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第27話 運命の出会い・R
季節は春。カレンダーは4月。慶介は進級して2年になった。ドキドキのクラス分けも、この学校では希望調査票という予定調和があるので心配のドキドキは無い。
「ホントに希望が通るんだなぁ」
「・・・あぁ。・・・そうだな」
慶介の希望調査票には酒田と木戸、野本の名前を書いた。でも、必ず希望が通る訳では無い。
この調査票でクラス分けを決めるのは風紀委員なので、バカ正直に希望だけを書くと人間関係がバレてしまう。酒田は慶介と接点が無いはずの福富を入れたいために10人も書いてごまかした。だから、酒田の希望は慶介と福富、酒田の補佐仲間の友人、この3人しか通っていない。
始業式では校長の挨拶は短いが、警察からの注意喚起やガイダンスは多い。そのための資料ファイルが圧縮ファイルで昨日のうちに送られてきたくらいだ。
新しいクラスごとに整列すると、空いていた前列に教師の誘導でズラズラ~と生徒が並んだ。この後、顔見せのために挨拶をする風紀委員たちは教師陣と同じ側面に並んでいるので、それとは別物だろう。
「あの前の列、何の列?」
「姉妹校からの転校生だ。婚約したからオメガのいる方に転校してきたとか、そういうの」
細かい話をすると、中学から高校に進学する際、婚約者探しのために最も生徒数の多い東京校を進学先に選ぶ人が多いそうだ。おかげで東京校はますます人数が増えていく。その反対に大阪校を進学先に選ぶやつもいる。それがオメガだったりすると、警護や補佐についていたアルファも一緒に移動することがある。
あの転校生の列の中には姉妹校から引っ越して大阪に来た新入生のオメガの補佐たちも含まれるので4月の転校生は特に多い。とのこと。
新しい先生の紹介と、風紀委員長の挨拶があり、風紀員から今年の転校生の紹介が始まった。
「────。以上、3年の転校生は8名です。着席ください。次に2年の転校生、起立!」
12名の生徒が立ち上がり後ろを向く。
その瞬間、ゾゾゾっと寒気 が走った。
大げさなくらい体が震えて『寒ッ!』と口に出た。いや、しかし、体育館は『底冷えするから上着とマフラーを持ち込んでも良い』と言われることのある公立の中学校とは雲泥の差と言えるくらいに十分に暖かい。それが設備のおかげか、準備が良いからなのかは知らないが、慶介だってついさっきまで寒気を感じる要素はどこにもなかった。
酒田がポカンとした顔をしている。
慶介もポカンとしたいのだが、現に今も震えが止まらない。腰から肩、腕にかけて『冷え』を感じる。酒田に擦ってもらうと暖かさがしみる。
「風邪? え? でも、急に? 訳わからん・・・」
「様子がおかしいから保健室につれていく。ガイダンスの内容に特記事項があったら教えてくれ」
酒田が補佐仲間に声をかけ、列を離れようと中腰になったところで前方から視線を感じた。
皆が体育座りやあぐらで座っている中、立ち上がれば注目を受けるのは当然だが、その視線はチリッと焼ける様な熱を感じて視線の先の人物と目があった。
「──、永井大征 、──、」
顔に熱が集まり、汗が吹き出し、心臓がバクバクと跳ねて、めまいでふらついた。
まるでヒートの前兆だ。
酒田の手を借りて列を離れ、壁に手をついた。めまいと動悸が落ち着くのを待っていると、周りの教員たちがバタバタと動きはじめ『マズイぞ』との誰かの声が聞こえた。
バサっと頭から上着を被せられ、視界は真っ暗になり抱え込まれる。これは、何かから守ろうとする酒田の動きだ。
以前は雑に、二の腕掴んでグイッで引きずられたが、今は手のひらで軽く押すように誘導される。それがかったるくて、酒田に直接聞こうと被せられた上着を剥ぎ取ったら、さっきの男がすぐそこにいた。
──ながい、たいせい・・・
そして体に走る寒気、いや、これは歓喜の震え。
体の奥から熱い血潮が噴き上がり、激しい情欲が高ぶり暴れる。閉じていた蕾が一気に花開き咲き誇り、花の甘い匂いが鼻を抜けて脳を桃色の一色に染め上げた。
慶介の世界が閉じられていく。視界は舞い上がる花吹雪に埋め尽くされて、胸の鼓動だけが耳に響き、目に映るのはあの男だけ。
手を伸ばせ、あれを得ろ。
項を差し出せ。
早くしなければ奪われる。
あれ以外のモノは要らない。
全てを捨てろ。
今ここで決めるのだ。
逃してはならない。
惹きつけ続けるのだ。
お前に必要なのはあの男だけ。
頭の中に現れたもう一人の自分が命令してくる。それが何なのかを理解する理性が今の慶介にはない。もう一人の自分が慶介の体から大量の誘惑フェロモンを放つ。
これで、もう安心だ。
(・・・あんしん・・・?)
