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第16話 黒のインナー
教室はにわかに活気づいている。
というのも、1ヶ月後に学園グループの高校4校が合同で行う学校行事『大文化祭』があるのだ。
ホールと会場を借りて約2500人の生徒が集まる一大イベント。
3年生は出し物、2年生は展示、1年生は発表と決まっている。
出し物とはすなわち演劇と演奏だ。
クラス関係なくやりたい人ができると言われているが、演劇部と軽音楽部の部活動の発表の場と化している。クラス分けの段階で考慮されて振り分けられているので、大阪校では毎年、1組の演劇部と2組の軽音楽部がやることになっている。
ステージに出ない残りのクラスは映像作品を作る。
展示とは模擬店だ。
食べ物屋台も物販も希望を出せば何でもできる。2年生に上がった4月の段階で文化祭委員会が立ち上がり、計画を練り、夏休みに入ると本格的な準備を始める。生徒と保護者の最低でも5000人以上集まるので模擬店は大忙しだ。
発表とはコスプレだ。
クラス全員で揃いの服を来て文化祭を賑やかす。審査員と入場者の投票で点数がつき、受賞クラスは表彰される。
今年の衣装テーマは「跳ねる」
跳ねると言えば「兎」ということで兎モチーフが多い中、ウチのクラスは「跳ねると言えば魚だろ!」と言い出したやつのせいで、人魚と半魚人をモチーフにしたデザインらしい。
すでに6月くらいにはデザイン案が決まっていて、服飾デザイン系に進学した卒業生の力を借りて、デザイン画が型紙に起こされ、布の選定がされ、プリントまで施された布が届き、本格的な文化祭準備期間にはいるとミシンで縫ったり小物作りがスタートする。衣装担当以外は、写真を撮る背景のセット作りをする。
慶介は背景セット担当になった。ミシンが出来ないからとかではなく、作業が佳境に入る頃、ヒートがかぶるので重要担当からは外された。
ピルの残量を見て、ヒート予測2日前くらいから休む慶介は、7日間きっちり籠もるので9日間休むことになる。「文化祭とかぶらなくて良かった」と、つぶやいたら「その場合はピルでずらせるから休むオメガは少ない」と言われ、薬は偉大だなぁ。と思った。
ヒートの事前準備は酒田がしたが、サポートを理由に学校を休めない。ヒートのサポートを理由に休めるのは婚約者と親族に類する者だけなのだ。そもそも、同居していることを隠している酒田は学校に行かねばならない。
寝巻きのジャージで酒田の自転車通学を見送ると暇になる。シェルターに持ち込みにくい重岡のマンガを読んで時間を潰す。前回と同じなら今日の昼過ぎ以降になるだろうと予測しているのだが・・・
「そういや、重岡さん、起きてこないな」
いつもは慶介の送迎のために叩き起こされるが、今日は送迎が無いので誰も起こしていない。フリーのプログラマとは言え夏休み中は決まった時間に仕事部屋に入っていた。
「重岡さーん! 今日は仕事、休みですかー? もう10時ですよー!」
重岡の部屋をノックしながら呼びかけた。
ゴン、ガタ、ガチャン、と物音がして、ドアがバンッと開いた。
「すみませんっ・・・今、起きました・・・! 何かトラブルありましたか・・・?!」
「いえ、トラブルは、無いですけど」
「はぁ~、良かったぁ。家に僕一人なのに、スタンバってなくてすいません」
「トラブルは、重岡さんの寝坊、なのでは?」
「ああぁ、それは・・・大したことでは無いので。──はぁ、着替えたら仕事部屋にいるので、えっと、シェルターに籠もるのでしたら一声かけてください」
バタバタと準備をする重岡に慶介が声をかけた。
「暇なんで、家事してもいいですか?」
