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第29話 慣らし・R
景明と水瀬の監督の元でフェロモンの慣らしを行う。
誘引フェロモンの拒否の仕方をおさらいしてから、チャック付きの密閉袋から永井の服を取り出した。
もう、それだけでダメだった。
完全に、即、発情状態に陥り、抑制剤という盾のない状態で脳がダイレクトにフェロモンを受けてホワイトアウトした。
翌日、慣らしの監督補佐をしていた水瀬が『慶介君の誘惑フェロモンはヤバかったですよ』と教えてくれた。
端的に言えば『正気を失って疑似ヒートに入った』ということらしいが、慶介が放出した誘惑フェロモンは、薬を飲んでいた2人でも誘惑されそうになるほどの濃いフェロモンだったそうだ。
オメガがヒート中の誘惑フェロモンを悪用したフェロモンアタックにも対応も可能なくらい強い薬を服用していたのに、危うく誘惑させられそうになったのだとか。
二人が耐えられたのは、慶介が誘惑で誘おうとしていたのが『永井』だったからだ、と言っていた。
そして、慶介の誘惑フェロモンは家の中に充満し、フェロモンを察知した信隆がそれを上回る威圧フェロモンを出したので、酒田と重岡は部屋の中でガクブルと震えたらしい。しかも威圧は朝方まで続いたとか。
おかげ、いや、そのせいで今日の送迎は重岡ではなく水瀬だ。寝不足の重岡は危ないということらしい。
そんな慣らし初日の翌日も通常通り学校がある。
下駄箱から待ち受けていた永井に酒田はすかさず間に入って、力なく頼み込んだ。
「永井、今日は問題を起こさないでくれ。俺が万全じゃないんだ。明日も明後日も慶介と学校で会いたいだろ? だから、ホント、頼む・・・」
「・・・まぁ、わかった。でも、放課後はいいんだよな?」
「昨日よりは長い時間が取れるはずだ」
インナーを使った慣らしの効果は十分に出ていた。追加の薬を弱いものに変えたが、同じ教室内にいてもゾクゾクとする危うい予感も、症状も出ない。時折、フェロモンにうっとりと浸ってしまうことはあっても、慶介が疑似ヒートを起こしそうな予兆もなく、今日の授業中は弱い抑制剤で乗り越えられた。
昨日に引き続き、放課後は永井と接触があるため、強めの薬を飲んだ。
カウンセリングルームに入った途端、永井に手にキスの挨拶をされ、そのまま手を離して貰えないまま会話が続けられた。
手を握られている事もあって昨日よりも距離が近い。
慶介は永井が事前に仕入れた情報について、より突っ込んだ質問を受けていた。
猫より犬が好きな理由は、山口の家の犬が懐いてくれたからで他の犬が好きな訳では無いとか。
うっかりこぼした『山口』という名前に、昔の友達で詳しくは話せないと正直に答えちゃったり。
米よりパスタが好きだけど、カルボナーラとペペロンチーノは名店シリーズのソースが好きで、ミートソースは自分で作るの方がウマいと思ってる。だけで止めればよかったのに『酒田もウマいって言ってくれた』と言ってしまって、同居していることを悟られそうになったり。
自分にも作って欲しいと頼まれて、家にお招きはできないけど、タッパに詰めて持ってくるくらいなら。と、うっかり昼飯を一緒に食べる約束をしてしまったり・・・。
フェロモンの匂いに気を取られて、やや迂闊なことばかりしでかしたが、ギリセーフ・・・かな?