慶介はその認識に疑問を覚える。安心とはこの様なものだっただろうか。安心とは、もっと穏やかで、寂しさも不安もなく、誰かがいて、それが慶介を害することはない、心が安らぐ場所のことではなかったか?
わずかに生まれた疑念の隙間から、甘い花の匂いの中に、僅かな青臭い葉の匂いがした。
匂いを辿るように振り向けば、そこにいるのは慶介の警護。
「──さかた・・・、酒田ぁ、おれ、からだ、おかしい・・・」
「大丈夫だ、保健室行こう。抑制剤飲めば落ち着くから」
慶介が差し出された手をとると、強烈な威圧が放たれ、その場を支配する。
「それは、俺の番だ」
その声と威圧で酒田の手がカタカタと震え、慶介は花が狂い咲く甘いフェロモンの世界に引き戻されてしまった。
威圧だと言うのに感じるのは恐怖ではなく快感。心臓が絞られ、ビリビリッと電撃のような痺れが全身を走り抜ける。腰が抜けてべシャリと床に崩れ落ち、甘い痺れの余韻に吐息がこぼれた。
『お前のモノにならなくて良いのか?』とフェロモンが問うてくる。
欲しい。
甘いそれは自分のモノだ。
誰にも取られてはならない。
慶介は思考する理性を失った。
その甘さにどっぷりと浸れればどれほどの快感が得られるかと思えば、体が熱くなり、甘い匂いに腹の奥がキュウと絞られアソコがピクンと反応した。
ソコに意識がいくと慶介は、ここがどこかも忘れてカリカリと服の上から刺激し、声に至らぬ息を漏らし、性欲が求めるままに甘いフェロモンでオナニーを始めてしまう。
唐突に両手を掴み上げられた。
刺激がなくなったアソコが淋しいと訴え、ジワリと後ろが濡れた。ヒクリヒクリと収縮を繰り返す、その場所に意識が移ると切なさでたまらなくなる。膝をすり合わせ、大殿筋に力を入れて腰を揺らす、でも、体をよじるだけでは得られない直接的な強い刺激が中に 欲しくて、掴み上げられた両手を引き戻そうとするが、非情な妨害者の手は力強い。
手を離してと解放を訴えようと顔を上げ、妨害者が酒田だと気づいた慶介の顔から、サーっと血の気が引いた。
──一体、自分は、何をして・・・?