「放っといていいですけど? やりたかったら、どうぞ」
皆の出勤後、洗濯と朝ごはんの食器がそのまま放置されているのを片付けるのは本来、重岡の担当。
家事をすると言ったが、食器は食洗機に放り込みスイッチを入れるだけ。洗濯物は色物を分けたり素材別に避けたりすることもなく、ぜーんぶ、洗濯機に入れてしまえば洗濯から乾燥までスイッチひとつだ。ただ、人数が多いので2回に分けなければ入り切らない。
「適当に2等分に分けてー・・・量は8割程度に留めるっと、おまかせ、自動、乾燥まで、確認よしっ! ポチッとな~。もはや洗濯物の面倒なところは畳みだけだな」
残りの1回分の洗濯物は、昼飯の後に重岡がやってくれるだろう。その頃には慶介もヒートが始まっているかも知れない。
ふと、見下ろした洗濯かごに酒田のシャツを見つけた。
酒田の筋肉は、鍛えた筋肉にちょっと脂肪が乗っているので、黒のピチッとしたハイネックのスポーツインナーを着るとその脂肪が隠れてよく似合う。水瀬は体脂肪率低そうなカチカチの筋肉なのでそのままのほうが、すげぇ、ってなる。景明が一番、筋力がすごいのだが、お相撲さん方向なので筋肉も脂肪もあって総合評価はデカっ! って感じ。ちなみに、3人に比べると慶介はヒョロヒョロだけど、真面目に部活動に励んでいたし毎日筋トレをしているので一般的には細マッチョに分類される。
酒田のシャツを拾い上げると、フワッと酒田のフェロモンを感じた。
少し前にここで起きた事を思い出した。あの時、あの瞬間は、恥ずかしさでいっぱいだったけど、冷静になって考えると、慶介にも反省すべきところがある。
慶介はオメガの自覚が弱いのだ。第1性が同じ男でも、第2性はオメガとアルファで異性なのに、それをすぐに忘れる。
トラブルがあり、薬で弱っていたとはいえ、慶介は酒田の腹の匂いを存分に吸った。慶介だって女の子からそんな事されたら「俺に気があるのかな」とちょっと大胆な行動に出たりすると思う。
だからって、服を盗んで良いわけではないけれど・・・。
(酒田のフェロモン・・・)
じわじわと身の内に好奇心が沸いてくる。
天使と悪魔が囁いている。
慶介は、重岡に「少し早いがシェルターに入るので昼ごはんは要らない」とメールをした。
シェルターの、ガチャ、ウィーンという物理ロックと遠隔ロックの音がやけに大きく聞こえた。
ここを閉めたら7日間は出てはならない。途中で出るとトラブル発生として景明たち全員に通知が飛ぶ事になっているからだ。
(もう、戻しに行けない・・・)
慶介は悪魔の囁きに乗ってしまった。酒田と同じ罪を、いや、もしかしたら未遂だったかも知れない他人の服を盗むという罪を慶介はやってしまった。
じわりと汗ばむ手が握った、黒のインナー。
オメガは番や好きな人の匂いがするものを集めて「オメガの巣作り」というものをする。と本に書いてあった。読まされた少女漫画には、アルファから匂いの付いたハンカチを貰ってヒートが起こる表現があった。
フェロモンを感じる感覚が性的興奮にどう影響をするのか知りたかった。
・・・嘘。
嘘です。
本当は、好奇心に勝てなかっただけです。
あの酒田が盗みをするほどのフェロモンオナニーが、いかほどのものかと興味が押さえられませんでした。
「・・・やっぱ、止めとこ?」
天使の囁きを口に出して、悪魔の誘惑を追い払う。
今なら引き返せる。
盗みはしたが使わなければ、未遂と言えるだろう。俺の洗濯済みのカゴに混ざってたわ~とか言って誤魔化せる。
酒田みたいに丁寧に、小さく、小さく折りたたみ、洗面所の角に置いた。
俺と酒田の健全な友人関係のためにも。
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