説明したら良いのやら・・・。 「はいアウト~」  水瀬はベシィッと酒田の頭をしばいて、慶介にはシッシッと手を払って追いやった。  追い払われた慶介は部屋に戻ったふりをして忍び足で後戻り。  好奇心と心配の間のような感覚。どうしても気になるのだと、自分に言い聞かせて声が聞こえる範囲でこっそりと盗み聞く事にした。 「警護対象をオカズにするのは警護としてはアカンやつやで」 「はい・・・」 「ただまぁ、・・・同居という特殊な環境を考慮すれば、こっそりするくらいは許される。けど、・・・服を持っていくのは駄目でしょ」 「・・・はい」 「──反省文な。あと、本多さんと面談の上、カウンセリングを受けるように」 「・・・はい・・・」  意味をやっと理解した慶介は、人のオナニーを見てしまった心地になって赤面した。盗み聞きがバレたらなおマズイ! と、慌てて自室に逃げた。 (忘れよう。そうしよう。無かったことに、見なかった事にしよう。何も、何事もなかった。何事もなかったかのように、明日からも、普通に過ごすのだ。さ、もう寝よう。寝れば忘れる。)  布団を被って言い聞かせる。  胸がドキドキする。  布団の中は慶介の匂いしかしないはずなのに、酒田の匂いがする気がした。 ***

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