ハッと、後ずさり壁に背を打ち付けた。
酒田は眉を下げ、口角をちょっとだけ上げて、いつもの笑みで『大丈夫だ』と言い、落ちた上着を渡してくれた。
その上着からフワリと酒田のフェロモンがして焦る気持ちが落ち着いていく。
周りに視線をやると、慶介を狂わせた問いかけの威圧は消えていた。
人垣の向こう側で誰かが複数人に抑え込まれている。確かめようと覗き込むと、眼の前に保険医が割り込んできて、明るいオレンジの太めのペンを見せられた。
保険医は『今から緊急抑制剤を打ちますね』と慶介の服を引っ張り出して腹部にアルコール消毒をした。慶介の記憶の中の緊急抑制剤は『足にぶっ刺す物だった気がするのだが?』と言いたい気持ちを抑えながら、ずり落ちないように服を持ち上げ、保険医の指が腹の肉を少しつまんで注射器を刺すのをぼんやりと見ていた。
カチッ、カチッと小さな音がして、皆が安堵の息をついた。
初めての緊急抑制剤は、副作用もなく急速に効果を発揮する。
火照る熱はスーッと下がり、静かな部屋で1人で過ごしている様なリラックスした気持ちになった。それでいて、頭は意識が集中しきれない寝不足のようなぼんやりした感覚がする。保健室のベッドに横になると自然と眠ってしまった。
目が覚めた時には1時間ほど経っていた。
保険医は先程の、慶介の身に起きた事を説明してくれた。
あれは『発情』という状態で、発熱、発汗、強い性的興奮、誘惑フェロモンが出る。『発情期』と違って数分から数時間で収まるので、呼び分けとして『疑似ヒート』と呼ばれているそうだ。疑似ヒートが起こるキッカケは本人の体調不良やストレス、一番多いのは誘引フェロモン。
慶介の疑似ヒートは体育館にいた転校生の『永井』が原因だと思われる、と保険医は言う。
「誘引フェロモンも使わずに緊急抑制剤が必要になる発情を引き起こせたんですもの。あなたと転校生の彼はとてもフェロモンの相性が良いのでしょうね。惹かれ合う『運命の番』ということも──」
言葉を遮るように保健室のドアがやや乱暴にノックされ、返事するより早く『失礼します』と酒田が入ってきた。バサバサっと2人分の荷物が布団に投げ出されて、酒田が慶介の前にひざまずく。
真剣で深刻な面持ちで『大丈夫か?』と聞いてくるので『なんとも無い』と返した。
「今日はもう早退の手続きをしたから、重岡さんが迎えに来たら帰るぞ」
「え、授業はないし、今日は午前までだろ? あと1時間くらいなら大丈夫じゃ・・・」
「駄目だ。本多さんたちにも報告するが、慶介が疑似ヒートになった原因の永井は俺たちと同じクラスなんだ。顔を合わせたらまた疑似ヒートになるかも知れない。緊急抑制剤は日に3度まで打てるけど、打たずに済むならその方が良い。今日のところは帰って、対策を考えないと」
その日、景明は早退で帰ってきたし、信隆は定時ダッシュをかましたであろう早い時間に帰宅した。そして帰ってきた途端、威圧を放ち、慶介に『部屋に籠もってなさい』と命令した。
慶介の対策会議は慶介抜きで行われた。
終わった後、説明に来た酒田が最初に言った言葉は『信隆さん、威圧出しっぱで怖かった』だった。
「フェロモンマッチングの疑似ヒートはファーストインパクトが最も強い。2回目以降は症状が軽くなる傾向にあるから、薬を使いながら・・・結局のところ、慣れるしかない」
「前にやった『フェロモンの慣らし』をするってことはわかったけど、マッチングって何?」
「フェロモンの相性がいい相手と出会うこと、をフェロモンマッチングって・・・これは、警備会社の業界用語かも。一般的には『運命の出会い』かな?」
「運命・・・保健室の先生も似たようなこと言ってた。何だっけかな?」
「運命の番、だろ?」
酒田が苦々しい顔をした。
良くない言葉なのだろうか、と記憶を探る。読まされた少女漫画にはよく使われてたけど『運命の番に出会う』は『恋に落ちる』ことを指していたと思うのだが。
「それ、信隆さんの前で言うなよ。一発で怒り爆発。禁句ワードだ」
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