帰り際、永井はまた服を脱ぎだした。
「カーディガンでも良かったんだけど、インナーのお陰で慣らしは進んだと思う。ありがとう、助かった」
昨日借りた服を返し、今日の分のインナーを受け取った。だが、機能と違って理性が溶けることはない。やはり、フェロモンの慣らしは進んでいる。
訓練の成果を実感していると、永井がボソリとつぶやく。
「俺も・・・、慶介のフェロモンが欲しい」
「え? やっぱ、永井も薬切れたら過剰反応になんの?」
「いや、ちが──、その・・・っ」
よく分からないが、声をつまらせ苦い表情をしている顔は何となく既視感がある光景だ。ヘルプが欲しくて振り向いて酒田を見ると、バツの悪そうな顔をしていた。
そして、思い出した。
夜のオカズに使いたい。と、そういうことか。
「アホかッ! こっちはガチに深刻なんだよ!」
水瀬と景明を足して2で割ったような美しく完璧に鍛え上げられた腹筋に、なるだけ力を込めてパンチした。
*
初日は即ホワイトアウトで、一切の記憶がないので『今日こそは!』と挑むが、やはり全然ダメで、袋のチャックを開けた瞬間から慶介の体は発情を起こして誘惑フェロモンを放出した。
覚えているのは、白とピンクの靄の中で幸せな気分に浸っていたことだけ。
*
3日目の挑戦。
ついに記憶が残ったが、精神的ダメージは大きかった。
服の入った袋を開けたあと、発情状態で誘惑フェロモンを放ちながら、慶介は情欲の波に飲まれた。
監督をしている2人の存在もすっかり忘れて自身を慰める。前を扱き、後ろに指を入れ、気持ちよさに喘ぎ、脳が見せる幻の永井に名前を呼び、好意を伝え、触ってと訴え、誘う姿を見せつけ、達する快感を求めて貪欲に追いかけた。
翌朝、記憶が残っていた慶介は一日でも早く終わらせたいと強く思った。
*
先日の決意の現れか、慶介は、体の内側から膨れ上がる感情を否定し続け、ついに誘惑フェロモンを抑える事ができた。
(運命の番なんて知らない。このフェロモンは不利益ばかりを押し付けてくる。俺を檻に閉じ込めようとする敵だ)
と、甘い幻想ばかり見せようとする脳と闘った。
それでも慶介の理性を嗤うように性欲を煽られた体は、些細な刺激に激しく反応し、フェロモンに負けて自慰に耽ってしまう。そして、熱を放った賢者モードで我に返り、悔しさと恥を重ねた。
*
誘惑フェロモンを抑えることができた成功体験を胸に、意気込みは良かったが、この日は精神的に落ち込んだ。
誘惑フェロモンもほとんど放出せず、性的興奮も起こらなかったが、慶介はボロボロと涙を流して、泣き言を言った。
『なんでフェロモンだけなん』
『永井がいない』
『さびしい』
『あいたい』
『すき』
口からこぼれる言葉は慶介の本心とは真逆の事ばかり。しまいには、監督している景明に『抱きしめて』と頼むくせに『匂いが違う!』と怒り、最終的に永井のインナーで口元を覆った状態で景明に抱かれて眠った。
「違うから。あれはフェロモンのせいで、俺の本心とかじゃないから。ホント、違うから」
翌日、慶介は景明に言い訳をしたら、景明は『わかっとる。もう少しやから頑張れ』と励ましてくれた。
*
放課後、今日もカウンセリングルームで永井と話す。
連日の慣らしで体力と気力、メンタルまで削られて寝不足だった慶介に、永井が目元をスルッと撫でながら言った。
「慶介、目のクマすげーな。その顔もそそられるけど、ちゃんと休めよ」
そんな安っぽい言葉だけでも慶介は胸がキュンとして、離れる永井の手を掴みすりすりと頬を寄せ、匂いを嗅ぎ、トロンと放心した。
おもむろにしゃがんだ慶介は、永井の股間に顔をうずめようとした。酒田が慌てて引き離すと「うぅ~~」と半泣きになって酒田に抱きつき、次は永井が酒田から引き剥がす。
慶介の困った行動を何とかするため、警護アルファと婚活アルファの殺伐とした相談の結果、永井の膝の上抱っこに落ち着いた。
慶介は永井の首筋に顔をうずめて眠っている。その慶介を永井はうっとりとしながら眺める。
しかし、髪に手をのばしたり、項の匂いを嗅ぐ素振りを見せると、酒田が永井の顔面めがけて輪ゴムを指鉄砲で飛ばし、永井の行動を厳しく監視した。
眠り込んだ慶介が起きたのは、部活動も片付けの準備を始める頃。
「おい。なんで、こんな事になってんだよ」
「可愛かった」
すっかり正気に戻った慶介は永井に抱き抱えられた状態に対して半ギレで睨んだが、永井はニヤニヤしながら抱きかかえた腕にこっそりと力を込めた。ニヤついた顔は『コイツっ!』と引き千切ってやろうかという気持ちを沸き立たせ、爪をたてて引き剥がそうとするが一向に腕はほどけない。
苛立ちが貯まり、理不尽だと解っているのに慶介は矛先を酒田に向けた。
「酒田ぁ! 警護のくせに何させてんだ!!」
酒田が一歩踏み出る。それだけで、永井は『降参』とばかりにハンズアップ。開放されて苛立ちが解消される反面、離れた温もりが寂しくてすがりたくなり、慶介は理性と乖離する心と体が腹立たしくて仕方なかった。
だが、それを機に慣らしは格段に進んだ。
抑制剤を飲んでいない状態でも疑似ヒートが起こることはなくなり、理性を保つ事ができるようになった。
ようやく景明から『通常の抑制剤だけで十分だろう』とのOKを貰い、フェロモンの慣らしは終了した。
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